フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(4/4):神学思想

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説明: フセインは、イスラームによって示される純然たる一神教の神学思想に満足します。

  • より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
  • 掲載日時 05 Aug 2013
  • 編集日時 05 Aug 2013
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私が最初にイスラームについて学び始めたときに感じた確かなる真実性、またこの問題に対する精神的苦痛は皆無だったことから、私は今、イエスが人間であったこと、そして彼が多大な尊敬に値する、最も偉大な神の預言者の一人である一方、神の化身でも、神の子でもなかったのだと述べることが出来ます。私は、敬虔な一神教徒のユダヤ人だったイエスは、三位一体論を掲げるキリスト教徒たちが彼についてでっちあげたことに対し、ひどく嫌悪するであろうと信じます。私はもしムスリムになったらイエスを裏切ることになるのではないかと怖れていましたが、それまで、私は実際には彼について言う権利もないことを言うことによって、無意識の内に彼を冒涜していたことに気付いたのです。

私はムハンマドがイエスの後に続く(最後の)預言者であると信じます。エルサレムにいたイエスの正真正銘の使徒たちが従っていたのが、ユダヤ教を継承した真のキリスト教であったように、神の言葉の最終啓示であるイスラームこそが、エルサレム・ユダヤ人のキリスト教を継承し、完成するものなのです。

私は恋愛関係によってイスラームに改宗したのではないことも明確にしたいと思います。しかし、ムスリム女性との結婚の可能性が触媒となり、イスラームを調査するきっかけとなったことは確かです。念のために言うと、彼女との関係は2001年に破綻しましたが、私は依然としてムスリムなのです。

イスラームへの改宗は便宜的なものではなく、私が心から望んだものでした。それは誠実なものでなければなりませんでした。潔白な心の中に、詐欺的なものがあってはならなかったのです。神と宗教は、軽く扱うには重要過ぎます。それは人の魂が関わることなのですから。

私が現在のキリスト教として知られているものを否定したのは、そもそも三位一体論とイエスの神格性を信じることが出来なくなったからです。私は心の底から神の唯一性を信じるようになりました。そして私は、イスラームという宗教がそれを完全に表現していると判断したのです。個人的な人間関係が将来的にどうなろうとも、私はこの信条を持ち続けます。

私は時に、自分が加わった広大な宗教共同体の人々が、ムスリムであるかどうかに関わらず他者に行動規範を課すことを強要するのは、神学的な核心を忘れ、それを葬り去ってしまったからなのではないかと真剣に懸念します。神はクルアーンにおいて、「宗教に強制はない」と明言しているからです。私は一部のムスリムたちによる、正統なイスラームの実践やあり方とするものの解釈に幻滅することがある、と正直に告白しなければなりません。タリバンのような思考様式を持つ人々がいるのは、アフガニスタンだけに限定される話ではないのです。

そして私は、憎悪に満ちた政治的思想を持つ人々にもうんざりしています。彼らはそれをイスラームと呼称していますが、実際には基本的なイスラーム的規定のほとんどを逸脱したもので、「人は耐え切れないほどの重荷を背負うことはない」という神の約束に対する信頼が完全に欠如していることを暗示しています。これらの過激主義者たちは、イスラームの普及を数十年遅らせてしまっています。時に、私は英国人改宗者マイケル・A・マーリクの有名な嘆きを反復せずにはいられません。「イスラームは素晴らしいのに、ムスリムたちはなんて酷いのだろう!」

自称ムスリムの態度には頻繁に幻滅させられるものの、神の唯一性という、神の性質においての信仰を、私は生涯を通して貫こうと決意しています。

数年前、米国人のプロテスタント派の友人が、マルティン・ルターの興味深い引用をしました。

人は自分で死というものに望まなければならないため、自分で信仰というものを持たなければならないのだ。

私は自分の持っている、イスラームによって示される純粋な一神教の信仰に完全に満足しています。そしてこれは、私の信仰宣言です。

クル・フワッラーフ・アハド

言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。

アッラーフッ=サマド

アッラーは、自存され、

ラム・ヤリド・ワラム・ユーラド

御産みなさらないし、御産れになられたのではない、

ワラム・ヤクッラフ・クフワン・アハド

かれに比べ得る、何ものもない。」(クルアーン第112章)

アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー

私は、アッラー以外に神はないこと、

ワアシュハド・アンナ・ムハンマダッ=ラスールッラー

そしてムハンマドが神の使徒であることを宣言します。

両親への感謝の気持ち

最後に、私の両親に深い感謝の意を表したいと思います。彼らは敬虔なカトリックの実践者で、私のイスラームへの改宗には神学的理由から強く反対しましたが、私の意思を尊重してくれ、私の理解者でもあり、私への愛情を変わらず注いでくれています。この点について、私は最も祝福されていると感じます。

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