クルアーンの著者は誰なのか(1/3):人による作品である可能性

評価:
フォントサイズ:
A- A A+

説明: クルアーンがムハンマドによって著された可能性に関しての概観。

  • より iiie.net(IslamReligion
  • 掲載日時 06 Dec 2009
  • 編集日時 21 Oct 2010
  • プリント数: 546
  • 観覧数: 32,084 (日平均: 6)
  • 評価: 4.8 から 5
  • 評価者: 52
  • メール数: 0
  • コメント日時: 1
低水準 高水準

The_Authorship_of_the_Quran_(part_1_of_3)_001.jpgクルアーンの原文が現在まで保持され続けて来たことは、既に確証されています。しかし私たちいかにしてそれが神授のものであり、人為によるものではないことを確認することが出来るでしょうか?それにはクルアーンの信憑性、権威、そして源泉について詳しく検証していく必要があります。

クルアーンの著者として、ムスリムはそれが逐語的(一語一語が忠実にたどられること)に神により、ムハンマド(彼に神の称賛あれ)へ啓示されたことを信じます。しかしこの見解を支持しない非ムスリムであっても、最初にクルアーンが7世紀マッカのアラブ人であるムハンマドの口から証言され、発されたこと、そしてその時以来何の変更も加えられていないということについては合意しています。

クルアーンが神によって著されたのであるという、ムスリムの主張する“内部証拠”、すなわちクルアーン本体からの既述(4:82;6:19;6:92;27:6;45:2など)が懐疑的な目で見られることは理解出来ます。なぜなら誰であっても、自分の聖典が神の言葉であると主張することは、少なくとも可能だからです。それゆえ私たちは理性と客観性に基づき、クルアーンの起源および権威が神であるという“外部証拠”を探索しなければなりません。

この“外部証拠”の検証に関しては、単純明快な構成の消去法が用いられます。つまり“誰がクルアーンの著者なのか?”という質問の答えに辿り着くためには、それに対して疑わしい答えを消去していくという方法です。別な言い方をすれば、クルアーンの確定的な、または(少なくとも)最も確実な著者・源泉は、その可能性の無い候補を除去していくことにより、最終的に見極めることが出来るのです。

クルアーンの源泉に関し、非ムスリムの人々の主張は様々であり、その見解は一致していません。以下のリストでは、著者の“可能性のある”説の主な候補を挙げてみます。

1)ムハンマド

2)アラブ詩人、学者など

3)非アラブ人学者、または詩人、宗教者

4)僧侶またはラビ(ユダヤ・キリスト教からの源泉)

5)悪魔(または他の欺瞞的“霊”や“宇宙人”など)

6)神

それでは、これらの説がいかに論証に耐え得る主張であるか、クルアーンと歴史の観点からじっくり検証していきましょう。

ムハンマド:文盲で無学な人物

ムハンマドが読み書きを知らなかったことは公知の事実であり、当時の非ムスリムや、現代歴史学者たちの間でもそれに異議を唱える者はいません。彼は教育を受けず、教師さえいませんでした。彼は一度も口頭による作詩・散文の作成などをしたこともありませんでした。包括的な法を有し、内部矛盾の一切から解き放たれているクルアーンは、非ムスリムの学者でさえその偉大さを讃えているほどです。1クルアーンの内容は、社会・経済・思想・人間関係・戦争・平和・婚姻・崇拝・商売など、人生におけるあらゆる事柄に関し、矛盾なく既述されています。クルアーンが一度も編集・追記されたことがないのは、その必要性が全くないからであるともいえます。上記のような広大な主題の数々が、学歴の無く、またそれらの資料の欠如していた環境に住んでいたことに加え、読むこと自体出来なかった7世紀のアラブ人によって、いかにして的確に説明することが出来たのでしょうか?一体人類の歴史上、いつ何処で文盲で無学な人物がそのような啓典を創り出すことが出来たでしょうか?

ムハンマドは誠実さで知られていた

ムハンマドの真摯さ、正直さ、誠実さは、イスラームが広まる前の当時の人々の間で知れ渡っており、彼は“アル=アミーン”(正直者)という敬称でもって呼ばれた程でした。彼が嘘をついた事実は全く記録されておらず、西洋における多くの現代東洋学者たちも、彼ら自身による故意の欺瞞に反し、預言者が神による啓示を心の底から信じていたことは疑いの余地がないと認めています。2

もしも彼の誠実さが疑がわしいのであれば、彼は個人的な栄光を求めてクルアーンを作したはずですが、なぜ彼はその著作権を否認し、代わりにそれが神からであると主張したのでしょうか?特にマッカの多神教徒たちはクルアーンに驚き入っており、そのような啓典を創り出すのは不可能だと認めていたにも関わらず、なぜそうする必要があったのでしょうか。更に彼の敵は、その朗誦を止めるのと引き換えに、マッカの王権を始め、彼の望むあらゆるものの提供すら申し出て来たのです。もし彼が自らの名誉と支配を望んでいたのであれば、どうして彼はそのような絶好の申し出を断り、代わりに質素な生活、迫害、制裁、更には唯一神によるメッセージに対し脅威を感じた者たちからの敵対行為や侮辱に甘んじたのでしょうか?

これらに加え、文盲であったムハンマドが個人的利益を目的にクルアーンを著し、そのクルアーンの中で彼自身が訂正されたり、譴責されることが理に叶っているでしょうか?例えば、以下の節にはこう述べられています:

“(ムハンマドは)眉をひそめ、顔を背けた。一人の盲人がやって来たためである。”(クルアーン80:1−2)

また、こうもあります。

“・・・だが汝は、アッラーが暴露しようとされたことが人に知られることを怖れていた。むしろ汝はアッラーを畏れるべきであった。”(クルアーン33:37)

これら以外にも、18章23−24節などを参照してもよいでしょう。なぜ彼はクルアーンのこういった節々から、自分の都合が良いように削除したり変更したりしなかったのでしょうか?彼の目的が権威や名声であれば、このような節々は彼にとって好都合ではなかったのは明白です。このような節々の存在は、ムハンマドが真実を語った神の使徒であったことを明確に証明しています。



Footnotes:

1 参照:Fredrick Denny,Islam,ニューヨーク:Harper & Row,1987年,88頁;モリス・ブカイユ,The Bible, the Quran and Science, インディアナポリス:American Trust Publications, 1983年,163頁;H.A.R. Gibb, Wither Islam, ニューヨーク:A.M.S. Press, 1932年,350頁;など。

2 参照:H.A.R.Gibb,Mohammedanism,ロンドン,Oxford University Press,1962年,25頁。

低水準 高水準

この記事の一部

全部観覧する
ユーザーコメント コメントを見る

コメントを付ける

  • (非公開にする)

  • あなたのコメントは審査の後、24時間以内に反映されます。

    星印 (*) の付いている項目の入力は必須です。

同カテゴリからの他の記事

観覧

毎日
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
合計
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)

編集者のおすすめ

(もっと 読む...)
(もっと 読む...)

リストの内容

あなたの前回の訪問
このリストはまだ空です。
すべての日時
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)

最もポピュラーなもの

最高の評価
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
最多のメール送信数
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
最多のプリント数
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
最多のコメント数
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)
(もっと 読む...)

あなたのお気に入り

あなたのお気に入りリストは空です。 記事ツールから、このリストに記事を追加することが出来ます。

あなたの履歴

あなたの履歴リストは空です。

Minimize chat