神によるスンナの保持(7/7):要約
- より ジャマールッディーン・ザラボゾ (ゥ 2011 IslamReligion.com)
- 掲載日時 04 Jul 2011
- 編集日時 04 Jul 2011
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ここまでは、アッラーによって預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)のスンナが保持されてきた重要な方法の一部について、ごく簡潔に見て来ました。特筆すべきことは、事実上、預言者の時代からこれらの保護手段が用い始められていたことです。そこには膨大な情報の消失や歪曲のための扉を開く、時間のずれがありませんでした。
以下では、M・Z・スィッディーキーによって、初期のスンナ保護がどういったものだったのかが非常に良く要約されています:
ムハンマドの言行録としてのハディースは、イスラームの最初期から現在に至るまで、ムスリム世界の信仰者たちによる熱心な追求と、不断の研究が続けられてきました。ムハンマドの生前、多くの教友たちは彼が何を言ったのであれ、それを暗記しようと試みましたし、彼の行動を注意深く観察してそれらを他人に伝えたのです。彼らの一部は彼の発言をサヒーファ(羊皮紙)に書き写し、後に彼らの生徒に読まれ、彼らの家族や追従者たちによって保存されました。ムハンマドの死後、彼の教友たちが諸外国に拡散した際、彼らの一部とその追従者たちは貧困を顧みない辛く厳しい長旅に出て、それらの収集に努めたのです…彼らによるハディースの保持と伝達の驚愕すべき活動は世界における文学史上、独特であり…(その学問としての卓越性は未だに)今日に至るまで、他には類を見ないものです。1
究極的には、これらの過程がハディース学と、預言者へとつながる伝承経路の詳細な等級制度を磨き上げたのです。一般的に学者たちは、信頼に値する伝承者たちからなる、預言者にまで遡る完全な伝承経路でない限り、真正なハディースとして認定しません。それ以外のものは、どういったものであれ脆弱なハディースとして却下されるのです。
人はハディース学問を学ぶほど、アッラーがクルアーンにおいて明言されているように、預言者の教えが細部に至るまで保持されていることを確信することが出来るのです。その分野における専門家であり、その研究に生涯を費やすハディース学者がハディースの真正性に合意するとき、そこに議論や質問の余地はありません。私たちに唯一残されたことは、それを信じ、そのハディースの意味合いを日常生活において適用することに最善を尽くすだけなのです。
他の啓典との比較
一部の欧米人たちによって、預言者のハディースが言及される際は「伝説」といった誤解を与える用語が使われるのが一般的です。これはただちに、でたらめで非学問的な伝承といった印象を与えます。上記で仄めかされたように、現実は完全に異なります。それゆえ、この「伝説」という単語の使用は、ハディースが保持されていなかったという印象を与える目眩ましに過ぎません。別の一般的に用いられる説明は、ハディースの保持が、福音書のそれと似たようなものだったというものです。
これは明らかに、多くの人々に間違った印象を与えかねない狡猾な表現です。事実、大勢の改宗者たちは福音書を学習し、それらの信頼性がいかに低いかを知っています。これこそが、彼らがキリスト教以外の宗教を探求し出した原因なのです。それゆえこういった表現は、彼らのハディースへの信念を揺らがせます。
揺らぎない真実とは、預言者のハディースの詳細かつ科学的な保持と、初期の諸啓典(旧・新約聖書)とは対等な比較が出来ないということです。初期の諸啓典の保持法(またはその欠落)に関するごく簡潔な説明でさえ、ハディース保持のそれとの明瞭な差を指し示すのに充分だからです。
トーラーの歴史に関する長い議論を終えたあと、ダークスはこう結論付けています:
我々の手元にあるトーラーは、一冊の単一的な書物ではありません。幾層にも重なる、切り取りと貼り付け作業の繰り返された編纂書なのです。トーラーが象徴するともいうべき、元来の啓示を下されたモーゼが生きた時代は紀元前15世紀とされ、大目に見積もっても紀元前13世紀以降には生きていませんでした。そして私たちの手許にあるトーラーは、その時代よりもはるか後のものなのです。識別可能な最古のトーラーの断片は、紀元前10世紀のものであり…さらに、異なる断片同士が組み合わされたのは紀元前およそ4世紀のことで、それはモーゼの死後1,000年も経ってからのことでした。また、トーラーは一度も標準化されたことがなく、西暦1世紀、つまりモーゼの死後1,500年後には4つもの異本が存在していました。それに加え、もしもマソラ本文を公式なトーラーのテキストであると見なすのなら、現存する最古の写本は西暦895年、つまりモーゼの死後2,300年も経った時代のものなのです。つまり、トーラーには元来のテキストが一部混ざっているかも知れませんが、その典拠の大半は不明であり、モーゼに遡るものであるとすることは到底出来ません。
イエスはモーゼの数世紀後に現れましたが、彼の受けた啓示も同じ運命を辿りました。 Fellows of the Jesus Seminar(フェローシップ・オブ・ジーザス・セミナー)と呼ばれるキリスト教学者による団体が、イエスの言葉のどれが実際に真正のものかを分析したところ、“福音書において彼の言葉であるとされるものの82%は、実際には彼によるものではない。”2と結論付けています。福音書の歴史に関しても、彼らはこのように述べています:“揺るぎない事実として、ギリシャ語福音書は1世紀の創作から3世紀初頭にその写本が発見されるまで、その歴史が知られておらず、未知の領域なのである。”3バート・イーアマンの著書The Orthodox Corruption of Scriptureでは、啓典が時間と共にいかに改変されてきたかが分析されています。彼の論文では、詳細とともに次の主張が証明されています:“私の論題は単純に、次のように述べることが出来る:律法学者らはたびたび彼らの聖典に改変を加え、自分たちの主張をより明白に正当化し、異端的な視点を持つキリスト教徒らによる使用を妨げようとしたのである。”4 信条とは伝達されたテキストに基づくべきものであり、信条に沿うよう改変されたテキストであってはならないのです。
クルアーンに関する備考
クルアーンとは、預言者の言行録とは極めて異なる性質のものです。当然ながら、言行録の総量は膨大な数に及びますが、クルアーンは非常に限定的です。クルアーンは分厚い本とは言えませんし、預言者ムハンマドの時代から記憶と筆記の双方によって保持され続けて来ました。他の宗教界に見られた堕落を恐れた預言者の教友たちは、その多くがクルアーンを全暗記し、いかなる歪曲からも守られるような必要措置を取りました。預言者の死後まもなく、クルアーンは一冊にまとめられ、テキストの純潔性が保たれるよう、その後すぐに公式な写本が各地に配布されました。現在に至るまで、世界のどこかの国へ行ってクルアーンを手にとってみれば、他のものと全く同じクルアーンを見出すことが出来るのです。クルアーン保持の任務と、大量にあるスンナの保持とは比較の対象にすることが出来ません。それゆえ、当時のムスリムたちの姿勢からも見て取れるよう、クルアーンが完全に保持されていることはそれほど驚くことでもないのです。
Footnotes:
1 M. Z. Siddiqi, pp. 4-5.
2 Robert W. Funk, Roy W. Hoover and the Jesus Seminar, The Five Gospels: What did Jesus Really Say? (New York: MacMillan Publishing Company, 1993), p. 5.
3 Funk, et al., p. 9.
4 Bart D. Ehrman, The Orthodox Corruption of Scripture: The Effect of Early Christological Controversies on the Text of the New Testament (New York: Oxford University Press, 1993), p. xi.
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