マリヤの子イエス(パート2/5):イエスのメッセージ
- より アーイシャ・ステイスィー(ゥ 2010 IslamReligion.com)
- 掲載日時 06 Dec 2010
- 編集日時 06 Dec 2010
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私たちは既に、マリヤの息子イエス、あるいはムスリムの呼び方で言えばマルヤムの子イーサーが、マリヤの腕に抱かれながら最初の奇跡を行なったことを、立証しました。神の許しと共に彼は喋りましたが、その最初の言葉は「私は神のしもべである。」(クルアーン 19:30)でした。彼は「私は神である」とはおろか、「私は神の御子である」とさえも言わなかったのです。彼の最初の言葉は、彼のメッセージの基礎とその使命‐人々を、一つの神の純粋な崇拝へと呼び戻すこと‐を立証しているのです。
イエスの時代、1つの神という概念は、イスラエルの子孫にとって別段新しいことではありませんでした。トーラーは、こう宣言しています:「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。」(申命記6:4)しかし神の啓示は誤って翻訳され、乱用され、人々の心は硬化してしまいました。イエスは物質主義と豪奢さの生活に陥っていたイスラエルの子孫の首長らを告発し、トーラーの中に見出される既に改変されていたモーゼの法を支持すべく、到来したのです。
イエスの使命はトーラーを確証し、以前には違法とされていた物事を合法化し、また唯一の創造主への信仰を宣言すると共に再確認する、というものでした。預言者ムハンマドは、こう言っています:
「全ての預言者は、その民のもとのみに遣わされた。しかし私は、全人類に遣わされたのである。」(サヒーフ・アル=ブハーリーによる伝承)
こうしてイエスは、イスラエルの民に遣わされたのです。
神はクルアーンの中で、かれがイエスにトーラーと福音、そして英知を教示するであろう、と述べています:
-そしてかれ(神)は、彼に筆記と英知とトーラーと福音書をご教示になるであろう。,(クルアーン 3:48)
イエスは効果的に彼のメッセージを広めるためトーラーを理解し、かつ神から彼自身への啓示‐インジール、あるいは福音書を授けられました。神はまた、数々のみしるしと奇跡をもって人々を導き、影響を与えるための能力も与えました。
神はその全ての預言者を、奇跡でもってサポートしました。そしてその奇跡は、預言者たちが導きのために遣わされた民の注目を引き、かつ効果的なものだったのです。イエスの時代、イスラエルの民は医学の分野に非常に精通していました。従って、イエスが神の許可のもとに行なった奇跡は、この性質のものでした。彼は盲人に視力を与え、ハンセン病患者を治療し、死者を蘇らせました。神はこう仰います:
「…またあなたがわが許しと共に、生まれつきの盲人とライ病患者を治療した時。」(クルアーン 5:110)
幼少のイエス
「“私はあなた方のために、泥土で鳥の形を作り、そこに息を吹き込もう。そうすれば、それは神のお許しと共に鳥となる。”」(クルアーン 3:49)
初期のキリスト教徒によって書かれた一連のテキストの内の1つ「トマスによる幼少時のイエス」の中でも、この話は言及されています。但しこの話は、旧約聖書の教義には受け入れられませんでした。そこでは粘土で鳥を作り、そこに命を吹き込む若いイエスの話の詳細に触れられています。その話は魅惑的なのですが、ムスリムはクルアーンと預言者ムハンマドの伝承に言及されている通りにのみ、イエスのメッセージを信じます。
ムスリムは、神が人類に啓示した全ての啓典を信じなければなりません。しかし現存する聖書は、預言者イエスに啓示された福音書ではないのです。神がイエスに授けた言葉と智恵の数々は紛失し、隠蔽され、改変・改竄されてしまいました。「トマスによる幼少時のイエス」が聖書外典の文献とされていることこそは、このことに対する証拠の一つです。西暦325年、皇帝コンスタンティヌスは世界中の司教からなる会議を召集することにより、分裂していたキリスト教会を統一しようとしました。この会議はニケア公会議として知られているもので、それが残した遺産といえばそれ以前にはなかった三位一体という教義と、270から4000に渡る福音書の損失でした。評議会は、新しい聖書に値すると見なされない全ての福音書を焚書にするよう命じましたが、「トマスによる幼少時のイエス」もその内の一つでした[1]。しかし多くの福音書の写本は生き延び、聖書の中には含まれてはいなくても、その歴史的意義において評価されているのです。
クルアーンが私たちを解放する
ムスリムは、イエスが間違いなく神から啓示を授かったということを信じます。しかし彼は一語たりとも自ら書き留めてはおらず、またその弟子たちに筆記を指示したりもしませんでした3。ムスリムはキリスト教の書を立証したり、反証したりする必要はありません。クルアーンが私たちを、現存している聖書が神の言葉か、イエスの言葉か、などということを知る必要から解放してくれているのです。神は仰っています:
「かれこそは真理をもってあなたに、それ以前のものを確証する啓典を下されたお方。」(クルアーン 3:3)
またこうも仰っています:
「そしてわれら(神のこと)はあなたに、真実をもって(クルアーン)を下した。それはそれ以前の諸啓典を確証し、かつ従属させるものである。ゆえに神が下されたものでもって彼らの間を裁くのだ。」(クルアーン 5:48)
トーラーや福音書の中でムスリムが知って有益になるものは全て、クルアーンの中に明確に記載されています。過去の啓典において存在した全てのよきものは、現在クルアーンの中に見出すことが出来るのです[2]。現存している新約聖書の言葉でクルアーンの内容と一致しているものは、改竄されたり紛失したりしていないイエスのメッセージの一部である可能性があります。イエスのメッセージは、神の全ての預言者がその民に伝えたメッセージと同一のものでした。つまり「あなた方の神は唯一である。ゆえにかれのみを崇拝せよ。」というものだったのです。神はクルアーンの中で、イエスの話についてこう仰っています:
「実にこれは真実の話である。そして神の他に、崇拝に値するものなど存在しないのだ。神こそは、この上なく威光高く、英知に溢れたお方である。」(クルアーン 3:62)
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