フランク・エストラダ ルーマニア出身の元カトリック教徒
説明: 米国海兵隊のローマ・カトリック教徒がイスラームを発見します。
- より フランク・エストラダ
- 掲載日時 29 Jun 2015
- 編集日時 28 Jun 2015
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私の名はフランク・エストラダといいます。私はローマ・カトリック教徒として育てられました。私は非常に宗教熱心で、いずれは聖職者として奉仕することを望んでいました。私は必ずしもそれに同意した訳ではありませんでしたが、教会の教えに従っていました。私は人々をアッラーの元に近づけることを望み、改宗させるためのあらゆる機会を活用しました。
米国海兵隊に勤務していた頃、私は2度に渡り中東諸国を視察しました。私は短期間でアラブ人とイスラームに対する憎悪を抱くようになりました。任務を終えた後、私はイラクのある会社でネットワーク管理者として働き始めました。同僚にアフマドという人物がいましたが、彼の生い立ちという単純な理由だけで、私は彼を信頼しませんでした。彼が私に対して忍耐強くあってくれたことは、非常に幸運なことでした。
私が無知だったことから、彼は少しずつ預言者(神の慈悲と祝福あれ)とクルアーンについて教えてくれました。彼は言葉で教えてくれたのではなく、彼自身の行動によって、ムスリムは邪悪な人間ではないということを示してくれました。そして何よりも、彼はアッラーの教えの真実性を私に教えてくれました。
帰宅後、私は真剣にイスラームを学び始めました。私はメサ・コミュニティ・カレッジで世界宗教のクラスを取りました。そのクラスはイスラームについて偏見的な教え方をしていたものの、私をよりイスラームに近づけていました。そのクラスでアマルという女性と知り合いになりました。私たちはイスラームやカトリックについて何時間でも議論することができました。彼女の議論は論理的でしたし、理にかなっていました。
私はクルアーンをきちんと理解することのできるように、アラビア語のクラスも取りました。未だになかなか上達はしません。私はムスリムと思わしき人々とは進んで会話しましたが、彼らの発言がその行為と矛盾してはいないかを観察しました。彼らは必ずと言って良いほど偽善的ではありませんでした。私はアリゾナ州テンピのモスクを訪れ、そこのムスリムやイマームと会話しました。
私を最終的に改宗させたのは、シャハーダでした。私をそれについて、自分自身の信条とどれ程マッチしているのか検証してみました。まずはそれを十戒の第一の戒律と比較してみたところ、同一だということが分かりました。そのとき、私は悟ったのです。
カトリックは、多神教に他なりませんでした。そうした実感は、私を動揺させました。その時点で、私はアッラーの法に従いながらも預言者イエス(彼に平安あれ)を称賛することはできないと知ったのです。
私は妻と相談しました。控えめに言っても、彼女は心配していました。私たちは家族への影響を何時間にも渡り議論しました。二人でモスクに行くことにし、そこでムハンマドという名の人物と話す機会がありました。彼は彼女の不安を払拭させただけでなく、彼女はなんとその場で改宗を決断したのです。
ムスリムになるということは、正しい決断だったということに疑念はありません。私の友人や家族は、両親を除き非常に協力的です。改宗後3ヶ月間、父は口を聞いてくれませんでした。妻の家族は現在に至るまで非常に非協力的です。しかし、将来的にアッラーが彼らの心を和らげてくれることは確信しています。
私は様々な人々を通して私に真理を示した下さったアッラーに感謝しています。そして、かれが私に真理を理解することのできる知性を与えてくださったことにも同様に感謝しなければなりません。そして何よりも、私と共に真理へと心を開いてくれた、愛すべき妻を与えてくださったことにも、アッラーに感謝します。
そしてここに筆を置きます。アッラー以外に崇拝に価する神はなく、ムハンマドはその預言者なり。
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