“キリスト教”の“キリスト”は どこにいるのですか?

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説明: この記事の説明:キリスト教は、実際にイエスと過去の諸使徒の教えに従っているのでしょうか?

  • より ローレンス.B.ブラウン博士
  • 掲載日時 27 Sep 2010
  • 編集日時 27 Sep 2010
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宗教学者たちは長い間、キリスト教の信仰箇条に関して、イエスの教えよりもパウロの教えに依拠していました。主題に入る前に旧約聖書を簡潔に、そして理論的に見ていきましょう。

旧約聖書はヤコブが神と格闘したと説きます。実際に旧約聖書はヤコブが神と格闘したばかりでなく、何とヤコブが勝利したと記しているのです(創世記 32:24−30)。それではこのことを忘れないで欲しいのですが、果たして一個の微少な原形質が、直径約240,000,000,000,000,000,000,000マイルもあり、何十億もの銀河系(そして我々の銀河系はその内の小さな一つに過ぎません)を抱えた宇宙の創造主と格闘し、勝利したとでもいうのでしょうか?失礼ですが、これを書記した人は写本の中の数ページをどこかに置き忘れてしまったのでしょう。重要な点は、この一節が我々を困惑の中に引きずり込んでしまうことです。私たちはユダヤ教の神の概念に疑問を持つか、あるいはそこでの“神”は“神”を意味せず、実際には天使か人間だったという彼らの説を認めなければなりません(そうであれば、旧約聖書は根本的に信頼には値しないことになります)。実際このテキストの難解さは非常な問題となり、近年の聖書はその翻訳を“神”から“人間”へと置き換える試みをしたほどなのです。しかしながら、彼らが変えることの出来ないのはユダヤ教の聖書が翻訳される下地の原本であり、そこでは明白に“神”と書かれたままなのです。

信頼性の欠如は、旧約聖書において繰り返される問題であり、その内の最も甚だしいものは「神と悪魔の混同(!)」です。第二サムエル記24:1ではこのように記されています:

“再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。”

しかし、歴代志上21:1では、こう述べられています:“時にサタンがイスラエルに向かって立ち上がり、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした。”

うーん、どっちなのでしょうか?主でしょうか、サタンでしょうか?双方の節は歴史上の同じ出来事に関するものですが、一方は神に関して述べており、もう一方はサタンなのです。それらは多少(いや、完全に)、異なっている気がします。

キリスト教徒たちは、新約聖書にはそういった難点がないと信じたがっているようですが、残念ながら彼らも思い違いをしています。実際のところそこには矛盾が多すぎるため、著者たちはそれを主題にした数々の著作を献じている程なのです。例えばマタイ伝の2:14と、ルカ伝の2:39はイエスの家族がエジプトに非難したのか、ナザレに非難したのかで異なっています。マタイ伝6:9−13と、ルカ伝11:2−4では、“主の祈り”という言葉使いに違いが見られます。マタイ伝11:13−14、17:11−13、そしてヨハネ伝1:21では、洗礼者ヨハネがエリヤであるかどうかで意見が対立しています。

我々がキリストのはりつけに関して調べてみると、物事は更に深刻さを増します。十字架を運んだのは誰でしょうか?シモン(ルカ伝23:26、マタイ伝27:32、マルコ伝15:21)、またはイエス(ヨハネ伝19:17)でしょうか?イエスは深紅色の外衣(マタイ伝27:28)をまとっていたのでしょうか、それとも紫色(ヨハネ伝19:2)だったのでしょうか?ローマ兵が彼のワインの中に入れたのは胆汁(マタイ伝27:34)だったのでしょうか、それとも没薬(マルコ伝15:25)だったのでしょうか?イエスがはりつけにされたのは、3時前(マルコ伝15:25)だったのでしょうか、それとも6時過ぎ(ヨハネ伝19:14−15)だったのでしょうか?イエスが昇天したのは最初の日(ルカ伝23:43)だったのでしょうか、またはそうでなかった(ヨハネ伝20:17)のでしょうか?イエスの最後の言葉は、“父よ、私の霊をみ手に委ねます”(ルカ伝23:46)だったのでしょうか、それとも“完了した”(ヨハネ伝19:30)だったのでしょうか?

これらは聖書における矛盾点に関する長い一覧表のごく一部に過ぎませんが、この事実は啓典としての新約聖書の信頼性における難点を強調します。それにも関わらず、新約聖書による救済を信頼する人々は存在しているのです。これらのキリスト教徒たちは、次の質問に答えることが出来なければなりません。「“キリスト教”’の“キリスト”はどこにいるのですか?」実際にこれは、至極公平な質問なのです。我々の前にはイエス・キリストにちなんだ名前の宗教がありますが、それは正統派キリスト教の教義、すなわち三位一体論において、イエス自身が説いた全てに関して実質的に矛盾しているのです。

はい、はい、落ちついて。この時点でまだ“異端者!”と叫んでいない人たちは、大方これから楽しいキャンプに行く準備でもしているのでしょう。しかし、ちょっと待って下さい。その高性能ライフルをひとまずそこに置いて、よく聞いて下さい。三位一体論を唱えるキリスト教では、その教義がイエスとパウロの教えの組み合わせに基づいていると主張しています。問題は、これらの教義は決して補足などではないということです。実際のところ、それらはお互いに矛盾しているではないですか。

これらの例を見て下さい。イエスは旧約において法を説き、パウロはそれを無効としました。イエスは正統派ユダヤ教の信条を説き、パウロは信仰の神秘を唱えました。イエスは責任論を説き、パウロは信仰による正当化を提案しました。またイエスは自分を民族的預言者であると説明しましたが、パウロは彼を普遍的預言者であると定義付けました。[1] イエスは神への礼拝を教えましたが、パウロはイエスを仲裁者に仕立て上げました。イエスは神の唯一性を説きましたが、聖パウロ神学者たちは三位一体説を作り上げました。

これらの理由により多くの学者たちは、パウロがキリスト教とイエスの教えを破壊した主な首謀者であると見なしています。キリスト教初期の諸宗派も同様にこの見解を示しており、紀元二世紀のキリスト教宗派である“エビオン派(養子的キリスト論)”もこの中に含まれます。彼らはコウ主張しました:「特に彼らは最も著名な新約聖書の著者であるパウロを、使徒ではなく大異端者と見なしています。」[2]

リーマンはこう述べています:

「パウロが“キリスト教”と主張しているものは、全くの異端であり、ユダヤ教やその一派であるエッセネ派、そしてラビ・イエスの教えにも基づいてはいないのです。しかしショーンフィールドが言うように、“聖パウロ神学の異端性はキリスト教正統派信仰となり、合法的な教会は異端的として認められなかったのです。”・・・パウロはラビ・イエスが絶対にしなかったことを行なったのです。それは神の救済の約束を異邦人にも拡張し、モーゼの法を廃止し、仲介者を設けることによって神への直接の道を閉ざしたことなのです。」[3]

聖書原典の批評者として、存命中の学者の中では恐らく最も権威のある、バート・D・アーマンはこのようにコメントしています:

「パウロの観点は普遍的に認められたものでも、広く認知されたものでもありませんでした・・・更に驚くべきことは、パウロ自身の手紙において、率直で誠実で活動的なキリスト教徒の指導者たちがこの点に関して彼に猛烈に反対し、彼の観点がキリストの真の教えを腐敗させたものであると見なしていたことが示されていたことです・・・私たちはこのガラテヤ人への手紙によって、パウロがこの件に関してペテロと対立したことを窺い知ることが出来ます(ガラテヤ人への手紙 2:11−14)。つまり彼はこの件において、イエスに最も近かった弟子に対しても反対していたのです。」[4]

また疑似クレメンティン文学における、一部の初期キリスト教徒の観点に関して、アーマンはこのように書いています:

「パウロは間違いなく、彼の誤解に基づいた短絡的な視野によって真の信仰を破壊したのです。従ってパウロは諸使徒の長などではなく、敵なのです。彼は真の信仰から逸脱しており、人々に従われる使徒などではなく、異端者として禁じられるべきなのです。”[5]

ある者たちはパウロを聖人にまで仕立て上げますが、ジョエル・カーマイケルは、その内の一人ではありません:

「私たちはイエスから何百光年も離れています。もしイエスが法と諸預言者を“果たすためにのみ”に遣わされたのであり、彼が“微塵”も“法を通り越す”ものはないと考えたのであり、主要な律法が“聞け、イスラエルよ、私たちの主、神は、唯一の神である”だったのであり、“神以外の誰も善ではない”のであったのだとすれば、彼はパウロの手仕事をどう思ったでしょうか!パウロの業績は、歴史的イエスの最終的な抹消を意味したのです。彼は琥珀の中に閉じ込められたハエのように、キリスト教の中においてミイラ化した形で私たちのもとにやってきたのです。

またヨハネス・ワイス博士はこのように言及しています:

「従って初期キリスト教会、そしてパウロによるキリストへの信仰は、イエスの説いた教えと比較すると別の新たなものでした。それは一つの新しい宗教だったのです。”[6]

そう、実にそれは一つの新しい宗教なのです。よって次の質問が生じます:「“キリスト教 ”の“キリスト”はどこなのでしょうか? 」もしキリスト教がイエス・キリストの宗教であれば、ラビ・イエスによる正統派ユダヤ教の旧約聖書の法と厳格な一神論はどこに行ったのでしょうか?なぜキリスト教はイエスが神の子であると説きながら、イエス自身は自らを“人の子”と88回も言い、“神の子”とは一度たりとも言わなかったのでしょうか?なぜキリスト教は、イエスが彼の追従者に次のように説いたにも関わらず、聖職者への罪の告白、そして聖人、マリアとイエスへの礼拝を推奨するのでしょうか:

「だから、こう祈りなさい:“天にいます私たちの父よ・・・”」(マタイ伝6:9)

そしてローマ法王を任命したのは誰でしょうか?それがイエスではないことは明らかです。彼がペトロを、教会を築くための岩と呼んだことは事実です(マタイ伝16:18−19)。しかしながらそのわずか五節後には、彼はペトロを“サタン”、“邪魔をする者”と呼んでいます。そしてこの“岩”はイエスの拘引後、三度も彼を否定したのです―それはペトロの新しい教会に対する献身の貧弱さに対する証言でしょう。

キリスト教徒たちが、その時以来イエスを拒否し続けてきたということは可能でしょうか?イエスの厳格な一神論を聖パウロ神学の三位一体説に改ざんし、ラビ・イエスによる旧約聖書の法を聖パウロ神学の“信仰による正当化”に置き換え、イエスが説いた直接の自己責任説を彼が人類の罪を償うという概念に代用し、イエスの人間宣言を破棄して彼が神性であるというパウロの概念を適用したのであれば、我々はキリスト教がどのような方法においてその預言者の教えに敬意を払っているのか質問しなければなりません。

それと平行する問題としては、どの宗教がイエスの教えに敬意を払っているのかを定義することです。では見てみましょう:どの宗教がイエス・キリストを人として尊敬しているでしょうか?どの宗教が厳格な一神論を信奉し、神の法、そして神に対する自己責任説を掲げているでしょうか?どの宗教が人と神の間の仲介者を拒否しているでしょうか?

ここで“イスラーム”と答えたあなたは、正解です。これによって我々はイエス・キリストの教えが、キリスト教よりもイスラーム教によってより良く例示されていることが分かります。しかしこの提案は結論を意味しているのではなく、単なる前置きに過ぎません。上記の議論に興味をそそられた方々はこの件を真剣に受け取り、心を開いて下さい。そして・・・もっと学び続けましょう!

Copyright © 2007 Laurence B. Brown.

著者について:

ローレンス B. ブラウン博士

彼とは、BrownL38@yahoo.comから連絡をとることが出来ます。

彼はThe First and Final Commandment (Amana Publications)と、Bearing True Witness (Dar-us-Salam)を著しています。近刊書として、歴史物のThe English Scrollと、第2版のThe First and Final CommandmentMisGod’ed、続編のGod’edとして書き直され、分割されています。



Footnotes:

[1] イエスキリストは、堕落したイスラエルの子孫に遣わされた、長い諸預言者の系譜における一人の預言者でした。彼は明確にこう述べています:“私は、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。”(マタイ伝15:24)イエスが弟子たちを神の道に送り出した時、彼は彼らにこう指示しました:“異邦人(非ユダヤ人のこと)の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。”(マタイ伝10:5−6)イエスの伝道中、彼は一度も異邦人を改宗させたと記録されてはおらず、実際には彼に頼み事をした異邦人の女を犬に例えて責めたことが記録されています(マタイ伝15:22−28、マルコ伝7:25−30)。イエス自身、そして彼の弟子たちもまたユダヤ人であり、彼らは共にユダヤ人に対して伝道していたのです。ここで私たちが今、これが何を意味しているか疑問を抱かずにはいられないのは、現在イエスを“救世主”とする人々の大半がいわゆる“異邦人”であり、彼が遣わされた“イスラエルの家の滅びた羊”ではないということなのです。

[2] Ehrman, Bart D. The New Testament: A Historical Introduction to the Early Christian Writings. 2004. Oxford University Press. P. 3.

[3] Lehmann, Johannes. 1972. The Jesus Report. Translated by Michael Heron. London: Souvenir Press. pp. 128, 134.

[4] Ehrman, Bart D. 2003. Lost Christianities. Oxford University Press. Pp. 97-98.

[5] Ehrman, Bart D. 2003. Lost Christianities. Oxford University Press. P. 184.

[6] Weiss, Johannes. 1909. Paul and Jesus. (Translated by Rev. H. J. Chaytor). London and New York: Harper and Brothers. p. 130.

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