預言者ムハンマド伝(12/12):別れ
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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別れの巡礼
しかし終焉の時は徐々に近づきつつありました。彼はヒジュラ暦10年にハッジの巡礼を行なうため、アラビア半島全土から集まった90,000人ものムスリムと共に、マディーナから出発しました。長年の迫害に疲弊しつつも絶え間ない努力を惜しまなかった老齢の預言者によるこの凱旋の旅は、あたかも大いなる光の輪が遂に閉じたかのような黄昏の光を放っており、それは穏やかな輝きで世界を抱擁していました。
ヒジュラ暦10年、彼は巡礼者として最後にマッカの地を踏みました。それは“別れの巡礼”と呼ばれており、彼はアラファの台地において膨大な数の巡礼者を前に説教を行ないました。彼は、彼らに課されたイスラームの義務、そしていずれは各々の行いに応じて審判を下す、主との接見の日がやって来ることを思い起こさせました。話の最後に彼は訊ねました:“私はメッセージを伝えただろう?”それにより、つい数ヶ月前、または数年前には善意のかけらもなかった偶像崇拝者だった大勢がこう叫びました:“その通りです!”預言者は言いました:“神よ!あなたが証人です!”イスラームは確立され、更なる大衆を庇護する大樹となりつつありました。そして彼の役割は完遂され、重荷を下ろして次なる世界へと旅立つ準備が整ったのです。
預言者の病と死
預言者はマディーナに帰還しました。そこにはまだ残された仕事がありましたが、ある日彼は重い病に冒されました。彼は毛布に包まった状態でモスクに現れ、人々は彼の顔色から死の兆候を感じ取りました。
“もしあなた方の中に”彼は言いました。“私によって不当に鞭打ちを受けた者がいたのであれば、私の背中はここにある。今こそあなたの順番だ。そしてもし私があなた方の内の誰かの名誉を傷つけたのであれば、今私に同じことを行なうが良い。”
ある時、彼はこう言いました:
“この世に全く未練はない。この世と私との関係は、あたかも木とその木陰に庇護を求める乗り手のようである。やがて乗り手は出発し、そこを後にするのだ。”
そして次に、彼はこう言いました:
“ここには一人の神の僕がおり、神によって現世に留まるか、またはかれの御許に赴くかの選択肢が与えられた。そしてこの僕は神の御許へ赴くことを選んだのだ。”
ヒジュラ暦11年、ラビーウル=アウワル月12日(西暦632年6月8日)は、彼がモスクに入った最後の日となりました。アブー・バクルが礼拝を先導し、彼はそれを続けるよう合図しました。彼は輝かしい顔で人々を見つめていました。‘私はあの時よりも輝かしい預言者の御顔を見たことがなかった。’と、教友アナスは後に語っています。彼はアーイシャの部屋に戻ると、彼女の膝枕に頭を乗せました。彼女は彼が目を開き、次のようにつぶやいたのを聞きました:‘楽園での至高なる伴侶と共に・・・’これが彼の最後の言葉となりました。しばらくすると、彼の死の噂が飛び交いました。ウマルはその噂を流す者に対する厳しい懲罰を与えると脅し、神の使徒が死ぬはずはないとして、そう考える者は犯罪者である、と宣言しました。彼が人々に懸命にそう訴えていると、アブー・バクルがモスクを訪れ、彼の話を耳にしました。アブー・バクルは預言者の眠る彼の娘アーイシャの部屋を訪れ、事実を確認すると故人の額にキスし、モスクへ戻りました。噂は邪悪な嘘であるとし、彼らの生き甲斐である預言者が死ぬ筈はないとしたウマルの言葉を人々は聞いていました。アブー・バクルはウマルに近寄り、彼に囁きかけることで彼をなだめようとしましたが、彼は取り乱しており、それに留意しないと分かると、アブー・バクルは人々に呼びかけました。人々はそれに気付くとウマルから離れ、彼の周りに集まりました。彼はまず神を称え、イスラーム信仰の要約である次の言葉を述べました:“人々よ!ムハンマドを崇拝していた者にとり、ムハンマドは死んだのだ。しかし神を崇拝する者にとり、神は生きており、不死である。”そして彼は次のクルアーンの節を唱えました:
“ムハンマドは、一人の使徒に過ぎない。使徒たちは彼の前に逝った。もし彼が死ぬか、または殺されたら、あなた方は踵を返すのか。誰が踵を返そうとも、少しもアッラーを損うことは出来ない。だがアッラーは、感謝(してかれに仕える)者に報われる。”
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