メレク・ヤコヴ 米国出身の元ユダヤ教徒(前半)
説明: メレクはユダヤ教徒としての人生と宗教について、またユダヤ教ハシディック派からの離反について語ります。
- より メレク・ヤコヴ
- 掲載日時 16 Jun 2014
- 編集日時 16 Jun 2014
- プリント数: 132
- 観覧数: 13,258 (日平均: 3)
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
私は生まれたときに、メレク・ヤコヴというヘブライ語の名前を与えられました。現在、依然として私は生まれた場所と同じニューヨークの地域に住んでいます。私の家族はそれなりに宗教的でした。私たちは毎週土曜日にハシディック派の集会に行っていましたが、ユダヤ教ハシディック派において要求されていた厳しい戒律の全てを守っていた訳ではありませんでした。ハシディック派とは、一般的に「超正統派」として知られるユダヤ教の一派です。彼らがそう呼ばれているのは、彼らがハラーハー(ユダヤ法)を厳守し、ユダヤ教神秘主義(カバラ)に従っているからです。彼らは時たま道端で見かける、黒いスーツと帽子に身を包み、髭ともみあげを伸ばした奇抜な格好をした人々です。
私たちはそんな風貌ではありませんでした。私の家族は安息日でも料理したり、電気を使っていましたし、私自身、頭にヤムルカ(ふちなし帽)をかぶったりはしませんでした。また、私は非ユダヤ教徒の学生や友人たちに囲まれた世俗的な環境で育ちましたし、長年に渡り、安息日に運転したり、コーシェル食(ユダヤ教の食規律で許された食べ物)でないものを食べたりしていたことに罪悪感を抱いていました。
私は戒律の全てを守ってはいなかったものの、それが神が求めていた生き方だという強い感覚を持っていましたし、戒律を破るごとに神の御前において罪を犯していたのだということを感じていました。私の母は、私が幼少の頃からバアル・シェム・トーブとして知られた有名なラビ・エリエゼルの逸話や、ハッガーダー(タルムードの中のハラーハーではない部分)やトーラーの言い伝えを読み聞かせてくれていました。
それらの言い伝えのすべては同一の倫理的メッセージを持ち、私がユダヤ教徒のコミュニティ、つまりイスラエルを祖国として認識することに役立ちました。言い伝えはいかにユダヤ教徒たちが歴史を通して抑圧されてきたことを示し、いかに神が最後まで彼らと共にあったかについて語ります。ユダヤ教徒たちが聞かされて育つ物語は、ユダヤ教徒たちがそれを必要とするときには、常に奇跡が彼らを救ったことを示します。ユダヤ教徒たちがその小さな可能性にも関わらず、歴史を通して生き延びてきたことは、それ自体が奇跡であると見なされています。
なぜ大半のユダヤ教徒たちが、イスラエルに関してシオニストの立場を取るのかが知りたければ、ユダヤ教徒たちが幼少の頃からそれらの物語を吹き込まれてきたことを知らなければなりません。シオニストたちが自分たちは何も悪いことはしていないかのように振舞うのはそのためです。ゴイム(非ユダヤ人)たちは皆、ユダヤ教徒への攻撃の機会をうかがっている敵であると見なされ、信用置けないとされます。ユダヤ教徒たちはお互いへの非常に強い結束があり、自分たちを神の「選民」であると見なします。私自身、長年に渡ってそう信じてきました。
私はユダヤ教徒としての強い自覚を持っていましたが、シナゴーグに土曜礼拝に行くことは何よりも嫌でした。少年時代、父親から無理やりシナゴーグに連れて行かれていたのを未だに覚えています。そこは恐ろしく退屈で、皆が黒い帽子と髭という格好の中、外国語で祈りを捧げていたのがとても奇妙に感じられました。それは慣れ親しんだ世界から、突然見知らぬ外国に放り出されたような感覚でした。私はそうあるべきなのだと思ってはいましたが、(私の両親同様、)ハシディック派のライフスタイルを取り入れることはありませんでした。
私が13歳になったとき、他のユダヤ教徒の少年たち同様、バル・ミツワーという成人式が行われました。また、毎朝テフィリン(ヘブライのお守り)を身に付け始めました。それを身に付けないことは不吉であり、悪いことが起きるかもしれないから危険であると教えられました。初めてテフィリンを付けなかった日、なんと母の車が盗難被害に会いました。そのことからも、私は長きに渡ってそれを身に付け続けました。
私のバル・ミツワー後しばらくすると、家族はシナゴーグに通うのを止めてしまいました。家族は3時間半もの礼拝時間に耐えられず、私がバル・ミツワーさえ受けてしまえばもうそれでいいと思ったのです。その後、父は信者たちの一部と愚かな喧嘩になり、あらゆる礼拝に行くのを止めてしまいました。そして、奇妙なことが起こりました。父は彼の友人から、イエスの受け入れを説得されたのです。父がキリスト教徒に改宗しても、母は彼とは離婚しませんでしたが、彼女はそれ以来、そのことに対し無言の憎悪を抱き続けています。
10代前半だった私は、その頃から何か共感できるものを探し始めました。父の改宗は、私自身の信仰についても疑問を抱かせました。私は、「ユダヤ教とは厳密にはどんなものなのか」「ユダヤ教とは文化なのか、国家なのか、それとも宗教なのか」「それが国家を指すのなら、ユダヤ教徒が2つの国家の市民であることはあり得るのか」「それが宗教であるのなら、なぜ礼拝はヘブライ語で唱えられているのか、またエレツ・イスラエルの礼拝や、『東方の儀式』を行うのか」「それがただの文化であるなら、もし誰かがヘブライ語を使わず、ユダヤ教の慣習を辞めてしまえば、その人物はユダヤ教徒ではなくなってしまうのではないか」といった疑問を抱いていました。
もしも、トーラーの戒律を守るのがユダヤ教徒であるというのなら、なぜモーゼにトーラーが下されるよりも前の時代に生きていたアブラハムが最初のユダヤ教徒だと言われるのでしょうか? ついでに言えば、トーラーは彼をユダヤ教徒として言及すらしていません。ユダヤという名称は、ヤコブの12子の一人、ユダに因んでいます。ユダヤ教徒は、ソロモンの時代の後に、ユダ王国が設立されるまではユダヤ人とは呼ばれていませんでした。伝統的には、ユダヤ教徒の母を持つ者がユダヤ教徒であると言われています。それゆえ、たとえキリスト教や無神論を実践していても、ユダヤ教徒として見なされるのです。私はどんどんとユダヤ教から離れていきました。そこには従うべき戒律やミツワー(善行)が多すぎました。これらの儀礼の意義とは一体何なのかと私は問い始めました。私にとって、それらのすべては人工的なものでした。
コメントを付ける