イスラームにおける非ムスリムの権利(4/13):人間としての尊厳を保つ権利(下)
説明: 非ムスリムのための人としての尊厳を保つ権利、またその歴史的先例と原拠。
- より IslamReligion.com(サーリフ・アル=アーイド博士による執筆)
- 掲載日時 12 Nov 2012
- 編集日時 12 Nov 2012
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イスラームが人間の尊厳に重きを置くことが分かる別の例として、初期イスラームのカリフが非ムスリムの尊厳を保護した、次の有名な逸話があります。アムル・ブン・アル=アースがエジプトの長官だったとき、彼の息子の一人が「我は貴人の息子である!」と豪語し、コプト教徒を鞭打ちました。そのコプト教徒ははるばるマディーナに住んでいたカリフのウマル・ブン・アル=ハッターブを訪れ、その件について苦情を述べました。以下は、預言者の生前に彼の身の回りの世話をしていたアナス・ブン・マーリクによる伝承です。
“我々がウマル・ブン・アル=ハッターブと座っていたとき、エジプト人が訪れてこう述べた。「信仰者の長よ、私は貴方のもとに避難を求めてやってきました。」それでウマルが彼の問題について尋ねると、彼はそれに答えてこう述べた。「アムルは所有していた馬をエジプトでは放し飼いにしていました。ある日、私が自分のラバに乗って人々の集まりを通りがかると、彼らは私の方を見ていましたが、アムルの息子ムハンマドが立ち上がって私に向かって来るなりこう言いました。『カアバの主に誓って、それは我のラバである!』私はこう答えました。『カアバの主に誓って、このラバは私のものです!』彼は私を鞭で打ち始め、こう言ったのです。『お前にそれをくれても良いが、それはなぜなら我が貴人の息子だからである!(つまり、自分がより寛大であることを示す意味)』この事件はアムルの知るところとなりましたが、貴方の耳に入ることを恐れた彼は、私を投獄しました。私は脱出して、貴方の元にこうしてやって来たのです。」”
アナスは続けます。
“神に誓って、ウマルによる唯一の反応は、そのエジプト人に座るよう告げたことだった。そしてウマルはアムルに次の手紙を書いた。「この手紙があなたに届いたら、そなたの息子ムハンマドを連れてくるのだ。」そして彼は例のエジプト人にアムルが来るまでマディーナに留まるよう告げた。アムルが手紙を受け取ると、彼は息子を呼びこう尋ねた。「お前は何か罪を犯したのか?」息子が否定したのでアムルは言った。「では何故ウマルはお前について手紙を書いたのだ?」彼らは二人でウマルの元へ行くことにした。”
アナスは更に続けます。
“神に誓って、我々がウマルと共に座っていると、一般人の衣服を身に付けたアムルが到着した。ウマルが彼の息子はどこかと見回すと、父親の背後に(目立たないよう)立っているのを見つけた。ウマルは尋ねた。「例のエジプト人はどこか?」 彼は答えた。 「ここです!」ウマルは彼に言った。「この鞭を取り、貴人の息子を打つのだ。」それで彼はそれを手に取り、ウマルが何度も「貴人の息子を打つのだ。」と繰り返す中、力強く打ち続けた。我々は彼がもう十分に打ったと満足するまで彼を止めなかった。するとウマルは言った。「では、これを取って私の禿頭を打つのだ。今回これが起きたのは指導を行き届かせていなかった私の責任にもある。」エジプト人は答えた。「私は気が済みました。私の怒りも静まりました。」ウマルは彼に言った。「もしお前が私を打ったとしても、お前がそう望むまで私はお前を止めなかっただろう。さてアムルよ、お前に関してはいつから人々を奴隷としたのだ? 彼らは自由民として生まれたのだぞ。」アムルは謝りながらこう言った。「私はそのことを知らなかったのです。」それでウマルはエジプト人に向かってこう告げた。「行くが良い。導きあれ。もしお前に何か起きたなら、私に手紙を書くが良い。」”1
これが、カリフとして選出されたときにまず「私が権利を帰属させることにより、弱者は強者となろう。そして私が不当な権利を剥奪することにより、強者は弱者となろう。」と言ったウマルの生き様だったのです。虐げられた人々の社会的地位にも関わらず、彼らに対する公正さ、そして抑圧者の階級にも関わらず、彼らに対する断固とした態度により、歴史は彼を公正な統治者として記録したのです。
「この逸話の真価とは、人々がイスラームの統治下において、いかに人間性と尊厳について熟知していたかということにある。不正な一打であれ非難され嫌悪されていたのだ。ビザンチン帝国の時代においては、この逸話のものと類似した多くの不正が報告されていたが、誰一人としてそれを正そうとはしなかったのである。しかし我々は、イスラーム国家による保護と苦情の聞き入れを確信して、自らの尊厳と権利を求めエジプトからマディーナへの長旅をも厭わなかった一人の被抑圧者の例から、当時の公正な様子を垣間見ることが出来るのである。」2
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