シーア思想 ― シーア派とイスラーム(2/2)

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説明: イスラームの信条、神への信仰といった問題におけるシーア思想およびシーア信奉者の相違点。第二部:信仰証言、過去の聖典、クルアーン、そして諸預言者に対しての彼らの相違点。そしてイマームの継承に基づいた宗教。

  • より IslamReligion.com
  • 掲載日時 06 Dec 2009
  • 編集日時 21 Oct 2010
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信仰証言

シャハーダ(信仰証言)― 神以外に崇拝に値するものはなく、ムハンマドはかれのしもべであり、使徒である(ラー イラーハ イッラッラー)―とはイスラーム第一の柱であり、イスラーム信仰を肯定する最重要な基幹でもあるのですが、シーア思想はここに関しても相違点を見ます。この証言はイスラームにおける最も重要な側面であり、その全てが成り立っている土台ともいえる、独自の完全一神論と神への信念を具現化するものです。そしてその重要さは、預言者が死の床にある彼の叔父に対してその証言をするよう頼んだことからもうかがい知る事が出来るでしょう:

“叔父さん!私があなたのことをアッラーの御前で弁護することの出来るよう、‘ラー イラーハ イッラッラー’と証言してください!”(サヒーフ・ブハーリー)

しかし結局のところ彼の叔父は、死の間際に先祖から伝わる宗教を変えることによって人々が彼に対してどう言うかを恐れ、その証言をしませんでした。そして彼の死後、預言者は啓示によって、彼が火獄の住人となったことを知らされたのです。

この証言とそれに必然的に伴うものの重要性は、預言者がそれを天国における永久の生命への手段の一つと定めたことを見ても知ることが出来ます。彼はこう言っています:

“死ぬ前に‘ラー イラーハ イッラッラー’と言い、それに忠実なまま死んだ者は、楽園に入るのだ。”(サヒーフ・ブハーリー)

こうしてこの証言はイスラーム第一の柱とみなされ、またそれによって人は信仰者となり、天国に入る機会を与えられるのです。

しかし、シーア信奉者にはこれとは異なった‘信仰証言’があります。以前の記事でも示したように、彼らは神以外のものを神と並べて配することによってその意味を否定するだけでなく、権威ある典拠には存在しないような原理を新たに付け加えたのです。彼らのシャハーダは、次のような供述となっています:“神以外に崇拝に値するものはなく、ムハンマドはかれのしもべであり、使徒である。そしてアリーはかれに愛された者、選ばれた者であり、預言者の後継者である。”[1]

この付加は、彼らがその思想の起源をそこに帰属させるところの、預言者ムハンマドの従兄弟アリーに関する極端な思想に由来します。更にシーア信奉者は、過去の諸預言者に下された啓示にさえもまた、アリーの継承権が述べられていると主張しています[2]。彼らは審判の日、全人類はアリーの継承権に関して質問され[3]、そしてそれを認めていなかった者は多神教徒と見なされるとも主張します[4]。実際アリーは、預言者の教友たちの中でも最も敬虔な者の一人として知られていました。しかし預言者ムハンマドがその存命中に、彼を後継者として指名したという伝承はどこにも見当たりません。更にはシーア思想初期の著述を見てみると、彼ら自身この信条を、背教者アブドッラー・ブン・サバアに帰しています。この人物は第三代カリフ・ウスマーンの暗殺を企み、更にはアリーが神自身であると主張した[5] 男です。それゆえこれらの信条は、預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)によって説かれたものではないことは明白であると言えます。

諸啓典への信念

神は諸預言者に啓典を啓示し、彼らはそれを人々に伝え、朗誦したとクルアーンの中で述べられています。これら諸預言者と諸啓典の一部は、クルアーンによっても触れられています:

“言え、「私たちはアッラーを信じ、私たちに啓示されたものを信じます。またアブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブと諸支部族に啓示されたもの、モーゼとイエスに与えられたもの、主から預言者たちに下されたものを信じます。彼らの間の誰にも、差別をつけません。かれに私たちは服従、帰依します。」”(クルアーン2:136)

“かれ(アッラー)は真理をもって、あなたに啓典を啓示され、その以前にあったものの確証とし、また(先に)律法(トーラー)と福音(ゴスペル)を下され、・・・”(クルアーン3:3)

諸預言者こそが啓示を授けられたのであり、この事実によりムハンマド(彼に神の称賛あれ)が最後の預言者とされ、ゆえにクルアーン以後に新しく啓示が下ることはもう有り得ません。しかしながらシーア信奉者たちは預言者の逝去前に、‘ファーティマの碑板’と呼ばれるクルアーン以後の新しい啓示があったと信じているのです。そして彼らはその中に、将来彼らのイマームとなる人物たちの名前が記されていた、とさえ主張しているのです[6]

彼らは、彼らが主張している見解をクルアーンの中に見出すことが出来なかったため、それらの概念を新たに生み出しました。彼らはそれだけに留まらず、クルアーンは完全な形では保存されておらず[7]、現在のクルアーンは不完全である、と大胆にもその信頼性に挑戦しています。そしてその完全版は過去900年間‘洞窟’の中で大幽隠中の12代目イマームと共にあり、それはそのイマームが現れた際にもたらされるのだと主張しています[8]。ここで明確なのは、このような信仰が本来のイスラームの教えに真っ向から反しているということでしょう。神はご自身で直接、クルアーンの保護をはっきりと謳っているのですから:

“本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。”(クルアーン15:9)

シーア信奉者たちがクルアーンの改変を主張するのは、そこに彼らの主張する教義が全く含まれていないためです。このような視点を最初にあからさまに主張し始めた者の一人は、ミルザ・フセイン・ムハンマド・タキー・アン=ヌーリー・アッ=タブラシー(ヒジュラ暦1320年没)という人物であり、彼の著書The Final Verdict on the Distortion of the Book of the Lord of Lords[9] にはそれが記されています。

またシーア信奉者たちはその極端な信条ゆえに、クルアーンの中にアリー(彼に神の満悦あれ)のための章を新たに設けようと試みました。それらの一つは、彼らが“継承の章”と呼ぶものです。

سورة الولاية المزعومة

(Picture:“継承の章”。両側にペルシャ後の翻訳が付いています。)

諸預言者への信念

前述したように、イスラームでは諸預言者が人類における最良の者たちであり、神の教えを人類に広めるため、その卓越した品格において神によって特別に選び抜かれた者たちであることを説きます。神はクルアーンにおいて述べられています:

“アッラーは、天使と人間の中から、使徒を選ばれる。本当にアッラーは全聴にして全視であられる。”(クルアーン22:75)

また諸預言者は人類の中でも最良の者たちであり、生きる模範だったと述べられています:

“われが使徒を遣わしたのは、唯アッラーの御許しの許に服従、帰依させるためである。”(クルアーン4:64)

しかしシーア信奉者は、彼らのイマームたちが諸預言者よりも優れていると信じており[10]、一部の預言者たちが高く称賛されたのは、彼らのイマームたちに対する愛情によるものだと言うのです[11]

本来のイスラームの教えとは異なるシーア思想の信条の全てを枚挙するのであれば、本が何冊も必要となります。しかしながらこの短い記事によって、シーア思想はその信条において本来のイスラームの教えに忠実ではなく、むしろイマームとして知られる偏愛を受けた特定の指導者候補問題に関する極端な思想であると同時に、時代と共に変化していった外来信仰の雑多な組み合わせであるということは明らかになったことでしょう。全預言者によって説かれた教えである神のみへの崇拝と、神の預言者たちによって教えられた方法に基づいた生き方を教える宗教は、アリーへの愛のみに基づいた人生と存在、そして彼とイマームたちが指導者であるという主張に変化し、そしてそれらはイスラームの原典に対する追加や改竄、または偽りの陳述を試みるという行為に繋がったのです。更にまた創造物の成立、諸預言者の使命と諸啓典の啓示は、アリーとイマームたちの継承権のみを目的としており[12]、審判の日には神ではなく、彼らのイマームが人々を審判するのだとされてしまいました[13]。シーア思想にとって、天国や火獄に入る基準というのが何なのかは想像に難くありません。

彼らの主張する、預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)の家族への愛に基づいた宗教は皮肉にも、彼によってもたらされた根本的教義とは離れたところへと彼らを導いてしまったのです。



Footnotes:

[1] Abdul Kareem Mushtaq.

[2] アル=クライニー、カーフィーの書、 1/437

[3] The Wilayat of 'Ali ibne Abi Talib (as), Answering Ansar.

[4] “誰でもアリー以外のイマームを配し、アリーのカリフ就任を遅らせる者は多神教徒である。”(Al-Kafi fil-Usool, vol.10 p.55)

[5] Rijaal al-Kishhi.

[6] アル=クライニー、カーフィーの書、 1/527-8、その他多数。

[7] ウスール・カーフィー、 1:228

[8] Al-Anwar al-Nu’maniah, 2: 360-2.

[9] Faslul Khitab Fi Tahreefi-Kitabi Rabbil Arbaab.

[10] Wasa’il As-Sheea.

[11] Bihaar al-Anwar (26:267).

[12] I’tiqaadaat (106-7)

[13] Rijaal al-Kishhi (337)

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