アブドッラー・デランシー カナダ出身の元キリスト教徒
説明: 牧師を目指す程に実践的なキリスト教徒だったアブドッラーは、自らの信仰が知性と論理に基いてはいないことに気付き、イスラームを発見するまで諸宗教を研究します。
- より アブドッラー・デランシー
- 掲載日時 20 Jul 2015
- 編集日時 20 Jul 2015
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私の名はアブドッラー・デランシーです。私はカナダ人で、地元の病院で働いています。私は約20年前に結婚し、3人の素晴らしい子どもたちに恵まれています。
アルハムドゥリッラー、現在私はムスリムです。私はボーン・ムスリムだった訳ではありません。私は生まれて以来ずっと、プロテスタント教会に属したキリスト教徒でした。
私はペンテコステ派の教会に属した家族によって育てられ、成人すると原理主義派バプティスト教会に入会しました。
信仰深いキリスト教徒として、私は教会の活動に非常に深く関わっており、大人の日曜学校などで教えていました。また、教会の執事に当選しました。私は神への奉仕に身を捧げるべく、牧師になることを望んでいました。
私は神学の学位を取得するための奨学金を認められました。私の目標は牧師、または宣教者となることでした。しかし、私が牧師となるためには、私を含めた家族全員が一生、教会に貢献することが求められました。
バイブル・カレッジに通い始める直前に、私はキリスト教について批評的な観点から、その信仰に対して非常に重要な質問をしてみることにしました。私は三位一体論について、なぜ神が子を設けなければならなかったのか、そしてなぜバイブルで述べられているように、私たちに赦しが与えられるために人間としてのイエスの犠牲が必要だったのかについて追求してみることにしました。
私は旧約聖書にある、イエスが誕生する以前の聖人たちがどのようにして天国において救われているのか調べました。私はこれまでの人生で問いかけられるべきだったものの、それを怠っていた重大な疑問について熟考しました。
私がキリスト教徒たちから「キリスト教の信仰に基づいた」ものとして得た、それら神学的問題に対する答えは、あらゆる理性を無視した、論理的思考とは遠くかけ離れたものでした。
神は、私たちに頭脳という素晴らしい祝福をお与えになりながら、その駆使を放棄するようなことを御望みでしょうか? キリスト教徒が「ただ信仰を持てば良いのです」と言うときは、人々にそうすることを求めているのです。それはつまり、盲目的信仰です。
私は人生の中で常に盲目的信仰と共にキリスト教を信仰しつつ、疑問を持っていなかったことに気付き、そのことに困惑しました。なぜ私は、それまでそのことに気付けなかったのでしょうか?
バイブルの中から答えを探し出すことはできませんでした。三位一体論が俗説であり、神は誰かを「救う」ために子やいかなる者の助けも必要などとはしないということに一度気付くと、状況は一変しました。私のキリスト教への信仰は、音を立てて崩れ去りました。私はキリスト教を信じることもできなければ、キリスト教徒でいることもできなくなったのです。
私は完全にキリスト教を棄教し、キリスト教に対して問題を抱えていた私の妻も私と一緒にそうしました。それは、私にとっての精神的な旅立ちでした。そのとき、私には宗教がありませんでしたが、神だけは信じていました。
私たちはそれまでキリスト教徒としての人生と家族しか知り得ず、当時は非常に困難な状況に陥りましたが、私は真実を追求しなければなりませんでした。私は諸宗教について学び始め、それら全てが虚偽であることを見出しました。ただし、イスラームについて知るまでです。
「イスラーム? 冗談だろ?」思い出せる限りでは、私はムスリムを一人も知りませんでしたし、私のカナダの地元ではそれが宗教として扱われることもありませんでした。もちろん、新聞やニュースでイスラームが悪く取り上げられていることは知っていました。当時の私にとって、イスラームは考慮に価するものですらありませんでした。私の「宗教レーダー」にそれは検知されなかったのです。
しかし、イスラームについて少しだけ調べてみることにしました。そして、徐々により多くの時間を割くようになり、クルアーンを読んでみることにしました。その素晴らしき真理の啓示は、私の人生を永久に変えました。私は直ちに、イスラームについて可能な限りの情報を集め始め、その研究に没頭しました。
最寄りのモスクは自分の住む街から100マイルも離れていることを知りました。しかし、早速私はファミリー・バンに荷物を詰め、そのモスクを目指して出発しました。道中ではとても緊張していたのと同時に、非常にわくわくしていました。私は、自分がアラブ人あるいはムスリムでなくともモスクに入ることは許されるのかどうか、自問していました。
モスク到着後すぐ、恐れるものは何もないことに気付きました。そこではイマームを始めとしたムスリムたちによる最も温かい歓迎を受けました。彼らは非常に親切でした。ニュースでムスリムについて報道されるような悪いことは何もありませんでした。
彼らはアフマド・ディーダット著の本をくれ、私はムスリムになれると保証してくれました。彼らがくれたイスラームの資料に、私はすべて目を通しました。地元の図書館にはイスラームに関しての本は僅か4冊しかなかったため、私はそれらの資料に非常に感謝していました。
それらを勉強した私は衝撃を受けていました。どうして私は長い間に渡りキリスト教徒だったのにも関わらず、真実を知らなかったのかと。私はイスラームを信じるようになりました。私は確信しており、改宗を望んでいました。
私は地元の小さなムスリム・コミュニティの集まりを紹介されました。2006年3月24日、私はモスクを訪れ、金曜合同礼拝の直前、地元のムスリム・コミュニティの面前でこう証言したのです。「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッ=ラスールッラー(アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である)。」こうして私はムスリムになりました。その日は、私の人生の中でも最良の日でした。私はイスラームを愛しており、平穏な日々を過ごしています。
ムスリムになってからも困難な状況はありました。私がムスリムになったことを知った知人たちは私を避けるようになったり嘲笑したりしましたし、キリスト教徒の友人たちの大半からは二度と口をきかれませんでした。両親からも絶縁されてしまいました。
私はムスリムでいることをこよなく愛しており、カナダ人の仲間がムスリムになった私のことを変人だと思ったとしても気にしません。なぜなら、私の死後、神の前で現世の行いの清算をされるのはこの私自身であるからです。
神こそは力をお与えになる御方であり、イスラームへの改宗後、全能なる神はあらゆる困難な局面で私を助けてくれました。今現在、私には非常に多くのムスリム同胞がいます。
私はアブドッラーという名前に法的に改名しました。この名前をとても気に入っています。現在、私は地元の病院で正職員として働いている最初のムスリム宣教師です。ムスリムの私は、非常に幸福です。すべての称賛は神にあれ。
アブドッラー・デランシーはMuslimforlife.comの創設者です。
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