ジェラルド・F・ダークス、統一メソジスト教会、米国(パート2/4)

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説明: “The Cross and the Crescent(十字架と三日月)”の著者であり学者でもあるダークスの生い立ち、そしてハーバード「ホリス」神学校での勉学によってキリスト教から目を覚ました彼の逸話。パート2:宗教心の欠如、ムスリムとのコンタクト、自問、そして答え。

  • より ジェラルド・F・ダークス
  • 掲載日時 04 Apr 2011
  • 編集日時 04 Apr 2011
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時が経つにつれ、私はアメリカ社会全体における信仰心の喪失をますます心配するようになりました。信仰心は生きることそのものであり、個人の中の精神的・道徳的呼吸であり、組織(例えば教会)によって儀礼、儀式などといった形式的信条を与えられた、いわゆる宗教性と取り違えられてはならないものです。結婚の三分の二は離婚に終り、私たちの学校や路上における暴力は増加の一途を見ています。自己責任は欠如し、教養は“気持ちよければ良いじゃないか”という観念によって覆い隠され、様々なキリスト教指導者や団体は、性的もしくは経済的スキャンダルによって憂き目を見ており、その行動がいかに嫌悪されるかに関わらず、感情が行為を正当化しているのです。アメリカ文化は道徳的に破綻したものになりつつあり、私は自らの宗教的献身において孤独を感じずにはいられませんでした。

こうした状況の中、私は地元のムスリムコミュニティと出会いました。その数年前、私と妻はアラブ馬の歴史に関して積極的に調査をしていました。そうこうするうちに、種々のアラビア語文献を翻訳しなければならない必要性が生じ、ムスリムのアラブ・アメリカ人とコンタクトをとるようになりました。ジャマールとの最初の出会いは1991年の夏でした。

最初の電話での会話の後、ジャマールは私の家を訪れ、翻訳の仕事を引き受けてくれ、中東におけるアラブ馬の歴史に関して手助けしてくれました。その日の午後、ジャマールは帰る前に日々の礼拝前に行なう体の洗浄をするために、洗面所を貸してくれないかと尋ねてきました。また私の家を出る前に礼拝もするので、礼拝用絨毯の代わりとして使う新聞紙を貸してくれと頼んできました。もちろん私たちはそれを承諾しましたが、新聞紙よりも適切なものを彼に渡すことが出来ないだろうかと悩んだものです。そのときジャマールは全く意識することなく、ダアワ(布教・いざない)を美しい形で実践していたのです。彼は私たちがムスリムではなかったことについては何も言いませんでしたし、彼自身の宗教的信条についても全く触れませんでした。彼は単に自らの模範を示し、そこに言葉は無くとも多くのことを物語ったのです。

その後16ヶ月間に渡り、ジャマールとの接触は二週間に一回、そして週一回と、徐々に回数を増していきました。それらの訪問で、ジャマールは決してイスラームについての宣教や、私の宗教的信条や確信について質問したり、私がムスリムになるよう示唆したりさえもしませんでした。しかしながら、私は多くを学び始めました。まず第一に、ジャマールによる毎日の礼拝の行動様式による例を常に目にしていました。第二に、ジャマールがいかに日常生活において高いレベルのモラルと倫理基準を仕事と社会生活のどちらにおいても維持し、実践していたかということです。そして第三に、ジャマールの二人の子供に対する彼の態度と行為です。私の妻に対し、ジャマールの妻も同様の例を提供しました。第四に、中東におけるアラブ馬の歴史について私が常に理解の出来るよう、次の事柄を共有してくれました:1)アラブ・イスラームの歴史という側面からの逸話;2)預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の言行;3)クルアーンの節々とそれらの文脈上の意味。事実、私たちの会話は、毎回最低30分間はイスラームの側面に関してのことが中心となりましたが、それは常に、イスラーム的文脈におけるアラブ馬の歴史の理解といった理知的な提示の仕方だったのです。私は「こうあるべきなのだ」とは決して言われませんでしたし、ただ単に「これがムスリムによって一般的に信じられていることです」と言われました。私は「宣教」されているとは感じなかったし、ジャマールは私の信条についても聞いてはこなかったので、私は自分のスタンスについての正当化を試みる必要がありませんでした。それらはすべて知的実習として取り扱われたものであり、改宗に向けた試みではなかったのです。

ジャマールは、地元ムスリムコミュニティの他のアラブ人家族を私たちに紹介し始めました。ワーイルの一家、ハーリドの一家、そしてその他の家族などです。私は彼らに共通して、私たちの住むアメリカ社会の倫理基準よりもより高いものに基づいた生活をしていることを見出しました。私は、ひょっとすると大学生、神学生時代に何か見逃していたイスラームの実践があるのではないだろうか、と思うようになりました。

1992年の12月になると、私は自分がどこにいて、何をしているのかを真剣に自問するようになりました。これらの質問は次の点によって考慮されます。

1)過去16ヶ月における私たちの社会生活は、地元アラブ人によって構成されたムスリムコミュニティが中心だったこと。12月には、私たちの社交生活における75%をアラブ人ムスリムたちと過ごしていたこと。

2)私は神学訓練と勉学の徳によって、いかに酷くバイブルが改竄されたかを知っていましたし、神格の三位一体説への信仰は全く持っておらず、イエス(神の慈悲と祝福あれ)の“子性”が隠喩的であること以外にはそれを全く信じていませんでした。つまり、私は神の存在を確信していましたし、私のムスリムの友人たちと同じように、厳格な一神教徒だったのです。

3)私の個人的な価値観と倫理基準は、私の周囲の“キリスト教徒”社会よりも、ムスリムの友人たちの方に同調しました。私はジャマール、ハーリド、ワーイルたちの平和的例証を模範としました。私の生まれ育ったコミュニティへのノスタルジックな懐郷の情はムスリムコミュニティにおける満足によって満たされたのです。アメリカ社会は道徳的に破綻しているかも知れませんが、私が関わったムスリムコミュニティに関しては例外だったのです。婚姻関係は安定しており、配偶者たちはお互いに尽くし、誠実さ、清廉さ、自己責任、そして伝統的な家庭観が強調されていました。私と妻はそれと同じような生き方をしようと試みましたが、数年間に渡り、私たちはそれを道徳的に空虚な状況においてそうしていたように感じたのです。ムスリムコミュニティは違うように映りました。

様々な異なる縫い糸が、一つの束になって縫い合わされていきました。アラブ馬、私の幼少期、私によるキリスト教聖職者と神学教育への熱望、道徳的社会への憧れ、そしてムスリムコミュニティとの出会いは、すべて複雑に交わり合っていったのです。私の自問は、最終的に何が私とムスリムの友人たちの信条を隔てているのかを自分に問いかけたとき、ようやく進展を見せました。この質問をジャマールやハーリドに問いただすことも出来たのでしょうが、私にはその準備が出来ていなかったのです。私は彼らとは一度も自分の宗教的信条に関して議論したことはありませんでしたし、私たちの友情にそのような話題を持ち込むことはしたくなかったのです。こうして私は大学、神学校時代に入手したイスラームに関する本を本棚から出し始めました。いくら私の信条が、教会の伝統的立場から遠くかけ離れ、ごく稀にしか教会に出席していなかったとしても、私は依然として自らをキリスト教徒として認識していたため、西洋学者たちの著作に手を伸ばしたのです。その年の12月に、私は西洋学者によるイスラームに関する本を六冊程度読みましたが、そこには預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の本も含まれていました。さらに、クルアーンの英語訳も二冊読み始めました。私はこの自己発見の探求について、ムスリムの友人たちには一度も告げませんでした。私がどのような種類の本を読んでいたのか、そしてなぜそれらを読んでいたのかさえも触れませんでした。しかし、私は時として、非常に回りくどい表現を使って彼らに質問はしたものです。

私はムスリムの友人たちにこれらの本について明かしませんでしたが、妻とは私の読んでいた本について数々の会話を交わしました。1992年12月の最後の週には、私は自分の宗教的信条とイスラームにおける主要な信条には決定的相違がないことを認めざるを得ませんでした。私はムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)が預言者(霊感の影響によって語る人物としての)であると認める準備が出来ており、また唯一なる神(至高なるかれに称賛あれ)以外には他に崇拝すべきものはないと全く躊躇なく断言出来たにも関わらず、依然として重要な決断を下せずにいました。しかし私は自分の理解する限りにおいて、教会組織としての伝統的キリスト教よりもイスラームの信条に共感するところが極めて多いことを認めることは出来ました。また私は、クルアーンがキリスト教、バイブル、そしてイエス(神の慈悲と祝福あれ)について語ることの大半が、私が神学教育において学んだことと一致しているということも十分承知していたのです。

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