スティーブン・シュワルツ 米国出身のジャーナリスト
説明: 平安の園にて癒やしを得た米国人ジャーナリスト・著者が、なぜイスラームに改宗したのかを語ります。
- より スティーブン・シュワルツ
- 掲載日時 21 Sep 2015
- 編集日時 21 Sep 2015
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私は米国人ジャーナリスト・著者です。1997年に49歳のとき、30年以上に渡る研究と人生体験を通じて、私はイスラームに改宗しました。その決断は、私の人生における多くの問題を反映させたものでした。
私は大半の米国人にとって非常に変わった環境で育ちました。私の父はユダヤ教徒で、母は有名なプロテスタント原理主義の聖職者の娘でした。父は宗教学生(Yeshiva-bocher)として、そして母はバイブル読書に熱心な環境で育ち、彼女は旧新約聖書のどちらにも精通していました。
私はサラエヴォで、自分が旅行者とは思えませんでした。そこではムスリムの信仰者や学者たちと直接の対話をすることができました。
両親の信仰心は、1930年代の出来事によって試されました。母は「神の選民」として教えられていたユダヤ教徒たちへのナチスによる抑圧への抗議としてキリスト教を棄教し、後にユダヤ教に改宗しました。
両親はユダヤ教を信じていながらも、共産党による影響下で長い時間を過ごしました。それは彼らの人生における悲劇的な矛盾でした。彼らは生まれ育った宗教に失望していました。しかしながら、自由・急進主義と神との間を行ったり来たりしながらも、彼らはシオニズムについては熱心な信奉者ではありませんでした。
私自身も中東紛争については心を痛めており、イスラエル・アラブ間の和平と正義をいつも望んでいました。
私は青年時代、極左に属すと同時に詩を書くのが好きでした。また、両親から宗教の混乱と憂き目について知らされ、それを反対されていたにも関わらず、神を信じていました。私はその確執を解消したいと願っていました。
私は、米国においてイスラームがもたらすであろう最も大きな貢献は、人種差別の解消と社会道徳であると信じています。
私が真理の探索へと歩んだ第一歩は、カトリック教会でした。改宗までには至らなかったものの、カトリックの神秘的文学には深い感銘を受けていました。
それ以前から、スペインのカトリック神秘主義者たちによる素晴らしい業績の背後には、スペインのイスラームの歴史によるイスラーム的影響が潜んでいたことを学んでいました。それからは何度もスペインへ旅し、イベリア半島における長きに渡るイスラームの影響の痕跡を調べに行きました。作家として、私は長年そうした現象を研究しました。私は特に、イスラームによって大きな影響を受けていたトルバドゥール詩人について研究していました。
私は1979年から、ユダヤ教神秘主義の伝統であるカバラについて学びました。そこからも、ユダヤ教のフィルターを通した膨大なイスラームの影響を見い出しました。
イスラーム改宗の決定打となった出来事は、1990年にジャーナリストとしてバルカン諸国に旅したときに訪れました。そこではボスニア戦争についてレポートするため、サラエボを訪問しました。
サラエボでは驚くべきことを発見しました。ヨーロッパにおけるイスラームの僻地を発見したのです。そこではムスリムの信仰者や学者らと直接触れ合うことができ、自分が旅行者であるということを忘れてしまいました。また、そこではイスラームの気品や愛といった価値を表す美しい詩や音楽とも出会いました。
私は有名なボスニアの歌の一節にあるような「古きイマームの庭園」を見つけました。それは、バルカン諸国におけるオスマン帝国統治下の遺産であり、イスラーム文明への大いなる貢献なのです。
私はバルカン諸国への旅路でクルアーンの章句を読み、イスラームの歴史的建造物を訪れました。庭園へは何度も訪れ、最終的には中に入ることもできました。
イスラームを受け入れると、友人たちや隣人、同僚などにそのことを告げるのには慎重を期しました。そこで確執や議論を生じさせたくはありませんでしたし、その事実を表面的または一時的なものと受け止められたくなかったからです。それは私自身のことではなく、アッラーについてのことなのです。ウンマ全体の福利にとって、また「ラー・イラーハ・イッラッラー」を信じる信仰者たち全体の関係において良いものにしたかったのです。
今のところ、たまに無礼な発言をされること以外には大きな問題は生じていません。ニュース編集室の同僚たちは、より正確な報道をすることのできる人物がいるという事実に喜んでくれています。また他者は驚きつつも敬意を示してくれています。彼らはそれが政治的なことや知名度を上げるためのものではなく、個人的な長い探求の結果であるということを理解してくれています。
正直に言うと、非ムスリムの人々は私のことをバルカン諸島での経験に大きく影響された人物として見ているようです。それゆえそうした選択肢は理に適ったものと受け止められているようです。
しかし、私は政治的・人道的な理由からムスリムになったのではありません。それは、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の伝えた教えこそがアッラーの御意の最も明確な証拠であると信じているからなのです。
冒頭で述べたとおり、私はユダヤ教・キリスト教における好ましい部分の多くはイスラームの影響から来たものであると見ています。
スペインのカトリック教徒たちについて言及しましたが、スペインのカトリック教徒たちがその他のカトリック教徒たちよりもより強く信仰心を感じている理由は、彼らの文化におけるイスラームの遺産に他なりません。いかに一部の人々がそれを見えないと主張しても、十字軍と異端審問はその光をかき消すことができませんでした。
スペインにおけるアラブ人為政者たちの寛容性、そして特にオスマン帝国のカリフたちによる親身な保護策なくしては、ユダヤ教はこの世から完全に消え去っていたかもしれません。ユダヤ教徒の歴史家たちは、ムスリムとの共生による有益な影響がなければ、今日のユダヤ教は非常に異なるものとなったであろうことを認めます。
私が最も感銘を受けたイスラームの側面は、アッラーへの服従において享受する内面の平穏です。私はそうした特質を、酷い苦難にありながら落ち着きを失わなかったボスニア人ムスリムたちの親切さ、思いやり、質素さ、そして誠実さ(イフラース)のなかに見出しました。
落ち着くことは私の人生をより容易なものにしました。日常生活で困難や試練にぶつかったり、将来についての心配や怖れを抱いたり、自分の能力に対して鬱憤を溜まらせたりすると、私の心は自動的にボスニアで出会ったムスリムたちや合同礼拝での静寂や調和、そして何よりもクルアーンの清浄で心をなだめる言葉を思い出すのです。
私の唯一の問題は、ユダヤ教徒・キリスト教徒たちとの確執に対する恐怖を乗り越えることです。私は世俗主義へと譲歩することなく和解が訪れることを望んでいます。
米国においてイスラームがもたらすであろう最も大きな貢献は、人種差別の解消と社会道徳であると信じています。米国の人種差別問題の解決策がイスラームであるという同胞マルコムXによる宣言の真理は、誰もが認めるものです。イスラームはまた、米国の道徳問題にも解決をもたらすものです。
私はムスリムになる前、知人の米国人ムスリムの価値観、そしてバルカン諸国のムスリムたちの道徳的強さに感銘しました。残念ながら、現在のウンマは深刻な分裂の状態にあり、ムスリムたちがお互いに争うのを見るのは断腸の思いです。また、東方正教会による帝国主義の被害者たちへのムスリムによる支援が欠如していることにも懸念しています。イスラームは大いなる平安と美を私の人生にもたらしました。周りの人にも常々言っていることですが、私は残りの人生をアッラーへの奉仕に捧げるつもりです。個人的には、ボスニアとコソボのモスクの再建に尽くすことを誓っています。
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