アリー 米国出身の元キリスト教徒
説明: 私の名はアリーです。私は31歳の米国生まれのメキシコ系、いわゆる「チカーノ」です。
- より アリー
- 掲載日時 18 Mar 2013
- 編集日時 18 Mar 2013
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私は、自分がムスリムになった経緯についてのウェブサイトを作る予定で、インシャー・アッラー(神の御意であれば)、それが少しでもイスラーム理解の役に立てればと思っています。人々はイスラームとムスリムについて誤解しており、彼らのイスラームに関する少ない知識は映画やテレビから来ていますが、それらは必ずと言っていいほど間違っています。
私の過去の人生は、方向性の全くない悪いものでした。私は高校を中退して以来、人生を無駄にしてきました。私は路上にたむろし、その大半がギャングのメンバーだった友人たちとパーティーを開き、マリファナでハイになったり、酒に酔いつぶれたりしたものでした。私自身はギャングに入ったことはありませんでしたが、彼らが不良になる前からの付き合いだったので、良い関係を保っていたのです。私は徐々に、より強力な麻薬に手を染め出し、持っていた夢も手の届かない遠いものとなっていきました。私は落ち込む度に、そこからの一時的な現実逃避として麻薬に手を出しました。
ある日友人が、良質のマリファナが手に入る場所を知っていると言うので、そこに一緒に行くことにしました。私たちはあるアパートに到着して中に入りました。そこには何人かがおり、私たちは座って世間話をしつつ、そのマリファナを試し吸いしていました。友人と一緒にそれを買い、そこから出ようとしたところ、その内の一人が本をくれるというので、彼のアパートに行くことにしました。
この人物のアパートに着くと、彼は私の友人に一冊の本を手渡し、それを読むよう促しました。それは人生の問題解決の手助けになるだろうと言うのです。帰路、彼がもらった本を見せてもらうと、それはクルアーン(コーラン)でした。
私は聖クルアーンのことを生まれて以来一度も聞いたことがなかったので、その一部のページを少し読んでみることにしましたが、するとそれが真実であることは明らかで、まるで衝撃で打ちのめされたかのようでした。クルアーンは非常に明快で、理解し易いものです。私はとても感銘し、イスラームとムスリムについてもっと知りたいと思いました。
奇妙なのは、私は新しい宗教を求めてもいなかったことで、私は教会に行く人々を嘲笑したり、(心の奥底ではその存在を信じていたものの)時には神など存在しない、と言い切ったりしていたのです。数日後、私は図書館に行ってクルアーンを借りてくることにしました。その読書と勉強を通し、私は預言者ムハンマドと、マリアの子イエスの真の物語について学びました。クルアーンは神の唯一性を強調し、神には同位者や子女のないことを明らかにします。三位一体論の本質を理解出来たことがなかったため、私にとってこのことが最も興味深いことでした。クルアーンはイエスの誕生と、彼の使命について説明します。また、そこにはマルヤム(マリア)章と呼ばれるスーラ(章)があり、彼女の物語も存在しています。
私の母はセブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、子供だった私と姉妹を毎週土曜日に教会に連れていきました。私自身は宗教的ではなく、14〜15歳のときに教会に行かなくなりました。私たち以外の家族メンバーはカトリックで、私はなぜ私たちだけセブンスデー・アドベンチストで、他の皆はカトリックなのかと疑問に思っていました。メキシコの家族に会いに行くと、カトリックの結婚式や式典に出席していました。
ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、全人類のために遣わされた、最後の預言者です。クルアーンはアダム、アブラハム、ノア、イサク、ダビデ、モーゼ、イエスを始めとする諸預言者の逸話を、明確で理解し易い方法で物語ります。私は書店でクルアーンを購入し、何ヶ月もイスラームのことを調べ、医学や科学におけるイスラームの貢献などを学びました。
私はスペインが1000年近くムスリム国家だったこと、またキリスト教徒の王と王女(フェルディナンドとイザベラ)によってムスリムがスペインから駆逐されたとき、キリスト教徒のスペイン人たちがメキシコに渡り、先住民のアステカ人などをキリスト教に改宗させたことを知りました。歴史と自らのルーツがすべて明確になりつつありました。
数ヶ月に渡る研究の末、私はそれ以上真実を拒否しつづけることが出来なくなりましたが、依然として相変わらずの生活を続けており、もしムスリムになったのであれば、その生活をすべて変えなければならないことを知っていました。ある日、クルアーンを読んでいると、私は涙を堪えることが出来なくなり、膝から崩れ落ち、真実に導いてくれたアッラーに感謝しました。私は近所にモスクがあることを知ったので、ある金曜日、ムスリムがどのように集団礼拝をしているのか見てくることにしました。そこには、あらゆる皮膚の色、人種の人々が集っていました。彼らはモスクに入るときは靴を脱ぎ、絨毯が敷かれた床の上に座っていました。その中の一人が立ち上がってアザーン(礼拝の呼びかけ)をすると、その美しさから私の目には涙が溢れました。最初は非常に不思議な感じでしたが、同時にとても正しいことだと感じました。イスラームは単なる宗教の枠組みを超えた、人生の生活規範なのです。
何度か金曜礼拝に参加した後、私はシャハーダ(信仰証言)をしてムスリムになる用意が出来ました。
私はハティーブ(説教師)に、自分がムスリムになりたいことを告げ、次の金曜日に人々の前でまず最初にアラビア語で、次に英語でシャハーダを述べました。「私はアッラー以外に神はなく、ムハンマドがかれの使徒であることを証言します。」
私が終えると、一人が「タクビール!」と言い、人々は数回「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)!」と言いました。そして皆が私のもとに集まり、一人一人から抱擁されました。私は一日でそれほどまでの抱擁をされたことがありませんでしたし、その素晴らしい日のことを決して忘れはしないでしょう。私は1997年以来ムスリムで、自分自身の選択と、明確な宗教に満足しており、ムスリムであることは私の人生を良い方向に変えました。全能なる神に讃えあれ。私はその後高校の卒業資格を得て、コンピュータ技師としての訓練を受けました。
また、私は聖都マッカでのハッジ(大巡礼)を行うという祝福も受けました。そこでは、世界中から肌の色が異なる300万人もの人々が、全能なる創造主である唯一の神を崇拝するために集まるのです。アルハムドゥリッラー(神に讃えあれ)、その後2002年の12月、私はモロッコ出身の非常に敬虔なムスリム女性と結婚しました。
私はイスラームこそが、若者と社会の問題を解決する答えだと確信しています。インシャーアッラー(神の御意であれば)、私の改宗記によってより多くのラテンアメリカ系、そして全ての人種がイスラームの光に導かれれば本望です。
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