病人を見舞うこと(パート1/2)

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説明: 病人を見舞うことは最も慈悲深い神によって報奨を約束されている義務行為の一つであると同時に、かれの慈悲深い預言者であるムハンマドの習慣でもありました。

  • より AbdurRahman Mahdi(ゥ 2010 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 01 Mar 2010
  • 編集日時 11 Sep 2022
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Visiting_the_Sick_(part_1_of_2)_001.jpgイスラームは全ての善行を勧め、全ての悪を回避するよう忠告しています。それらの徳のある良い行いの一つに、病人や苦難の中にある人を見舞うことがあります。人々は健康な状態にある時でも、互いを訪問し合う際には、その同胞愛や友人の絆が強くなるものです。それではその訪問が病気や貧困、不健康などの状態にある時であればどうなるでしょうか?ムスリムが互いに示し合うことを要求されている同情や感情移入をよく描写しているものとして、預言者ムハンマド‐彼に神の慈悲と祝福がありますように‐次のような言葉があります:

“信者の互いの愛と慈悲におけるたとえは、まるで生きている一つの肉体のようです。もしそのある部分が痛みを感じれば、体全身が睡眠不足と熱で苦しむのです。” [1]

病人を見舞うことはそのような相互愛、慈悲、そして感情移入の最も明白な印です。それどころか、病人を見舞うことは全ムスリムが果たすべき一つの大きな責任なのです。預言者ムハンマドはこう言いました:

“他のムスリムに対するムスリムの権利はこの6つです:彼に会った時、その平安を祈る挨拶をすること(例えば“アッサラーム・アレイクム(あなた方に平安あれ)”などと言うこと)。彼があなたを招待した時、彼の招待を受け入れること。彼があなたに問題を相談する時、彼に誠実な助言を与えること。彼がくしゃみをし、神を賞賛した時、彼に神の慈悲が与えられるよう祈ること。彼が病気の時、彼を見舞うこと。そして彼が死んだ時には、彼(の埋葬)に付き添うこと。[2]

この預言者の伝承で、私たちはムスリムがイスラームの同胞を、健康、病気、そして死という3つの状態において気にかけるよう勧められていることが分かります。

まず健康な状態において、ムスリムは彼の信仰上の兄弟に、平和と保護を祈る挨拶をすること、及び彼の招待を受け入れること、そして彼に誠実な助言を与えることが義務付けられています。

それからムスリムが風邪やアレルギーなどの原因でくしゃみをした時も、イスラームの兄弟は彼に対し、神の慈悲があるように祈る義務があります。また同様にムスリムが病気の時は、イスラームの同胞は彼を見舞う義務があります。

そして最後に、ムスリムがこの世を去る時には、信仰上の同胞は彼の葬儀、葬儀のための祈り、そして埋葬に付き添う義務があります。

病人を見舞う者に偉大な報いが約束されていることは、預言者‐彼に神の慈悲と祝福がありますように‐が以下のように説明したことでも明らかです:

“病気の同胞を見舞うムスリムは、そこから帰宅するまで天国の果樹園に留まり続けるのです。[3]

また神の慈悲の使徒ムハンマドは、こうも言っています:

“病人を見舞うために歩いている訪問者は、神の慈悲の中を歩くのです。そして訪問者が病人と座る時、彼らはそこから戻るまで慈悲の中にいるのです” [4]

また神ご自身、病人を見舞うことの報奨の偉大さと重要さを説明しています。預言者は言われました;

“最後の審判の日に、全能で威厳ある神は言われるであろう:「アダムの子よ!私は病気になったのに、お前は私を見舞わなかった!」その者はこう言います:「主よ、どうして私が全存在の主であられるあなたを見舞えるでしょうか!」すると神はこう言われます:「私の僕の何某が病気になった時、お前は彼を見舞わなかったのではないか?もし彼を見舞っていれば、お前は彼の中に私を見いだしたであろうことを知らなかったのか?” (サヒーフ・ムスリム)

その他の徳ある行いや崇高な義務行為と同様、預言者ムハンマドはこの件に関しても模範によって人々を導きました。彼は病人を見舞うために時間をとったり、あるいは他人を通して人の安否を気遣ったりしたものでした。

例えば彼のマッカ時代において、ある異教徒の女性は、預言者が彼女の家を通るかかる際にはいつでも、彼に汚物やごみを投げつけたものでした。しかしある日を境に、その虐待者は現れなくなりました。そのことは彼を非常に心配させ、彼は彼女の安否を尋ねるほどだったのです。彼は彼女が病気であると知ると、彼女を見舞いました。そして彼女は彼の慈悲深い気遣いに驚き、イスラームに帰依したのです。

“善と悪とは同じではない。(人が悪をしかけても)一層の善行でもって悪を追い払え。そうすれば互いの間に敵意ある者でも,親しい友のようになる。” (クルアーン 41:34)

また博学な教友アナスは、神が人類に遣わされた最後の預言者の人生から、以下のようなエピソードをとりあげています:

預言者に仕えていたあるユダヤ教徒の少年が病気になったので、預言者は「彼を見舞おう」と言われました。彼ら(預言者と彼の教友達)が彼の家を訪問すると、彼の父が彼の頭のそばで座っていました。神の御使い‐彼に神の慈悲と祝福がありますように‐は言われました:「崇拝するに値する真の神はアッラー以外にないことを証言しなさい。そうすれば私はあなたのために、審判の日にとりなすでしょう。」少年が彼の父を見上げると、父親は言いました:「アブ―・アル=カーズィム(ムハンマド)に従いなさい!」そして少年はこう言いました: 「アッラー以外に崇拝に値する神はなく、ムハンマドは彼の使徒です。」神の使徒はそれから言われました: 「全ての賞賛は、地獄の業火から彼を救われた神のためのものです。“」[5]

預言者の人生におけるこれら二つの例から、私たちは病人が見舞われることがイスラーム教徒となるための前提条件ではないことが分かります。それにも関わらず、私たちはこの二つの例から、預言者ムハンマドによって示された病人や苦しむ人を見舞うという行動が、「不信仰」という最も致命的な病気さえも治してしまうような感動的な出来事になりえる、ということを知ることが出来ます。

「本当にアッラーの使徒は,アッラーと終末の日を熱望し,アッラーを多く唱念する者にとって,立派な模範であった。」(クルアーン 33:21)



Footnotes:

[1] Saheeh Muslim. サヒーフ・ムスリム

[2] Related by Abu Hurayra in Saheeh Bukhari.サヒーフ・アル=ブハーリーにおけるアブー・フライラの伝承。

[3] Saheeh Muslim.サヒーフ・ムスリム。

[4] Imam Ahmad and Ibn Hibban.アハマドとイブン・ヒッバーン。

[5] Ibn Hibban. イブン・ヒッバーン。

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