フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(3/4):三位一体論からユニテリアンへ
説明: カトリック・クリスチャンからアリウス派ユニテリアン主義者、そしてムスリムへ。
- より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
- 掲載日時 29 Jul 2013
- 編集日時 29 Jul 2013
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完璧に保持され、歪曲のないクルアーン
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどの福音書に代表される新約聖書とは異なり、一冊の書物であるクルアーンは、ムハンマドという一人の預言者にその全体が啓示されました。それは23年間に渡って啓示され続け、ムハンマドの追従者たちの多くによって、彼の生前に暗記されると同時に複数の媒体に書き留められました。それはムハンマドの死後20年以内には複写され、彼に最も近かった教友たちによってその信頼性が確証されました。その当時に作成された4つの写本の内の2つは、1つがトルコのイスタンブール、もう1つがウズベキスタンのタシケントに今なお保存されています。現在も全てのアラビア語クルアーンは、その一文字一文字が啓示された当時の原本と比べ寸分たがわないのです。
実際19世紀には、ドイツのミュンヘン大学のある研究所が、1300年に渡ってイスラーム世界のあちこちで作成された写本や印刷物を含む、4万2千冊という圧倒的な数のクルアーンを集めました。それらのテキストに対しては半世紀に渡る調査がなされ、その結果、それらはイスラーム暦の1世紀から14世紀までの異なる時代の異なる場所で作成されたのにも関わらず、研究者たちはごく一部の単純な複製ミス以外には、その4万2千冊の中には相違が存在しないという結論に達しました。不幸にも、この研究所によって収集された極めて貴重な歴史的クルアーン写本の数々は、第二次大戦中に連合軍の爆撃によって焼失してしまいましたが、このプロジェクトの研究結果は生き残ったのです。
つまり、クルアーンは異なる版本の存在しない、唯一の啓典なのです。そのテキストの信頼性は非難の余地がありません。残すは、それを神の言葉として認めるかどうかという、個人的な判断だけなのです。
クルアーンに加え、預言者ムハンマドの言行録であるハディースがイスラームの第二の啓典とされており、イスラーム暦の2世紀には、連なった伝承者の中に最低でも預言者ムハンマドの教友が一人は含まれた、信頼性のある伝承経路であると証明されたものだけを真正なものと認めるムスリム学者たちによって念入りに収集され、真贋が見極められました。その厳格な条件が満たされなかったため、数千ものまことしやかな伝承が却下されました。
福音書におけるイエスの神格性に対する疑問
公認されている福音4書の中においても、イエスの神格性と、それを前提にした三位一体論に疑問を投げかける幾つものくだりがあります。イエスが祈りを捧げる場面は最低でも20箇所ありますが、イエス自身に神格性があるのなら、彼が祈っていたのは誰に対してであり、その理由はなんだったのでしょう?(参照:マタイ14:23,19:13,26:39,27:46,26:42−44;マルコ1:35,6:46,14:35−36;ルカ3:21,5:16,6:12,9:18,9:28,11:1−4,22:41;ヨハネ14:16,17:1,17:9,17:11,17:15)
以下のくだりについて考えてみてください。
イエスと神の意思が異なっている場面の、マタイ26:39。
イエスが自分自身と神を区別することによって神格性を否定している場面の、マタイ19:16−17,マルコ10:17−18,ルカ18:18−19.
そしてイエスが弟子たちとその他の同時代の人々によって預言者として見なされている、ルカ7:16,13:33;ヨハネ4:19.彼らはイエスを神とも、神の子とも呼んではいなかったのです。
カトリックからアリウス派ユニテリアン主義者へ、そしてムスリムへの改宗
私は研究、そして自己省察の結果、イエスの弟子たちにとっては未知のものであり、かつ西暦381年までは教会の公式教義でもなかった、パウロ派教会により創作された教義である三位一体論を否定するようになりました。私は3世紀末〜4世紀初頭のアレキサンドリアの司祭アリウスやニコメディアの司教エウセビオス(後のカエサリア司教)、そして彼らの師であるアンティオキアの殉教者ルシアン、またその数十年後のローマ皇帝コンスタンティヌス2世などによる、より純然たる一神教の信条に同調するようになりました。カトリック百科事典では、アリウス派がこう定義1されています。
“4世紀に勢力を増した、イエス・キリストの神格性を否定する異端であり…近代的な不信仰の一形態ではないものの、それゆえに近代的視点からは奇怪に映る”
カトリック百科事典は言及しませんが、彼らが異端とするものは、4世紀中頃に教会の公式教義だったものなのです。西暦359年のアリミヌム(現在のリミニ)公会議では、聖ヒエロニムスがこう記しています。「全世界が、アリウス派の登場にうなり声を上げて驚嘆している。」アリウス派は、コンスタンティヌス2世の死まで勢力を保ちましたが、その後のローマ帝国の情勢変化によって信奉者たちは迫害されるようになり、西暦381年の第1コンスタンティノポリス公会議によってアリウス派は排斥され、最終的には教会の公式教義として三位一体論が採択されたのです。
イエスが神ではないという結論に達したとき、私は思考様式と信念における重要なハードルを乗り越えました。イエスが神格性を有しているかどうかは、信仰し、神学に精通しているキリスト教徒にとっては物事の絶対的な核心なのです。イエスについてのこの新たな理解を得たとき、私にとってその後の預言者を認めてイスラームを受け入れることは、ほんの小さな一歩に過ぎませんでした。それは、教会から異端視されつつも、縮小していたローマ帝国の領土外では物理的に安全だった北アフリカとイベリア半島のアリウス派キリスト教徒たちが、預言者ムハンマドの死後数十年後にイスラームが伝えられたときに行ったことと同じことでした。私はキリスト教の教育を受けてきたため、神が歴史を通し、神の教えから離れ去った人類のために、定期的に預言者たちを遣わした概念に慣れ親しんでいました。イスラームは私の良く知る旧約聖書の預言者たちだけでなく、洗礼者ヨハネも認知しています。また、7世紀になるとアラビア半島では偶像崇拝が蔓延し、キリスト教世界も三位一体論を掲げていたため、人類を正しく導くという目的のもと、神が新たな預言者であるムハンマドを遣わしたということは、私にとって至極理にかなったことだったのです。
クルアーンでは、25人の預言者たちが言及されています。以下では3人以外が、ユダヤ・キリスト教の経典においても言及されています。
1)アーダム
2)イドリース(エノク)
3)ヌーフ(ノア)
4)フード
5)サーリフ
6)イブラーヒーム(アブラハム)
7)イスマーイール(イシュマエル)
8)イスハーク(イサク)
9)ルート(ロト)
10)ヤアクーブ(ヤコブ)
11)ユースフ(ヨセフ)
12)シュアイブ
13)アイユーブ(ヨブ)
14)ムーサー(モーゼ)
15)ハールーン(アロン)
16)ズル=キフル(エゼキエル)
17)ダーウード(ダビデ)
18)スライマーン(ソロモン)
19)イルヤース(エリヤ)
20)アル=ヤサア(エリシャ)
21)ユーヌス(ヨナ)
22)ザカリーヤー(ザカリア)
23)ヤハヤー(洗礼者ヨハネ)
24)イーサー(イエス)
25)ムハンマド
私は既述したムスリム女性との結婚へと繋がるかどうかに関わらず、自分のためにムスリムになりたいという気持ちになっていました(実際、彼女との関係は続きませんでした)。私のイスラームへの改宗は、私が真のキリスト教と見なしていたものへの拒絶ではなく、ただ単に、ギリシャ・ローマ世界の多神教徒だった非ユダヤ人の新改宗キリスト教徒たちを間違った道に導いた、パウロとその追従者たちに対する拒絶としてそうしたのです。不幸にも、ローマ・カトリック教会、東方正教会、プロテスタント教会などの、近代キリスト教におけるすべての大教派は、パウロをその生みの親とするものなのです。
カトリック百科事典によれば、アリウス派が復興することはありませんでした(が、アイザック・ニュートンやミルトンなどの歴史上の著名な人物がアリウス派を支持していたことは知られています)。そこで記述が怠られていることとしては、アリウス派が過去1400年に渡り、イスラームの中に取り込まれてきたことです。カトリック教会、プロテスタント教会、そして東方正教会の中には、神の唯一性を教義として採用するものはありません。三位一体論が、今や衰退しつつあるキリスト教世界を完全に支配し尽くしている理由とは、元アリウス派が多数派だった南地中海地域全土の、圧倒的多数の人々がムスリムとなったからなのです。
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