預言者フードの物語
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 10 Feb 2014
- 編集日時 07 Jul 2014
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ムスリムが、ユダヤ教やキリスト教において信じられている預言者たちの多くを、彼らと同じように信じているという事実に、沢山の人々は驚くでしょう。ノア、アブラハム、モーゼ、イエス、そしてその他の多くがクルアーンの随所に登場するのです。啓典の全て、そして神の預言者を全員信じるということは、イスラームの必須信仰箇条の内の2つなのです。それゆえ、ムスリムはモーゼのトーラーとイエスの福音書(インジール)をどちらも認めるのです。しかしながら、それらの啓典には改竄の手が加えられていたり、時代と共に失われた個所も存在していることから、その中のクルアーン、そして預言者ムハンマドにまつわる真正な伝承において確証されている部分だけをムスリムは信じています。
旧約聖書では、エベルと呼ばれるノアの子孫について言及されています。一部の伝承では、彼はヘベルと呼ばれ、ヘブライ語の父として知られています1。イスラームにおいて、彼はフード2として知られ、アラブの4人の預言者たちの内の一人です。他の3人はサーリフ、シュアイブ、そしてムハンマドです。14世紀の著名なイスラーム学者イブン・カスィールによると、イブン・ジャリールもフードがノアの子孫であることを主張したとしています。
神によって人々のもとに遣わされたフードは、神は唯一であり、神のみを崇拝せよという教えを広めました。それは、すべての預言者たちによって説かれたものと同じ教えなのです。フードは人々にこう言いました。“わたしの人びとよ、アッラーに仕えなさい。あなたがたには、かれの外に神はないのである”(クルアーン11:50)フードは、アードという古代文明に属しており、その首都はウバル、またはクルアーンにおいてイラム(89:6−7)として知られる街でした。
アードは、オマーンとイエメンの国境辺りの丘陵地帯に存在していたといわれます。人々は高い建築物を建てたため、その地域は「千柱の地」として知られるようになったとされます。そこでは独自の文明が繁栄していました。神はアードとその民を祝福し、そこを肥沃な地とし、人々は子宝に恵まれ、農業を発展させ、十分な家畜と水資源への容易な手段が与えられました。人々は身長が高く、屈強であったと述べられています。
アードは、裕福な現代社会と多くの点で共通していると言えるかも知れません。そこは富で溢れ返り、尊大で傲慢な人々は基本的な必要性を満たすだけでは満足しませんでした。彼らはただ単に富を誇示するために高い塔や住居を建て始め、現世で永久に生き続けるかの如く、金銭や品物を溜め込んだのです。
アードの為政者や指導者たちは、強力な独裁をしき、その発展と共に周辺地域をも支配下に置くようになりました。彼らの中には悪魔が潜んでおり、彼らの行為を彼らにとって見栄えの良いものに見せかけました。彼らは尊大さ・傲慢さを増し、やがては偶像崇拝が蔓延することになりました。
預言者フードも屈強な人物でしたが、彼はその強さを社会に蔓延る諸問題の解決に用いました。しかし、人々は彼の話に耳を傾けるには傲慢すぎました。彼らはフードが問題を指摘することを望まず、正義と公正への呼びかけを拒絶しました。彼はこう言ったのです。
“わたしの人びとよ、あなたがたの主の御赦しを請い求め、悔悟してかれに返れ。かれはあなたがたの上に天(から雲)を送り、豊かに雨を降らせ、あなたがたの力に更に力を添えられる。だからあなたがたは背き去って、罪を犯してはならない。”(クルアーン11:52)
フードは人々に、彼らの反抗的で傲慢な態度からの神の赦しを請い願うことは、強さと富を増加させることであると説明しようと試みました。神は彼らの悔悟に対し、豊富な雨と強さの増加で報奨をするだろうと彼は言いました。アードの人々は傲慢な者が常々そうするように、軽蔑のまなざしでフードを見やり、周囲を見回して自分たちが現存する最も強力な国家であることを確認しました。
アードの裕福で傲慢な人々は、フードと審判の日について議論しました。彼らは死後、身体は塵となり風によって吹き飛ばされると信じていました。アードの人々は多くの現代人と同様に、人生の目的とは富や名誉、所有物の蓄積であると信じていました。彼らの人生の現実を直視させ、彼らが唯一なる神からは程遠いことをフードが指摘すると、彼らの傲慢な胸はプライドで膨れ上がり、フードのことを狂人だと非難し始めました。
“わたしたちには、現世の生活の外はないのです。わたしたちは死んでまた生きかえるでしょうか。わたしたちは、決して甦らされることはないのです。かれはアッラーに就いて、虚言を捏造した只の人間に過ぎません。わたしたちは、かれを信じません。”(クルアーン23:37−38)
アードの人々は、フードにこう言いました。“フードよ、あなたはわたしたちにたった一つの明証すら、齎さない。わたしたちは(単なる)あなたの言葉のために、わたしたちの神々を捨てない。またあなたの信者にもならない。”(クルアーン11:53)フードは神に立ち返り、人々との関係を絶ちました。彼は神の懲罰が迅速かつ熾烈であることを知っていたのです。一度は肥沃で豊穣だった土地を干ばつが襲いました。人々は空を仰いで雨の兆候を伺いました。それが懲罰であることは明白でしたが、アードの人々は依然としてフードに嘲笑を浴びせ続けました。
ある運命の日、天候が急変しました。焼けつくような暑さは、凍てつく寒さとなり、嵐が吹き荒れました。猛烈な暴風は日に日にその勢いを増し、人々は避難所を探し求めました。暴風は一週間以上に渡って猛威を振るいました。それは住居を破壊し、衣服や皮膚までを切り裂いたのです。
彼らは、神によって7晩8日続けて処された暴風にさらされて壊滅し、人々はあたかも朽ちたヤシの木の幹のように倒れていました(クルアーン69:6−7)。
イブン・カスィールによると、暴風は豊穣な土地だった地域全体が砂漠の中の埋もれた廃墟となるまで続きました。フードと彼の追従者の小さな集まりだけが助かり、彼らは現在のイエメン・ハドラマウト地方に移り住んだとされています。
エピローグ3
ウバルは、有力で豊かな人々の住んだ砂漠のオアシスであり、当時の貿易の要でした。伝説によれば、そこは巨大な砂嵐によって埋もれてしまったとされます。1992年、「失われた伝説の都市」は、センサーなどの近代機器を駆使して発見されました。衛星写真は、広範な砂丘の下に埋もれた道があることを指し示しました。現在、ウバルでは遺跡の発掘作業が進められており、そこは9メートルの塔や分厚い壁に囲まれた、八角形の城壁を擁する都市だったということが明らかになっています。
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