ラドコ チェコ出身の元無神論者(後半):強く成長する蒔かれた種
説明: あるイラク人との出会いが、無神論者だったクリスチャンのイスラームへの関心を呼び起こします。
- より ラドコ
- 掲載日時 09 Jun 2014
- 編集日時 09 Jun 2014
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2001年の7月、私はイラク出身の若者に出会いました。彼の名はイブラーヒームといいました。私たちはすぐさま打ち解けました。彼は自分がムスリムであることを私に教えてくれたので、私は自分がクリスチャンであることを告げました。私はそのことが彼にとって問題かもしれないと心配しましたが、それが間違いで安心しました。興味深いことに、私はムスリムになりたくもなかったし、彼は私を改宗させようと試みもしませんでした。
私はムスリムをエキゾチックな分類だと見なしていましたが、イスラームについてもっと学びたいとも思いました。それは学びの良い機会でした。私は、自分の正面にイスラームを教えてくれる人物がいることを意識していたので、勇気を奮い起こして質問してみました。それが私とイスラームとの最初の出会いで、最初の第一歩でした。その後、私たちは連絡が途絶えましたが、その時に種は蒔かれたのです。
私がムハンマド・アリー・スィルハヴィー(古参のチェコ人ムスリム)のインタビューを読み、彼の住所を調べて手紙を出そうと思っていた矢先に、9・11事件が起こりました。当時の政治的な風向きから、スィルハヴィー氏に手紙を出すのは適切な時期ではないかもしれないと思い、行き詰まってしまいました。
しかしその二ヶ月後、私は思い直し、勇気を出してスィルハヴィー氏に長文の手紙を出しました。しばらくすると、彼から小包が届き、そこにはイスラーム書籍と小冊子が入っていました。彼によると、彼は私のことをプラハのイスラーム機関に伝え、クルアーンの翻訳本を送ってくれるよう、手配したとのことでした。これが私にとっての始まりでした。そこから徐々に、私はイスラームが好戦的な宗教ではなく、全く正反対な、平和の宗教であることに気付きました。私の疑問は答えられたのです。
私は特定の状況に置かれていたため、私がスィルハヴィー氏を訪れようと決心したのは、それから3年後でした。彼は様々な問題について根気強く説明してくれ、ブルノ(チェコ第2の都市)にあるモスクを訪れるよう提案してくれました。ブルノのモスクを訪れると、部外者のように扱われるのではないかと恐れましたが、幸いなことにその思惑は外れました。そこでは、私を最初に手助けしてくれた、KとJに出会いました。もちろん、他にも可能な限りの温かい歓待をしてくれた兄弟たちとも出会いました。
私はイスラームのすべての側面を精査し始め、いかにイスラームが理解しやすく、論理的であるかを見出しました。私は次第に礼拝の仕方を学び始め、今日ではアラビア語でも問題なく礼拝が出来るようになりました。また、私はイスラームとは相容れない悪癖を止めることにしました。私はギャンブルにのめり込んでおり、そのことにかけては非常に長けていました。それは困難な葛藤でしたが、神の助けによってそれに打ち勝つことが出来ました。
イスラームに関する興味、または自分がムスリムとして生きれるかどうかを疑念を抱いていましたが、今ではその興味が永続的なものであり、自らをムスリムとみなしていると自信を持って言うことが出来ます。それは非常に単純なことかと思われるかも知れませんが、それも神の助けによって乗り越えることが出来たのです。私はイスラームを受け入れることに関してはとても慎重に検討しました。正直に言えば、2003年を通して、2004年の始まりまでは、そうできるかどうか完全に確信していたとは言えませんでした。最終的に、私は完全に決意しました。私はもう、90年代前半の、あの若者ではないのです。
それゆえ、私は今日、ムスリムとして非常に幸福であると感じています。ようやく、私は自由を感じています。私には不完全な部分もまだありますが、それらは時間をかけて向上させていこうと思っています。そして今、私にはあなたに伝えたいことがあります。それは私にとっての義務でもあります。それは私が心から、唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドが神の使徒である事を信じており、証言するということです。
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