マリヤの子イエス(パート5/5):啓典の民
説明: ムハンマドの到来以前のイエスとその追随者に対するクルアーン用語「バヌー・イスラーイール(イスラエルの子ら)」と「イーサー(イエス)」、そして「アフルル=キターブ(啓典の民)」に関しての概観。
- より アーイシャ・ステイスィー(ゥ 2010 IslamReligion.com)
- 掲載日時 20 Dec 2010
- 編集日時 20 Dec 2010
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ムスリムのマリヤの子イエスに対する信仰について読み、理解した後、説明を要するいくつかの問題が浮かんできます。皆様は「啓典の民」という言葉をお読みになっても、その概念が明確に理解出来ていないかもしれません。また同様に、イエスについて利用可能な文献を探す際に「イーサー」という名前に遭遇し、それが果たしてイエスと同一人物かどうかを疑問に思われた方もいるかもしれません。しかしもう少し探索してみるか、クルアーンを読むかしてみれば、以下の点に関心が向けられるでしょう。
イーサーとは誰か?
イーサーとはイエスのことです。発音上の違いゆえに、多くの人はムスリムがイーサーのこと‐つまりイエスのことを話している時、そのことに気付かないのかもしれません。イーサーの綴りは(英語で)、Isa, Esa, Essa, Eissaなど、複数の形をとることがあります。アラビア語はアラビア文字で書かれるものですから、いかなる字訳システムでもそれを音に沿って再現しようと試みます。そして綴りの形は同あれ、それら全ては神の使徒イエスのことを示しているのです。
イエスとその民は、セム系アラム語を話していました。それは中東、北アフリカ、アフリカ東北部などで、300万人以上の人によって話されていた言語です。尚、セム語にはアラビア語とヘブライ語なども含まれます。イーサーという語は、アラム語でイエスを意味するEeshuにより近いと言えるでしょう。またヘブライ語では、ヨシュア(Yeshua)と訳されています。
イエスの名前を非セム系の言語に訳することは、少々複雑です。14世紀まで、「J」という文字はいかなる言語にも存在しませんでした[1]。従って、イエスという名がギリシャ語に翻訳された時、それはIesousとなり、ラテン語においてはIesusとなったのです[2]。その後、"I"と"J"は交互に使用されるようになりました。そして最終的に、英語ではJesusと訳されたのです。最後の"S"は最後にギリシャ語において、男性名詞に付属する文字です。
アラム語 |
アラビア語 |
ヘブライ語 |
ギリシャ語 |
ラテン語 |
英語 |
Eeshu |
Eisa |
Yeshua |
Iesous |
Iesus |
Jesus |
啓典の民とは誰のことか?
神が啓典の民に言及する時、それは主にユダヤ教徒とキリスト教徒のことを表しています。クルアーンの中でユダヤ教徒は、バヌー・イスラーイール、つまり逐語的にはイスラエルの子ら、あるいはイスラエル人と呼ばれています。これらの特別な集団は、トーラーと福音の中で啓示された神の啓示に従っているか、あるいは過去に従っていました。またユダヤ教徒とキリスト教徒が、聖典の民、と呼ばれるのをお聞きになられたこともあるかもしれません。
ムスリムは、クルアーン以前の啓典が古代において紛失したり、改竄されたり、歪曲されたりしたのだ、と信じています。そして同時にモーゼとイエスの真の追随者は、唯一の神のみを真の従順さでもって崇拝するムスリム達である、ということも認識しています。マリヤの子イエスは、モーゼのメッセージを確証し、イスラエルの子らを正しい道へと回帰させるために到来しました。ムスリムはユダヤ教徒たちがイエスの使命とメッセージを否定し、一方のキリスト教徒は不当にも彼を神の地位にまで高めた、という風に信じています。
「言え、“啓典の民(キリスト教徒)よ、あなた方の宗教において不当にも度を越してはならない。またそれ以前に迷い去り、多くの人々を迷わせ、正しい道から迷い去った者たちの私欲に追従してはならない。”」(クルアーン 5:77)
私たちは既に前の章で、クルアーンがいかに預言者イエスと彼の母親マリヤを重点的に扱っているかということを論じてきました。しかし一方でクルアーンはその多くの句において、啓示の民、特にキリスト教徒と自称する人々に対して直接語りかけています。
キリスト教徒とユダヤ教徒は、ムスリムが唯一の神を信じているという理由だけのために、彼らを批判しないよう注意されています。またキリスト教徒(キリストの教えに従う人々)とムスリムの間には、イエスとその他全ての預言者への愛情と敬意のように、多くの共通点があることにも注意を喚起しています。
「…またあなた方は、信仰者たちに最も親愛の念を示す者たちが、“私たちはキリスト教徒である”と言う者たちであることを見出すであろう。それは彼らの内に修道僧や学僧がおり、また高慢ではないためである。そして彼らが使徒に下されたもの(クルアーン)を聞けば、あなたは彼らが真理を知ったがゆえにその眼を涙で溢れさせるのを見るであろう。彼らは言う:“われらが主よ、私たちは(彼に下されたものを)信仰しました。私たちを(審判の日、それが真理であると)証言する者たちと共に書き留めて下さい…。”」(クルアーン 5:82−83)
マリヤのイエスの息子と同様に、預言者ムハンマドもまた、彼以前の全ての預言者のメッセージを確認するために到来しました。つまり、唯一の神のみの崇拝へと、人々を誘うことです。但し彼の使命は、彼以前の他の預言者(ノア、アブラハム、モーゼ、イエスなど)と一つだけ異なる点がありました。彼以前の全ての預言者たちは彼らの時代の、彼らの民のもとに遣わされたのですが、預言者ムハンマドは全人類へと遣わされたのです。預言者ムハンマドの出現とクルアーンの啓示は、啓典の民に啓示された宗教を完了させました。
神はクルアーンの中で、次のように言って啓典の民をいざなうよう語りかけています:
「言え、“啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、私たちとあなた方との間の正義の言葉へとやって来るのだ。(その言葉とは:)私たちが神以外の何ものをも崇拝せず、かれに何ものをも並べたりしないこと。そして神を差し置いて、自分たちの内の誰かを主としたりしないこと。”」(クルアーン 3:64)
また預言者ムハンマドはその教友に、次いで全人類に対してこう言いました:
「私はいかなる者よりも、マリヤの子に最も近しいのだ。そして全ての預言者は兄弟であり、私とイエスの間には誰もいない。」
また、こうも言っています:
「イエスを信じていた者が私を信じれば、倍の報奨を得るであろう。」(サヒーフ・アル=ブハーリーによる伝承)
イスラームは平和と尊重、寛容さの宗教です。それは他宗教、特に啓典の民に対し、公正かつ同情的な態度を適用するのです。
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