来世への旅路(5/8):不信仰者にとっての墓
説明: 死と審判の日の中間である墓の中での生命は、真実を頑に拒む不信仰者にとっていかなるものとなるか?
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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邪な不信仰者に死が近づくと、彼は火獄の熱のようなものを感じ取るようになります。やがて来るであろう苦しみの予兆は、この世での善行の義務を知りつつもそれを怠っていたことを彼に後悔させます。彼の後悔は何の役にも立ちません:
“だが死が訪れると、彼らは言う。「主よ、私を(生に)送り帰して下さい。私が残してきたものに就いて善い行いをします。」決してそうではない。それは彼の口上に過ぎない。復活の日まで、彼らの後ろには戻れない障壁がある。”(クルアーン23:99−100)
邪な魂には、彼から遠くに座っている、恐ろしく醜く暗い天使を介し、神の怒りと懲罰がもたらされます:
“煮えたぎる水、膿、そしてそれらを何倍も上回る激痛の吉報を受けるが良い。”(イブン・マージャ、イブン・カスィールの伝承)
預言者が述べられているように、不信仰の魂は彼の主との謁見を望みません:
“不信仰者に死が近づくと、彼には神による懲罰と報復の悪報が告げられ、彼にとっては先に待ち受けるものが何よりも忌わしいものとなる。それゆえ彼は主との謁見を嫌い、神ご自身も彼との謁見を嫌われるのである。”(サヒーフ・アル=ブハーリー)
また預言者はこのようにも述べられています:
“誰であれ、神との謁見を心待ちにする者との謁見を神は心待ちにされ、神との謁見を嫌う者との謁見を神は嫌われるのである。”
死の天使は墓に眠る不信仰者の枕元に座り、こう言います:“邪なる魂よ、アッラーのお怒りの前に出て来るのだ。”そして肉体から魂をもぎ取るのです。
“これらの不義の徒が、末期の痛苦の中で、天使たちが手を差し出して、「あなた方の魂を渡せ。あなた方はアッラーに就いて、真実ではないことを言ったりその印にたいして傲慢な態度をとってきたりしたことに、恥ずべき懲罰を載くのだ。」と言う時の姿をあなたに見せてやりたいものである。”(クルアーン6:93)
“あなたはもし天使たちが不信心な者たちの(死に際し)魂を取る時、その顔や背中を(如何に)打つかを見るならば(どうであろう)。(その時天使たちは言うであろう。)「火炙りの懲罰を味わえ。」”(クルアーン8:50)
天使たちによって、濡れた羊毛から絡まった串が抜き取られるかのように、邪な魂が肉体から抜き取られる際には多大な苦痛が伴います。1そして死の天使は魂を捕らえ、それはこの世で最も強く匂う死骸のような腐敗臭のする髪で編まれた袋に入れられます。そして天使たちは他の天使たちの集団のもとを通りかかり、こう尋ね合います:“誰だ、その邪な魂は?”彼らは答えます:“誰々の息子の誰々だ。”彼はこの世で呼ばれた最悪の名前で呼ばれます。そして彼が天界の最も低い層に連れて行かれると、彼のためにその門を開くよう要請されますが、それは拒絶されます。預言者はこれらの出来事を説明する際、この時点に差し掛かった時、次の節を朗誦しました:
“わが印を偽りであるとし、それに対し高慢であった者たちには、天の門は決して開かれないであろう。またラクダが針の穴を通るまで、彼らは楽園に入れないであろう。”(クルアーン7:40)
神は仰せられます:“最も低い地上で、彼の書をスィッジーンに記録せよ。”
そして彼の魂は下に向かって放り投げられます。この時、預言者(彼に神の慈悲と祝福あれ)は次の句を朗誦しました:
“アッラーに神々を配する者は、丁度天から落ちて鳥に攫われた者のようである。または風が、彼を遠い所に吹き攫った者のようである。”(クルアーン22:31)
邪な魂は肉体に戻され、ムンカル、ナキールと呼ばれる恐ろしい二天使によって尋問を受けます。彼を座らせると、彼らはこう問います:
ムンカルとナキール:“汝の主を答えよ。”
不信仰の魂:“ああ、ああ、分かりません。”
ムンカルとナキール:“汝の宗教は何か?”
不信仰の魂:“ああ、ああ、分かりません。”
ムンカルとナキール:“汝に遣わされたこの者(ムハンマド)に関して何と言うか?”)
不信仰の魂:“ああ、ああ、分かりません。”
試練を乗り越えることの出来なかった不信仰者は、鉄の金槌によって山を粉砕する程の猛烈な力で頭を打たれます。その叫び声は天にまで届きます:“彼は嘘をついた。彼のために火獄の絨毯を広げ、その門を開けよ。”2彼の墓は、火獄の燃え盛る炎によって床が照らされ、彼の体は左右の肋骨同士が絡み合う程に狭められ、押し潰されます。3そして、醜い衣服をまとい、不快な異臭を放つ、極めて醜悪な存在が不信仰者の魂を訪れ、こう言います:“汝を苛ますことに悲観するがよい。この日こそ、汝に約束されていた日なのである。”不信仰者は尋ねます:“その醜い顔で悪をもたらすお前は何者だ?”醜悪な者は答えます:“我こそは汝による悪行である。”そして毎朝毎夕、火獄への門が開かれる前に、不信仰者は彼が誠実な人生を送っていれば、楽園で彼の住処になるはずだったものを見せつけられ、深い悲しみに陥ります。4アッラーはかれの書において、ファラオの民がいかに邪悪であったかを述べられていますが、彼らは今この瞬間も、墓の中の火獄による懲罰によって苦しんでいるのです:
“彼らは朝にタベに業火に晒され、それから時が到来するその日、「ファラオの一族を、最も厳しい懲罰に投げ込め。」(と仰せられよう)。”(クルアーン 40:46)
恐怖と嫌悪感、不安と絶望に打ち負かされる不信仰者は、墓の中でこう求め続けます:“私の主よ、最後の時をもたらさないでください。最後の時をもたらさないでください。”
教友の一人であるザイド・ビン・サービトは、ある時預言者ムハンマドと彼の教友たちが多神教徒の墓地を通り掛かっていた際、預言者の馬が突然駆け出し、彼が落ちそうになった逸話を語りました。その時、預言者(彼に神の慈悲と祝福あれ)はこう述べました:
“これらの人々は墓の中で拷問を受けているのだ。あなた方が故人の埋葬を止める恐れがなければ、私(とこの馬)に聞こえている墓の懲罰をあなた方が聞こえるよう神に頼んだのだが。”(サヒーフ・ムスリム)
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