天国の悦楽(1/2)

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説明: 天国と現世との根本的な違いに関する考察、その一:現世にあるような悲しみや痛み、苦悩をもたらすものの不在。

  • より M.アブドッサラーム (ゥ 2009 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 21 Dec 2009
  • 編集日時 10 Sep 2023
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The_Pleasures_of_Paradise_(part_1_of_2)_001.jpg天国の本質とは実際にそこに入るまでは決して知り得ないものですが、神はクルアーンの中で私たちにその概要を教えてくれます。そこでは生命の性質や目的、そして人々が味わう快楽の種類が、現世とは根本的に異なるものであると述べられています。クルアーンは天国について述べ、その大いなる祝福と美を描写します。神はそれを人類へと提示しているのです。クルアーンでは天国が、人類の死後に用意された二つの道の内の一つであり、そこにおいてあらゆる善いものは望みのままになりますが、現在の私たちの限られた能力では、その規模すら推し量ることすら出来ないとします。また、天国はあらゆる祝福が完璧な形で存在する場であり、人々はその心が欲するあらゆるものを提供され、渇望や心配事、悲しみや不満、また後悔から遠く隔たれると述べます。あらゆる種類の美や祝福は天国にこそあり、それらはこれまで一度も知られ、見られたこともない、完全な形で姿を現すのです。神はこのような祝福を贈り物としてそこに用意し、それらはかれが望む人々に対してのみ供出されるのです。では、天国におけるそれらの悦楽の性質とはどのようなもので、この現世のものとはいかに異なるのでしょうか?それらの違いの一部をご紹介しましょう。

痛みや苦悩のない純粋な悦び

人々は現世においてある程度の悦びを経験しますが、同時に苦労や難儀も避けて通ることは出来ません。例えば誰かが自分の人生をしっかりと直視すれば、彼は自分の直面する困難が安らぎや快楽よりも多いことに気付くでしょう。しかし来世には困難や苦悩などがなく、人々は純粋な悦びと快楽の中で暮らすのです。現世で人々が経験する全ての悲しみや苦しみ、悩みの原因は来世において皆無なのです。それではこれらの原因の一部を見ていきましょう。

この現世における成功というものに関して考えてみると、人はそれが大きな家、高価な貴金属や衣服、または高級車などといったものを思い浮かべるでしょう。経済的安定が人生における幸福の鍵であると見なされているのです。真実とは最も遠くかけ離れているにも関わらず、多くの人々にとって成功と富は密接な関わり合いを持つのです。我々は幾度、裕福とされる人々が惨めに暮らし、時には自らの命を断つのを目にしたでしょうか。富とは人間が本能的に欲するものであり、そう望むのは偉大かつ英知に満ちた目的によって創造されているからです。この欲が満たされていなければ、ある程度の悲しみがもたらされます。こうした理由により、神は天国の住人に対して、彼らが望むものはそれが富であれ財産であれ何でも与えられることを約束するのです。そして飢えと乾きに苦しむ貧者であれ、または裕福であっても更なる祝福を欲する者であれ、関わりなく与えられます。神はこのことに関し、こう述べています:

“・・・(そこには)各自の望むもの、また目を喜ばすものがあろう。”(クルアーン 43:71)

“汝らは、過ぎ去った日(現世)で行った(善行の)ために、満悦して食べ、且つ飲め。”(クルアーン 69:24)

“そこで黄金の腕輪で身を飾り、美しい緑色の絹の長い衣や、厚い錦を装い、高座にゆったりと身を託す。何と幸福な恵み。何とよい臥所よ。”(クルアーン 18:31)

病と死

現世における別の辛苦・苦悩の原因として、愛する者の死や病気などが挙げられます。それらはいずれも天国には存在しないものです。天国では誰一人として痛みや苦しみを感じることがありません。預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)は天国の人々に関して、こう述べました:

“彼らは決して病気にならず、鼻をかんだり痰を吐いたりもしないのだ。”(サヒーフ・アル=ブハーリー

楽園には死がありません。誰もが永遠に生き、そこでの快楽を楽しみます。預言者ムハンマドは、そこに人が入る時、彼らに対して呼び出し人が以下のように呼びかけると述べています:

“あなたが健康であり、決して病気になりませんように。あなたが生き続け、決して死にませんように。あなたが若々しく、決して老い衰えませんように。あなたが楽しみ、決して悲しんだり悔やんだりしませんように。”(サヒーフ・ムスリム

社会関係

天国の住人は、対人関係の断絶などにおいて抱く自責の念などを感じることは決してなく、中傷や批判の言葉を聞くこともありません。彼らは善い言葉と平安の言葉を耳にするだけです。神はこう述べています:

“そこでは、無益な言葉や、罪作りな話も聞くことはない。ただ「平安あれ、平安あれ。」と言う(のを耳にする)だけである。”(クルアーン 56:25−26)

そこでは、人々の間に敵意や恨みがありません:

“われらは彼らの心の中の怨恨を除く・・・”(クルアーン7:43)

また預言者はこのように述べています:

“彼らの間には憎しみや憎悪が存在せず、心はあたかも一つのようであり、朝に夕に神を讃えるのである。”(サヒーフ・アル=ブハーリー

来世において人々は最高の伴侶を持ちます。彼らは世界において最も優れた人々なのです:

“アッラーと使徒に従う者は、アッラーが恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと正義の人々の仲間となる。これらは何と立派な仲間であることよ。”(クルアーン 4:69)

天国の人々の心は純粋で、善い会話をし、誠実な行いをします。そこには苦痛や怒りを与える言葉、あるいは攻撃的・挑発的な会話が皆無なのです。天国にはいかなる無価値な言葉や行為もないのです。もしも我々が現世において苦悩をもたらすものの原因を一つ一つ挙げていくとすれば、天国では確実にそれらの対極に位置するものがあるか、あるいはそれらの不在が真実であることを見出すでしょう。

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天国の悦楽(2/2)

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説明: 天国と現世との根本的な違いに関する考察。その二:現世におけるそれとは比較にならない天国の快楽と悦び。

  • より M.アブドッサラーム (© 2009 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 28 Dec 2009
  • 編集日時 28 Dec 2009
  • プリント数: 404
  • 観覧数: 31,815
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来世の永遠性

現世における悦びは一時的なものであるのに対し、来世でのそれは持続的であり、永遠に続くものです。現世において何かを楽しめば、それに退屈するのは時間の問題です。そして退屈してしまえば、彼は新たなより良い何かを求めるか、あるいは全くそういったものの必要性を感じないかもしれません。しかし天国のおける悦びは絶対に退屈させず、更にそれはどんどん素晴しさを増していく類のものなのです。

また、現世での命は非常に短いものです。人間はこの地球に僅かの間留まり、70歳にまで届くのはほんの一握りの人々です。

“現世の歓楽は些細なものである。来世こそは、(アッラーを)畏れる者にとっては最も優れている。”(クルアーン 4:77)

人々は天国で永久に生き長らえます。神は述べています:

“・・・常に果実が実り、日陰に覆れている・・・”(クルアーン13:35)

“汝らの持つものは全て消滅する。だがアッラーの御許のものは残る・・・”(クルアーン16:96)

“本当にこれは、尽きることのない(汝らへの)賜物である。”(クルアーン 38:54)

最高の悦び

天国の住人にとって衣服、飲食、貴金属や豪邸などの悦びは、現世でのそれに対し飛躍的に優れたものです。いえ、実際には比べ物にもならないでしょう。天国での最も小さな空間は、現世とそこに含まれる全てのものよりも素晴しいとさえ言われているからです。預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)はこう言っています:

あなたたちがいているその空間、天国において、大陽るあらゆる場所よりもれているのです(ミシュカート・アル=マサービーフ 3/85、5615番)

あらゆる不純から隔たれたもの

天国は、現世のあらゆる不純物から解き放たれています。現世では飲食の結果として、不快な臭いが付随する排泄行為の必要に迫られます。また現世でワインを飲み続ければ、酩酊し理性を失ってしまいます。また現世では女性は月経や出産を経験し、そこには苦痛が伴います。天国ではそれら全ての不快な要素が無くなるのです。その住人は排泄するどころか、鼻や喉の炎症による痰も出なくなります。天国におけるワインは、その創造主によってこう描写されています:

“真白(な美酒は)、飲む者に心地よい甘さ。これは、頭痛を催さず、酔わせもしない。”(クルアーン 37:46−47)

また天国の水は塩分を含まず、そのミルクの味は決して変化しません:

“・・・そこには腐ることのない水を湛える川、味の変ることのない乳の川・・・”(クルアーン47:15)

天国における女性は純粋で、月経や産後の出血、また排泄などの現世におけるあらゆる不純から解放されています。神はこう述べています:

“・・・また純潔な配偶者を授けられ・・・”(クルアーン 2:25)

預言者は、天国の人々はどのようにして用を足すのかと問われた時、以下のように答えています:

“彼らは皮膚からの発汗により用を足します。それは麝香のように芳しい香りであり、彼らの腹は痩せているのです。”(イブン・ヒッバーン)

我々がここで触れた事柄は、天国の性質を知るためのただの比較に過ぎませんが、神が述べているように、その真の悦楽は隠されています。

“彼らはその行ったことの報奨として、喜ばしいものが自分のためにひそかに(用意)されているのを知らない。”(クルアーン32:17)

天国に勝るものはなし

天国の悦楽とは想像の範疇を超え、説明することさえ不可能です。それは現世の人間にとって全く知ることの出来ないものです。たとえ我々の科学がいかに発達しようと、我々が何を達成しようと、来世での悦びとは全くの比較も出来ません。複数の伝承によって報告されているように、天国に類似するものは存在しないのです:

“そこはきらめく光、芳しき草木、聳え立つ宮殿、流れる川、熟れた果実であり、燦然と光り輝く至福の中の永遠の住処、高く素晴しい家には美しき配偶者と豊富な衣服があるのです。”(イブン・マージャ、イブン・ヒッバーン)

また教友たちは天国の家に関して預言者に質問していますが、それに対して預言者は驚くべき説明をしています:

“そこでは煉瓦は金と銀で出来ており、漆喰は芳しい麝香、小石は真珠とサファイアで、土はサフランである。誰であれそこに入る者は、歓喜に満ち溢れ、決して惨めさを感じない。彼はそこに永久に暮らし、死ぬことはない。彼らの衣服はほころばず、彼らは衰えのない若さを保つ。”(アハマド、アッ=ティルミズィー、アッ=ダーリミー)

また神はこのように述べました:

“汝は視線を向けると至福の壮大な王国を認めるであろう。”(クルアーン 76:20)

我々の能力では、神により隠された天国の悦楽を理解することは到底出来ません。預言者は、神がこう述べたと言っています:

“われはしもべたちの為に、これまでいかなる目も見たことのないもの、いかなる耳も聞いたことのないもの、そしていかなる心も想像したことのないものを用意した。”望むなら朗誦せよ:

“彼らは行ったことの報奨として、喜ばしいものが自分のためにひそかに(用意)されているのを知らない。”(クルアーン 32:17)

また別の報告ではこうあります:

“神が仰せになったことだけではない。むしろかれが仰せにならなかったことの方が、更に偉大なのだ。”(サヒーフ・ムスリム)

我々は別の記事で、神とその最後の預言者によって述べられた、天国の具体的な記述とその至福に関しての一部を記述していくことを予定しています。

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