カリーム・アブドゥル・ジャッバール( バスケットボール選手・アメリカ合衆国)
説明: そのスラムダンクと"スカイフック"で有名なカリーム・アブドゥル・ジャッバールが、人生や精神性の新側面を発見し、イスラームを受け入れる。
- より 作者不明(匿名)
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 07 Dec 2009
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多くの選手から史上最高のバスケットボール選手として認められ、NBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)の最高選手として6度も抜擢された、カリーム・アブドゥル・ジャッバールはまた、アメリカの公の場で最も活躍しているムスリムの一人です。ハーレム北部出身の身長219cm、フェルディナンド・ルイス・アルシンダーは、1969年にNBAのミルウォーキー・バックスに入団する前には、UCLAで優秀な成績を収めました。そしてアルシンダーは後に、ロスアンジェルス・レーカーズに移籍しています。彼は大学バスケットボールの中では群を抜いており、その段違いの“ダンクシュート”は大学対抗の競技において正式に禁止されるほどでした。その結果アルシンダーは、彼自身がそれによって最も有名になるところの"スカイフック"というシュートを編み出しました。それはバスケットを変えたシュートとも言われ、そのおかげで彼は、NBAの試合の通常シーズンで38,000ポイント以上もスコアしました。そして1970−71年にはミルウォーキーがNBAタイトルを獲得し、その頃にはカリーム・アブドゥル・ジャッバールとなっていたアルシンダーは、バスケットボールの王として賞賛されました。アルシンダーは最初に、元ジャズ演奏者のハマス・アブドルハーリスからイスラームを学びました。彼自身の証言によると、彼は、修道女、教師、またはコーチであろうと、目上の人の教えを真剣に受け止めるよう育てられたので、アブドルハーリスの教えにもしっかりと従いました。彼によりアルシンダーはアブドゥルカリームと名付けられ、その後カリーム・アブドゥル・ジャッバール、直訳すると"強力で全能なる神の僕”と改名しました。それから間もなくして、彼はアブドルハーリスの教えと彼自身のクルアーンの勉強を深めるために、アラビア語の基礎を習い始めることを決心しました。1973年、より一層の言語理解とイスラームについて"本場”で学ぶため、彼はリビアとサウジアラビアへ旅行しました。アブドゥル・ジャッバールはベトナム戦争に反対していたムハンマド・アリー(同じくアフリカ系アメリカ人の改宗ムスリムで、ボクシングの世界チャンピオン)と自分とは別の立場にあると考え、ただ自分自身を元々はムスリムであった一人のアフリカ系アメリカ人であるというアイデンティティを静かに認めることを望むだけで、自分のイスラームについて公言しようとは思いませんでした。彼は、アルシンダーという彼の名が奴隷の名であり、直訳的には彼の家族を西アフリカからドミニカ、トリニダード、そしてそこからアメリカへ連れて来た奴隷売買人の名から来ている旨を明言しました。
[…] カリーム・アブドゥル・ジャッバールは、自身をスンニ派のムスリムであるとしています。彼はまた神への強い信仰と、ムハンマドが神の預言者で、クルアーンが最後の啓示であることが、彼の理解において明白であるという信仰を公言しています…[…]
…また彼の役割として、出来るだけ良いイスラーム的生活を送るという彼の責任を受け入れており、イスラームはアメリカでプロスポーツ選手であることの条件を満たすことが出来ると認めています。
彼の著書「カリーム」からの抜粋
以下は、彼が自分のバスケットボール人生について書いた2冊目の著書で1990年に出版された「カリーム」からの抜粋で、イスラームにひかれるようになった理由について語られている部分です。
[アメリカで成長する中で、]私はついにそれを見つけたのです. . .感情的に、精神的に、私は人種差別者になることに耐えられませんでした。年齢を重ねるごとに、私は次第に黒人が最高か最悪かのどちらかだと思いすごすようになりました。そうだったのです。私に最も深い影響を与えた黒人はマルコムXでした。私は“ムハンマド・スピークス”という黒人ムスリム新聞を読みましたが、60年代の初期でさえ、私には、彼らの人種差別主義は受け入れられないものでした。それは白人の人種差別と同様の敵意を含み、そして私の全ての怒りと恨みを意味していましたが、私はこの怒りは何も変えることが出来ないことを知りました。それはただ継続的な負の悪循環を生むだけのものです。そんなものを誰が必要とするでしょうか?
. . . マルコムXは違っていました。彼はマッカへ旅し、そしてイスラームが全ての人を受け入れていることに気づいたのでした。彼は1965年に暗殺されました。私は彼のことをよく知りませんでしたが、彼が黒人のプライド、自立そして私たち自身の向上を語っていたことを知っていたので、彼の死は私に強い衝撃を与えました。そして私は、彼の不屈の態度が好きでした。
. . . 私がUCLAの新入生だった1966年にマルコムXの自叙伝が出版され、私はそれを自分の19歳の誕生日直前に読みました。それは今まで読んだどの本よりも私に大きな衝撃を与え、私を完全に混乱させました。私は大勢の考え方を受け入れる代わりに、世界を違った視線で見始めました. . . .
. . . [マルコム]はただの表向きの温情などではなく、本当の意味での人種間の協力の扉を開いたのです。彼は真の行いを行う真の人々、黒人のプライド、そしてイスラームについて語ったのです。私はただそれを握り締めました。そして二度と振り返りませんでした. . .
トークアジアでのインタビュー
SG:カリーム・アブドゥル・ジャッバールの前にルー アルシンダーがいました。そして今アルシンダーはイスラームに改宗し、カリーム・アブドゥル・ジャッバールとなりました。彼が言っていることは、とても深い霊的な決定であったということです。アルシンダーからカリーム・アブドゥル・ジャッバールへのご自身の旅を教えて下さい。今日もあなたの中にアルシンダーは存在しますか?
KA:まず、それは私が自分の人生を始めた人物です。そして私はまだ私の両親の子であり、まだ私のいとこは同じで、私はまだ私なのです。しかし私は決意したのです。(SG:変化を感じますか?違う名前、違う人となることで違う感じがしますか?) そうだとは思いません…それよりも進化という感じがします−私はカリーム・アブドゥル・ジャッバールへと進化しましたが、私は以前の自分に何の後悔もありません。これが今の私なのです。
SG:そして霊的な旅に関してですが、それはどのくらい重要なものでしたか?
KA:ええ、霊的な旅としてですが、私はもしイスラームがなければ、スポーツ選手としてこれほどの成功を収められたとは思いません。それは私にモラルという錨を与え、私を物質主義にならないようにし、現世でより大切であったことを見えるようにしてくれました。そしてその全ては私にとってとても重要である人たち:ジョン・ウドゥン・コーチ、私の両親によって促進され、全てはそれらの価値観を促されました。そしてそれは私に、ある種の人生を歩ませないようにし、また私の人生が取り乱されないようにしました。
SG:あなたがイスラームに帰依した時、他の人はそれを受け入れにくそうでしたか?またそれは、あなたと周りの人の間に距離を作りましたか?
KA:大抵の場合はそうでした。私はそれを人に対して難しくはしようとはしませんでしたし、苛立ってもいませんでした。ただ人々が、私がムスリムであること、そしてそれが私にとっては一番よいことだと感じていることを理解して欲しいと思っていました。彼らがそれを受け入れれば、私も彼らを受け入れました。私は、もし私の友達になるならムスリムにならなければならない、という類の者ではありませんでした。いいえ、そのようなことではないのです。私は人の選択を尊重しますし、彼らも同様に私の選択を尊重するよう願っています。
SG:人が別の名前や別の人物として名乗る時、何が起こるのでしょうか?あなたはどのくらい変わりましたか?
私に関して言えば、そのことは私をより一層忍耐強くしました。というのも私は、違いを理解するために学ばなければならなかったからです。ご存知の通り私は異なっていましたし、人々は時々私の出自を正確に理解しませんでした。また特に9/11のテロの後は、自分自身について説明しなければなりませんでした…
SG:あなたのような人々に対する反発はありましたか?あなたはそのように感じましたか?
KA:反発の必然性は感じませんでした。しかし、もちろん多くの人々が私の忠誠心、またはどちらにつくのかということを尋ねるだろうとは感じていました。しかし私は忠誠的なアメリカ人であり続けたのです…
SG:多くの黒人のアメリカ人にとって、イスラームに改宗することは大きな政治的決定でもあります。あなたにとってもそれは同じことでしたか?
KA:それは私の旅の一部ではありませんでした。私のイスラームへの選択は、政治的表明ではありませんでした。それは霊的な表明だったのです。聖書とクルアーンを学んだことが、クルアーンが神からの聖書に次ぐ啓示であることを理解させました。私はそのことを理解し、それに従うことを選んだのです。私はそれが誰かを区分けしようとすることや、彼らが自分に合うことをしようとする可能性を否定することとは何ら関係ないと思います。クルアーンは私たちに、ユダヤ教徒やキリスト教徒、そしてムスリムが同じ預言者達を信じており、また天国と地獄は私たち全てに同じ信仰であるので、ムスリムは彼ら全てを同様に扱うべきであると教えているのです。そしてそれがあるべきはずのことなのです。
SG:そしてあなたの著書は、大変な影響を与えていますね。
KA:はい、そうですね。人種の平等そして子供としてアメリカで成長する過程で経験したことは、人権運動を経験し、そして人々が彼らの命を危険にさらし、殴られ、犬に襲われ、消火用ホースで道に落とされ、それでもまだ非暴力を選び、偏見に根ざした憎悪に立ち向かうためにとても勇敢に取り組んでいたことを目にすることで影響を受けました。それらは非常に顕著に、そして私に大変深い影響を与えました。
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