ナターシャM.ケリー(元キリスト教徒, アメリカ合衆国)(パート1/ 2)
説明: あるキリスト教徒の女の子が、キリスト教における教義の信仰を受け入れることに困難を見出す。
- より ナターシャM.ケリー
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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私は子供の頃から神を信じるよう育てられました。ほぼ毎週日曜教会に出席し、聖書学校に行き、聖歌隊で歌を歌いました。しかしそれでも宗教は、私の人生において重要なものではありませんでした。
私にも神が自分自身に近しく思えた頃がありました。私は絶望の時や願い事がある際にはしばしば、導きと強さを得るために神に祈りました。しかしすぐに私は、神に何か乞うことを止めた時、この神を近しく思う感情が即座に消えてしまうことに気づきました。私は信じてはいましたが、信仰心に欠けていることを知りました。
私は世界が、神がその折々に思いのままに操るゲームであることと感じていました。神は人々に聖書を書かせ、そして人々はどういうわけかこの聖書に信仰を見つけることが出来たのです。
私は成長し世界をもっと知るようになるにつれ、神をより信じるようになりました。混沌とした世界に秩序をもたらすために、神がいるべきはずであると私は信じました。もし神がいなければ、何千年も前に世界は全くの無秩序の中に終わってしまっていたことでしょう。超自然的な力が人間を導き、守っていると信じることは私にとって心地のよいことでした。
子供は通常、彼らの宗教を両親から譲り受けます。私もそうでしたが、12歳の頃になると自分の精神性について深く考え始めました。私は自分の人生において、信仰のあるべきところに空虚さがあったことに気付きました。いつでも私は、必要または不安なことがあると、ただ神という名の誰かに祈っていました。しかしこの神とは本当は誰なのでしょうか?私はかつて母に誰に祈るのか、神か、またはイエスに祈るのかを尋ねたことがありました。そして私は母が正しいと信じ、イエスに祈り、そして全てのよいことは彼のおかげだと考えたのです。
宗教は議論の余地のないものだと聞いていましたが、私と友人は何度もそうしようとしました。私はよく友人とプロテスタント、カトリック、ユダヤ教について議論しました。これらの議論を通して自分自身をもっともっと探求し、そして自分の空虚さを何とかすべきだと決心したのです。そして13歳の時、真実への探求を始めました。
人間は常に、知識や真実への不断の追求の中にあります。私の真実への探求は、知識の活発な追求だとは考えられませんでした。私は議論を続け、そして聖書をもっと読ましたが、ここから余り進展はありませんでした。この期間母は私のこの行動に気づき、そしてそれ以降私は“宗教的局面”に入りました。しかし私の行動は、局面ということからはかけ離れていました。私は単に、新しく得た知識を家族と分かち合ったのです。私はキリスト教の信仰、実践、そして教義と、ユダヤ教の最低限の信仰と実践について学びました。
数ヶ月間の研究の中で私は、もしキリスト教を信仰すれば、自分自身が地獄に行くことになると気付きました。私の過去の罪を考慮するする必要もなく、私は南部の牧師たちが言うところの“地獄への一方通行の道”にいたのです。私はキリスト教の全ての教えが信じられませんでした。それでも私は努力したのです。
私は教会において何度も、また随順への呼びかけの間中も、自分自身と戦っていたことを思い出すことが出来ます。私は、単にイエスが自分の主であり救世主であると告白することで、天国での永遠の生活を保障されるのだと言われました。私は、決して牧師の広げられた手の方の道へと歩くことはなく、私の不本意さは自分が地獄へ向かっているという恐怖感を強めさえしたのでした。この間、私は不安でした。私はよく恐い悪夢を見、そしてこの世で自分が孤独だと感じました。
しかし、私には信仰心が足りなかっただけではありませんでした。私にはあらゆる知識あるキリスト教徒を当惑させる多くの疑問がありましたが、一度もそれに対して満足した答えを得ることはありませんでした。それどころか私は、もっと困惑するようなことを言われたのです。私は神に理屈をつけようとしている、と言われました。そしてもし私が信仰心を持っていたならば単に信じることができ、また天国に行くことが出来るのだ、と言われました。しかし、それこそが問題だったのです。私は信仰心を持っていませんでした。私は信じていなかったのです。
.私は何も信じていませんでした。神がいることと、イエスが神の息子で人類を救うために遣わされたことは信じていました。それだけでした。しかしながら私の質問と推論は、私の信仰心を超えていました。
その質問はそれ以後も継続しました。私の混乱は増しました。そして私の確信のなさも増しました。私は15年間、ただ両親の信仰だったという理由で、盲目にそれに従っていたのです。
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