真贋を見極める者、ウマル(2/3):共同体への尽力
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 25 Feb 2013
- 編集日時 25 Feb 2013
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ウマル・ブン・アル=ハッターブは強固かつ自己主張の強い男で、過去にその心はイスラームへの憎悪で燃え上がっていました。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)による神への嘆願と、クルアーンの荘厳なる美しさは、彼のすべてを変えました。ウマルがイスラームを受け入れると、彼はムスリムとしてムハンマドのウンマに奉仕し、ウンマが喜ぶことを喜び、ウンマが悲しむことを悲しむようになったのです。
ウンマとはアラビア語で「共同体」を意味する言葉ですが、他のアラビア語の単語と同様、完全に日本語に訳すことは出来ません。アラビア語のウンマの語根は「アンマ」であり、それは「行く」または「見に行く」を意味します。「イマーマ」とは導くことを意味し、例えば礼拝の導師は「イマーム」と呼ばれます。おなじ語根による単語に、母親・源泉・起源を意味する「ウンム」があります。
ウンマとは、神の崇拝といった一つの目的によって団結した信仰者たちによる共同体を意味します。団結した彼らは強く、分裂した彼らは弱いのです。ウンマの一員はそれぞれが精神的に統一され、それは物理的にも顕示する程です。ウンマの一部が痛むと、ウンマ全体が痛むのです1。
“本当にあなたがたのこのウンマは、一つのウンマである。われはあなたがたの主である。われを畏れよ。”(クルアーン23:52)
このことの例として、ムスリムたちが遠い異国に住む同胞たちに対する虐待や抑圧へ避難しているのをテレビなどで目にする場合の反応が挙げられます。ムハンマドのウンマにおいて、もしその一員が傷つけられていたのなら、他の全員にとってもその痛みは本物なのです。ムスリムは倫理的に正しいことに立ち上がり、非人道的なことはイスラームとは無関係なものです。ウマル・ブン・アル=ハッターブはこの独自の特徴をすぐに解し、自らをウンマの一員として宣言したのです。
ウマル・ブン・アル=ハッターブがイスラームを受け入れたとき、彼はこの共同体の一員となることを望み、そのことを高らかに宣言しました。ウマルは喜びの中にあっても、悲しみの中にあってもこの共同体の一員となることを決めたのです。彼の改宗の際、ウンマの中の弱き人々が組織的な虐待と抑圧を被っていましたが、彼はその苦しみを理解するようになり、また彼自身も過去にそれを行っていた事により、自らもそれを経験することを望みました。ウマルは彼のイスラームへの改宗が気付かれないものとすることを望まず、ただちにイスラームの敵に対してそのことを公言しました。
当初、イスラームに改宗していなかったマッカの人々はウマルの改宗に関してショックを受け、すぐには反応しようとしませんでしたが、その噂は広まり、彼らは神の館へと向かってウマルを襲撃しました。強大で筋肉質な勇士である彼は、襲撃者たちの真ん中に座り込み、その攻撃に甘んじました。ウマルの心はイスラームの同胞に対する愛情で溢れていました。預言者ムハンマドはこう言っています。「仮に私の後に預言者が出現したとすれば、それはウマル・ブン・アル=ハッターブだっただろう。」
力よりも大きなもの
ウマルはアブー・バクル・アッ=スィッディークと共に、預言者ムハンマドに最も近かった教友でした。アリー・ブン・アビー・ターリブが伝えるところによると、預言者ムハンマドは、朝にアブー・バクルとウマルを従えて出発し、夜も同様に二人を従えて戻ってきたということです。預言者自身、彼ら二人を自らの目と耳であるとし、二人を「地球の住民における忠言者2」であるとしています。ウマルは、ムスリムのウンマにおける危機と試練のすべてにおいて、預言者ムハンマドの側に立っていました。
マッカのムスリムたちがマディーナへと移住した際、彼らは皆、計画に基づいた密かなる旅立ちをしましたが、ウマルだけは例外でした。彼は堂々と移住した唯一のムスリムで、事実、彼は出発を宣言し、彼を阻むことの出来る屈強な挑戦者はいないのかと求めた程でした。ウマルは自分の首の周りで剣を振り回し、憎悪の消え、神そして預言者ムハンマドとその同胞への愛情によって満ち溢れた胸を張り、マッカの通りを闊歩したのです。預言者ムハンマドがウンマを作り出し、ウマルは彼の側に立ったのです。
その比類なき強さによって記憶されてはいますが、彼は敬虔さと親切さにおいても卓越していました。彼は夜間を崇拝で過ごし、たびたび夜も深まった時に家族を起こして崇拝に加わるよう促していました。彼は熱烈な信仰者であり、神による楽園の約束を信頼し、神のために信仰者たちを益そうと自らの富を費やしていました。預言者ムハンマドの教友の一人の伝える伝承3によると、ある時ウマルは22,000ディルハムを困窮者のために分配し、砂糖の入った袋を配布することも習慣としていました。なぜ砂糖を配布するのかと尋ねられたとき、ウマルはこう述べています。「なぜなら私はそれをこよなく愛し、神もこのように仰せられているからだ。」
“あなたがたは愛するものを(施しに)使わない限り、信仰を全うし得ないであろう。あなたがたが(施しに)使うどんなものでも、アッラーは必ず御存知である。”(クルアーン3:92)
ウマルは、預言者ムハンマドにより楽園に入るという吉報をもたらされた10人の内の一人4でした。しかし、そのことは彼が人生を通して神のご満悦を得ようと努力することを怠らせませんでした。彼は知識の人でもあり、またその親切さと神への崇拝のための不断の献身だけでなく、ムハンマドのウンマに尽くす人物でもあったのです。預言者ムハンマドは、私たち全員にこのように告げています。「人は、自らに望むものを同胞に対しても同じく望むようにならない限り、真の信仰者とは言えない。6」 ウマルは楽園を望みましたが、彼は唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドはその使徒であると信じた老若男女全てにもそれを望みました。これが、真贋を見極めた男、共同体のために尽くす男であるウマルだったのです。
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