ジョナサン・ビール 英国出身の元カトリック信者(上)

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説明: トラウマだらけの過去を持つ、若い英国人男性による改宗記。

  • より ジョナサン・ビール
  • 掲載日時 25 May 2015
  • 編集日時 25 May 2015
  • プリント数: 23
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Jonathan_Beale__Ex-Catholic__UK_(part_1_of_2)_001.jpg1987年の5月2日、私は英国に生まれました。両親は私はジョナサン・ビールと名付けました。父の名はジョン・メーソンといいますが、公的補助をより多く受け取ることができるよう、私には母方の名字が与えられました。

両親はいずれもヘロイン中毒者でした。私は父が母を殴っているのを何度も目撃しましたし、彼は時には自宅に他の女性たちを連れてきたものでした。注射針の山をかき分けたり、奇妙な人々が自宅の公営住宅に出入りするのは私にとっての日常でした。

私の思春期は容易なものではありませんでした。公的機関が介入し、私は一時的に児童養護施設に預けられました。

なぜかは分かりませんが、私は神の概念というものを知っていました。母方は大家族だったため、死の概念には何度も遭遇していました。私の国は「文明化」しているものの、祖父は第二次世界大戦の苦難な時期に生きていました。

祖父の友人たちは皆戦死を遂げ、彼自身も二度に渡って銃撃を受けており、重い戦争後遺症にかかっていました。彼は落下傘兵だったため、ナチスの支配地域に何度も降下していました。

戦後、彼は祖母と7人の子をもうけました。彼らは信仰深かったものの、戦争のあとには何も残されておらず、母によると祖父は子供たちへ日常的に体罰を加えていたそうです。

いずれにせよ、何らかの要因が家族の中で精神病の大きな伝染を引き起こしました。母は妄想型統合失調症と診断され、私は子供ながら誰も自分たちに陰謀を企ててはいないということを説得しようとしていました。彼女は狂気じみたことを繰り返し、何度も地元紙に載ったほどでした。そのため、私は学校でいじめに会いました。

祖父は私が4歳のときに他界しました。そのとき、「神」について最初に耳にしました。覚えている限り、祖父は私に対してはいつもとても優しかったため、私が彼について聞いていたことが真実であるかどうかは分かりません。

それゆえ、私は彼が天国にいるのだと思うことにし、それ以来、常に神は私と共にあるのだと感じていました。両親の状況が困難な際、私は一時的に児童養護施設に預けられましたが、祈るようになったのはそのときからです。どうやるのかを誰かに教えられた訳ではありませんが、神はいつも自分のことを聞いていくれているのだと確信しており、自己流で祈っていました。

私がまだ若いとき、従兄弟は鎮痛剤の大量摂取によって自殺をしましたが、そのときに初めて葬儀で涙を流しました。叔父も原因不明の死に至っていますが、重い精神病を患っており、過酷な人生を歩んでいたことは知っています。彼が来世では良き場所にいることを願っています。

これらの出来事にも関わらず、神への信仰は私の魂の奥底にしっかりと根ざしていました。7歳のとき、父が発作を起こしアパートを滅茶苦茶にしたとき、福祉事業は私の環境があまりにも不安定であるとみなし、私の身柄を祖母の家に移しました。

その後、母は妹のサリーを産みました。当時、私はまだ実家を定期的に訪問していたため、妹と会うのが楽しみで仕方ありませんでした。多くの兄弟は喧嘩ばかりしますが、私は妹をとても愛しており、生まれたばかりの彼女は知らなかったでしょうが、彼女とは一心同体であると感じていました。不幸にも、福祉事業は環境を危険とみなし、彼女を児童養護施設に送ってしまいました。

その後、祖母が私を引き取るよう要請され、私は彼女の家に住むことになったのですが、妹が1歳になったとき、福祉事業は私たちが彼女と関わらないことが最善だと判断し、彼女は遠い場所の匿名の里親の元へ引き取られてしまい、それ以来未だに彼女とは会っていません。

当時の私はとても悲しみ、いつも彼女のことを考えていました。いずれは連絡してくれないかと期待しています。もし一緒に成長できれば仲の良い兄妹だったに違いないとは思いますが、私は過保護な兄になったかもしれません。現在、彼女はまだ未成年であるため、(自ら連絡を取ることのできるようになる)18歳になるまでは数年の時間がありますが、もしも再会が叶えば失われた時間を取り戻したいと思っています。

11歳のとき、私は全寮制の学校に送られました。貧しい家庭の出身だったため少しいじめられましたが、全体的には良い経験をすることができました。しかし私は問題児で、薬物やアルコールに手を出すようになり、4度停学になりました。

私が退学にならなかったのは幸運でした。試験で5つのCと3つのBを取ったからでしょう。授業には殆ど出ていなかったのにそうした成績が取れたことに誰もが不思議がりましたが、将来的にそれらの成績は重要なものになりました。

問題を多く抱えてはいたものの、神への信仰は薄れませんでした。12歳のときにはローマ・カトリック教徒になることに決め、学校側はレッスンを組んでくれました。それらのレッスンには殆ど注意を払わなかったものの、神の概念には魅せられており、教会に行くことも大好きでした。

学校を退学すると、問題に拍車がかかりました。マリファナを吸い始めたときはいわゆるハード・ドラッグだけはやらないと決め込んでいましたが、やがてコカイン、エクスタシー、スピードなどにも手を出すようになり、それが人生そのものになってしまいました。

私は中毒になっており、楽しさのあまりそうした人生に生き甲斐を見出していました。また頻繁に飲酒しており、警察ともたびたび問題を起こしました。私は友人と駐車中の車を破壊したり、麻薬を売ったりとやりたい放題でした。英国の刑事司法制度は寛大で、懲罰というものは存在しないも同然です。

最終的に、ある人物を刃物で突き刺すと脅迫した後、私は刑務所に入れられました。それは私の人生を変えました。それは生ぬるい休暇のキャンプのようなものに過ぎませんでしたが、私は犯罪者のままではいたくありませんでした。そうした環境からは出なくてはなりませんでした。

1日3食のおいしい食事、テレビのある部屋、毎日使えるジム施設、大学への進学の道、毎週日曜日の教会、そして何よりも私に多大なストレスを与えていた家族から遠ざかれた私は、それまでの人生で最も良い生活を送っていました。

ただ、私は普通の家族というものに憧れていました。家族が一緒に買い物をしたり、誰かの家でお茶会をしたりする光景を目にするのは喜ばしいものでしたが、心の底ではそれに嫉妬していました。

私にとっての主たる問題はアルコールでした。私はアル中ではなかったものの、飲んだときは必ずといって良い程問題を起こしました。目を覚ますと二日酔いの状態か警察の留置所かのどちらかでしたし、身体中が喧嘩による傷や痣だらけのときもありました。

刑務所の中ではそれらのこと(や麻薬の摂取)から離れ、健康状態も良好でした。私はその状態を出所後も維持したいと願いました。

 残念ながら、出所後にも凶悪傷害事件における法廷での聴聞会に出なければなりませんでした。自分がやってもいないことに4年の懲役が科される可能性がありました。

私の「友人」のトレーナーには、血痕と皮膚細胞の証拠が残されており、彼は自らの有罪を認めました。私は法廷で彼がやったのかどうか尋ねられました。それ以前、彼はすでに罪状を認めていたので、是認したとしても別に害はないと思っていました。弁護士によると否認した場合、友人は罪状を既に認めていたため彼を救うことにはならないと助言しました。彼は「なぜ4年間も服役しようと思うのか」と言いました。私は友人に電話をかけ、そのことについて説明し、彼の了承を得ました。

私はこれらの出来事を通して私と共にいてくれた、メリッサという美しい女性と付き合っていました。法廷での裁判の後、「友人」の家族は、彼が刑務所行きになったのは私の責任であるとして噂を流し、私は絶えず喧嘩や中傷に巻き込まれるようになりました。

私の彼女はどこか他の場所で新しいスタートを切ろうと言ったため、私もそうすることにして引っ越しの準備を始めました。しかし私たちの関係は既に軋みが生じており、彼女は私と付き合いきれなくなっため、ほとんど全てのしがらみを断ち切ってその土地を去ることにしました。

私には、直ちに断交すべき友人たちがいました。彼らは相変わらず同じことを続けていましたが、私は人生をやり直したいと思っていました。

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ジョナサン・ビール 英国出身の元カトリック信者(下)

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説明: いかに彼が神に帰依し、イスラームを受け入れたかについて。

  • より ジョナサン・ビール
  • 掲載日時 25 May 2015
  • 編集日時 25 May 2015
  • プリント数: 20
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  • 評価: 3.4 から 5
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私は家族と連絡を取らなければなりませんでしたが、私にとって地元はちょっとした紛争地域のようなものでした。そのため、もしも彼らが私に会いたいのなら、私が行く代わりに彼らが私を訪れるようにしてもらいました。私は大学に通い始め、初等クラスを開始しました。他の生徒達は皆高校から入ってきた人ばかりだったので、私は彼らと比べると遅れていましたが、中等教育一般証明書を持っていたため入学することができました。働きながら勉強し、自炊や掃除などもしながら2年間の予備コースを3年かけて卒業することができました。他の学生たちはまだ両親と実家暮らしだったので、彼らと比べると私には多くの責任があったのですが、人生は良い方向に向かい始めていました。まだ習慣的ではなかったものの、教会にも通うようになりました。私の教会の牧師だったフライアー・ケビン師は、偉大な人物でとても尊敬してはいましたが、祈るときには神だけに祈り、イエスのことは頭にありませんでした。私はイエスに崇敬の念を抱いてはいたものの、彼が私の声を聞き届けたり、この地上にいるのだということを感じ取ることはできませんでした。

私はイスラームを憎悪し、他の知り合いの英国人たち同様、ムスリムたちを「敵」と見なしていました。それまでにムスリムたちと出会ったことはあり、彼らは親切でしたが、テロは悪であり、自国の軍隊は世界を救う英雄だと思っていました。

両親は私に数々の問題をもたらしましたが、私は彼らを赦しました。やがて父も人生を好転させるようになりました。彼は7年間に渡ってロンドンで路上生活をしていましたが、住宅をあてがわれ、麻薬も止めてきちんとした生活をするようになりました。彼が連れて行ってくれたモロッコ旅行で、ムスリムたちが信じられない程親切な人々であることが分かりました。私の人生そのものが方向性を変えました。私は即座にイスラームと恋に落ちたのです。

大半の人々は、私が洗脳を受けてムスリムにされたと思い込んでいますが、実際はその逆で、私自身が進んで質問を繰り返したのです。彼らは私をもてなしてくれた親切な人々に過ぎません。私は帰国後さらに関心を持ちました。私はキリスト教における神の概念を愛してはいましたが、その宗教について学ぼうという情熱を持ったことはありませんでした。

フライアー・ケビン師が説得力のある議論をしたように、私は妊娠中絶に反対していましたが、バイブルの物語を最後まで聞くことはできませんでした。時には、座り込んでバイブルを何時間も読み耽ることもありましたが、その文化的背景に関しては全く理解できませんでした。一方で、イスラームは完璧に見えました。イスラームによるアルコールの禁止は的を得ていますし、私の若い頃はそれを証明します。当時の厄介事は「ハラーム(イスラーム法において非合法なものごと)」が原因でした。

私の人生の初期に欠落していた「家族観」というものが、極めて強調されていました。イスラームにはすべての答えがあると感じました。それは本当に神の言葉に違いないと思いました。なぜなら、クルアーンが1400年以上も前に啓示されているにも関わらず、私の人生の問題に対する答えを提供するからです。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)についても沢山の読書をし、多大なる尊敬の念を抱くようになりました。私は彼を模範とした人生を送りたいと思いました。キリスト教の教えは、私の心を奪うことができませんでしたが、イスラームについては何から何まで魅力的でした。

アッラーの使徒たち(彼らに平安あれ)全員について学び始めると、キリスト教徒としては怠ってきた、バイブルにおける諸使徒の物語を読み直すようになりました。どうしてそれまではきちんと読めなかったのかと不思議でした。

地域のムスリムを探すと、見つけることができました。私にとっては彼らこそがムスリム世界との唯一の窓口だったため、彼らと会うことにしました。彼らは非常に親切でした。私は他の国々にも旅行しており、キプロスでイスラームに改宗してダーウードという名前をもらっていました。帰国後、イスラームに関する知識に飢えていた私はアラビア語の音訳表記付きの英訳クルアーンを入手しました。私はまず一日2回から礼拝し始めました。そこで唱える言葉を知らなかったため、礼拝の所作だけを行い、その後少しクルアーンを読みました。

私は毎日、少しずつクルアーンを覚えることにし、まずは開端章としても知られるアル=ファーティハ章から始めました。礼拝中に唱えている言葉の意味はきちんと知るべきだと感じたため、アラビア語の英訳も学んだところ、およそ1週間かけて覚えることができました。次にアル=イフラース章に取り掛かりました。

祝福された月、ラマダーンがやってきました。毎晩、タラーフィーフ(夜間礼拝)をし、同胞たちと一緒に断食を解きました。それらの食事は素晴らしいものでした。そこの同胞たちの大半は白人の改宗者たちで、他にもインド人、何人かのマレーシア人と、その他のムスリム諸国出身者がいました。

私は自分の宗教にすごく愛着を持つようになり、自分の働く店にアジア人の風貌の客が来たとき、彼らがムスリムであることを期待しつつ「アッサラーム・アライクム」と挨拶したものでした。

彼らがムスリムでなかった場合、悪い結果になったかもしれませんが、幸いそういったことはなく、あるときはサラームの挨拶をくれたバングラデシュ人女性と出会いました。翌日、彼女は家族と一緒に店に訪れ、断食を解くための食事をくれたり、彼らの自宅に招いてアラビア語や礼拝の方法を教えてくれたりもしました。

現在、私は大学の卒業が間近です。今もより良いムスリムになろうと頑張っています。私の住む地域にはあまりムスリムがいませんが、バングラデシュ人女性のおかげでクルアーン朗誦やアラビア語能力が飛躍的に向上し、将来的な進路の変更もしました。

神の御意であれば、ムスリムのコミュニティへ引っ越し、イスラーム学とアラビア語を勉強し、ムスリムの家庭を持ちたいと考えています。今まではIT(情報技術)の分野に行こうと思っていましたが、今ではイスラームが私の人生を支配しています。私は毎朝アッラーに仕えるために起き上がり、非合法な行いから自らを遠ざけ、預言者ムハンマドの模範に追従するための真摯な努力をし、自らの宗教について学びたいと思っています。

私はとても幸福です。友人や家族は改宗を当初とても驚いていましたが、次第に慣れて受け入れてくれるようになりました。私は誰かが自分の信条を卑下することを拒みます。なぜならアッラーを信じ、ムスリムの同胞と共にこの信条を実践することは私の人間としての権利だからです。

今後も多くの試練が待ち構えています。私は良いムスリム女性を見つけて結婚し、彼女そして家庭を扶養しなければなりません。ITの代わりにイスラーム学を学ぶものの、それは私がアッラーを信頼していることをかれに示す良い機会であると感じます。

まだまだ多くの学ぶべきことがあり、私の教師はまだ私がイスラームでは「赤ん坊」同然であると言いますが、神の御意であれば、私はイスラームにすべてを託したいと思っています。また、英国のムスリムが私を助けてくれたように、彼らにお返しとなるようなこともしたいと願っています。

イスラームが私に与えてくれた「借り」を返すことなど決してできません。なぜなら、私はそこから真の素晴らしいものを見つけ、それは私に多くのものを与えてくれました。最近のものとしては、9,000ポンドの借金を返済することができました。なぜならムスリムは利子を払ってはならないため、私はクレジットカードやローンをキャンセルしたからです。また、クルアーンによる非常に明白な教えの中には、神の道に立ち返ることで社会の問題は容易に解決するという驚くべきものもあります。

イスラームは私に与え続け、あらゆる善きものはアッラーからもたらされます。私は幼少の頃に与えられた試練についてアッラーに感謝しています。それにより、私はアッラーに近づくことができたからです。そして私が犯した罪の数々については本当に後悔しています。アッラーが私の弱さをお赦しになり、より良い人物にしてくれますように。

ボスニア、パレスチナ、ソマリア、アフガニスタンなどの世界中の苦しんでいる同胞たちをアッラーが祝福してくれますように。アッラーが彼らを慰め、受ける試練がなんであれ、それによって祝福されますように。読者の皆様、これを読んで頂きありがとうございました。あなたがたのために祈っています。

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