ハッジ ― 人生一大の旅(1/2):アラファの日とその準備

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説明: ニィマ・イスマーイール・ナウワーブ(M・アブドッサラームによる編集)

  • より Nimah Ismail Nawwab (edited by M. Abdulsalam)
  • 掲載日時 21 Jun 2010
  • 編集日時 03 Jun 2024
  • プリント数: 332
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Hajj_-_The_Journey_of_a_Lifetime_(part_1_of_2)_001.jpg人類の5分の1が皆、共通の願望を抱いていることがあります。それは人生で最低でも一度、ハッジと呼ばれる精神的な旅を行なうことです。第一部:ハッジの紹介、そしてハッジで実際に行なわれる儀礼について。

ハッジ、もしくはマッカへの大巡礼は、その起源を預言者アブラハムにまで辿る、イスラームの中心的義務行為であり、それはあらゆる人種と言語からなるムスリムたちを一同に集める、最も感動的かつ精神的な経験です。

14世紀にも渡り、地球の隅々から数えきれない程のムスリム男女が、イスラーム発祥の地であるマッカへの巡礼を行なって来ました。この義務を遂行するにあたって、彼らはイスラームの“五柱” −つまり信仰者による宗教的中心義務の一つ − を果たすことになります。

神によって定められた巡礼の歴史的起源を、ムスリムたちは預言者アブラハムまで辿ります。クルアーンによれば、“神の館”であるカアバを建てたのは、アブラハムと彼の息子イシマエルであり、ムスリムたちはその方角に向かって一日五回の礼拝を捧げます。同様にハッジの儀礼を確立させたのもアブラハムであり、それは彼の人生における出来事、とりわけ妻ハガルと息子イシマエルに起こった出来事を回想させます。

“巡礼”と名付けられた章において、クルアーンは神による命令であるハッジの義務性、そしてこの慣行の永久性を説きます:

“われらがイブラーヒームのために、館の位置を定め(こう言った)時のことを思い起こすのだ。「何一つとして、われと一緒に配してはならない。そしてそこを周回する者のため、また(礼拝に)立ち、立礼し跪拝する者たちのために、われの館を清めよ。そして人々に、巡礼するよう呼びかけよ。彼らは汝の許に歩いて、またはどれも痩せこけたラクダに乗って、遠い谷間の道をはるばるやって来る。”(クルアーン22:26−27)

しかしながら、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)が啓示を受けた頃には、ハッジ元来の儀礼は多神教徒たちの慣習によって汚されていました。預言者は神による命を受け、元来の純粋な儀礼を復活させ、アブラハム由来のハッジを維持したのです。

Hajj_-_The_Journey_of_a_Lifetime_(part_1_of_2)_002.gifそのうえ、ムハンマドは信仰者たちにハッジの儀礼を自ら指導しています。彼は二通りの方法でそれを行ないました:自らの実践によるもの、そして彼の教友たちの実践を認可することによるものです。これによって儀礼には多少の複雑さがもたらされましたが、同時に巡礼者たちにとって有益となる、実践における柔軟性を提供したのです。例えば複数の儀礼では、その順番に関して変化をつけることが合法とされていますが、それは預言者自身がそのような行為を認可したことが記録されているからです。従って、ハッジ儀礼は詳細であり多数、かつ変化に富んでいるのです。そういった側面の一部を以下に挙げていきます。

マッカへのハッジは、資力の許す限り、成人男女にとって一生に一度は果たさなければならない義務行為であり、クルアーンの章句によれば、“そこにたどり着くことの出来る者たち”に課されたものです。未成年者にとっては義務となりませんが、実際には両親と共にやって来る子供たちもいます。

出発前、巡礼者はこれまでの全ての不正を修Hajj_-_The_Journey_of_a_Lifetime_(part_1_of_2)_003.gif復し、負債を完済し、自分自身の旅のため、そして後に残す家族を養うに十分な資金を蓄えた上で、ハッジを通して良い振る舞いが出来るように準備しなければなりません。

巡礼者たちがハッジの旅に出る際、彼らはそれ以前の何百万人もの人々の歩みを辿ることになります。昨今では70ヶ国以上からの信仰者たちが、陸路、海路、空路から毎年大挙して押し寄せ、過去に比べればずっと早く終わり、比較的困難ではなくなった旅を完遂させます。

19世紀までは、マッカへの長距離の旅は通常キャラバンに加わることを意味していました。主要だった三つのキャラバンは:カイロで結成されるエジプトのもの;バグダッドから出発したイラクのもの;そして(1453年以降はイスタンブールからの出発だった)シリアからのものであり、旅路の途中においても巡礼者たちを集め、ダマスカスからマッカへと旅立ったのです。

ハッジの旅は、順調に行っても数ヶ月間は必要とされたため、巡礼者たちは旅路を乗り越えるに十分な糧を携えていました。キャラバンでは必需品が入念に準備され、安全対策もとられていましたが、それは旅行者が裕福な場合に限られていました。一方貧しい者たちはたびたび食糧を切らしてしまうことがあったため、旅を一旦中止して働き、その稼ぎを蓄えてから旅路を再開しなければなりませんでした。こうした理由によって、一部のケースでは十年以上もの期間に渡る旅となったのです。当時の旅には数々の冒険(危険)が伴ったものです。公道はしばしば盗賊による襲撃の恐れがある危険な場所でした。巡礼者たちの通る道筋も、自然災害や病気などによる危険に晒されており、旅路では多くの人々が命を落としたものです。それゆえ巡礼者たちによる無事の帰還は、その家族にとって喜びに満ち溢れた、感謝すべき出来事となったのです。

マッカのマディーナの神秘性に惹かれた西洋人たちは、その多くが15世紀以来、巡礼の行なわれる二大聖地を訪れています。彼らの一部はムスリムに偽装して、また一部は本心から改宗してその義務を果たしました。しかし彼らは皆、例外なくその経験によって心を動かされ、多くの者がその旅の印象、またはハッジ儀礼を魅惑的な記述で記録しているのです。ハッジ旅行記は数多く存在し、巡礼者たちの出身地ほどの多様な言語で記されています。

巡礼は毎年、ムスリムの採用する太陰暦の12月である、ズル=ヒッジャ月の8日から13日までの間行なわれます。そこでの最初の儀礼はイフラームの状態に入ることです。

男性によって着用されるイフラームとは、白く継ぎ目のない二枚の布またはタオルによって構成される衣装であり、その内の一枚は腰から膝頭までの下半身を覆い、もう一枚は肩の上に掛けられます。これは、アブラハムとムハンマドの双方によってされていた身なりなのです。女性に関しては、彼女らの日常的服装によって行なわれます。男性は頭部を露出させなければなりませんが、男女を問わず日除けがさの使用は認められています。

イフラームとは純粋さを表すシンボルであり、同時に悪や世俗の放棄を意味します。また、それは神の御前における人類の平等性をも表します。巡礼者がこの白い衣装を身につけると、その人物は儀礼的に清浄な状態に入ることになり、口論およびに人間または動物に対する暴力、また夫婦間の肉体関係などといった行為が禁じられます。一旦このハッジの衣装を身にまとうと、巡礼者は剃髪、爪切り、貴金属や宝石を身につけることが出来なくなり、要求される儀礼の終了まで、この縫い目のない衣を着用し続けなければなりません。

既にマッカに在住している巡礼者たちは、イフラームを身につけることによりハッジの開始となります。事前に遠方から到着していた一部の巡礼者たちは、イフラームの着用と共にマッカへ入り、その状態を保つことが出来ます。イフラームの着用は、ハッジにおける主要な祈願であるタルビヤと共になされます:

“あなたへと馳せ参じます。アッラーよ、あなたへと馳せ参じます。あなたへと馳せ参じます。あなたに同位者は一切存在しません。あなたへと馳せ参じます。称賛と恩恵と主権は、同位者なきあなたにこそ属します。”

旋律的でとどろくようなタルビヤの大合唱は、マッカだけでなく、ハッジの行なわれる隣接する聖地にも響き渡ります。

ハッジの初日、巡礼者たちはマッカを出発し、東に隣接する地であるミナーを目指します。群衆がミナーに到着すると、彼らは預言者が巡礼で行なったように、一般的に唱念や礼拝を行なって時を過ごします。

二日目であるズル=ヒッジャ月9日に入ると、巡礼者たちはミナーを離れアラファの平野へと移動し、そこで一日を過ごします。これはハッジにおける中心的儀礼です。その地において合同することは、審判の日を思い起こさせます。また彼らの内の一部は、預言者によって宗教、経済、社会、政治の改編が宣言された、かの有名な‘別れの説教’が行われた慈悲の山へと集います。ここで巡礼者たちは、崇拝行為や祈願に身を捧げ、感情的に高揚する場面となります。多くの人々は神の赦しを乞い、涙します。この聖地において、彼らは慈悲深き神の存在とその近さを肌で感じ、宗教的人生の最高潮を迎えるのです。

英国人女性として最初にハッジを行なった、イヴリン・カボールド女候爵は、巡礼者としてアラファの地で感じたことを1934年に記しています:

“そこでの強烈な光景を表現するには魔法のペンが必要ですが、人類の集合体において、私はたった一つのちっぽけな個人であることを痛感し、宗教的情熱の中の熱気においては完全に周囲を見失っていました。多くの巡礼者たちの頬には涙がつたっており、またある者は、この情景を過去数世紀に渡って何度も目撃して来たであろう星のきらめく夜空を仰いでいました。輝きに満ちた目、熱烈な懇願、礼拝で差し伸ばされる謙虚な両手は、かつてなかった程に私を感動させ、強い精神的高揚の波へと私を飲み込みました。私は崇高な行為である、至高者の意志への完全なる服従、すなわちイスラームにより、巡礼者たち全体と一体化したのです。”

彼女は巡礼者たちがアラファに立つ際に感じる、預言者への敬愛をこのように表現しています:

“・・・花崗岩で出来た柱の隣に立つと、聖地に着いたのだという実感が沸きました。私は涙する群衆を通し、1300年以上も前に預言者が最後の説教を行なっているのを心の目で見た気がしました。私はここに広がる平野において、多くの説教師たちが数えきれない程の群衆を相手に話すのを心に思い浮かべました。これこそが大巡礼における絶頂点なのです。”

預言者は、アラファに集まる巡礼者たちの罪が赦されるよう祈願し、それが神に認められたということが報告されています。それゆえに巡礼者たちは、この平野での儀礼を終えることの出来るよう喜々として取り組み、罪なく生まれ変わったような状態で、希望に満ちた新たなる人生の一頁を始めるのです。

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