アブラハムの物語(2/7):人々への呼びかけ
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 09 Jan 2012
- 編集日時 28 Jan 2022
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アブラハムとその父
彼の周りの人々と同じように、アーザルも偶像を崇拝していました。バイブルの伝承1によると、彼は実際に偶像の彫刻家2であったため、アブラハムの最初の呼びかけが彼に向けられたのだとされます。アブラハムは彼に対して、誰にとっても理解出来るような明確な論理、そして良識をもって語りかけました。
“またこの啓典(クルアーン)の中で、アブラハム(の物語)について述べよ。実に彼は正直者であり預言者であった。彼が父にこう言った時を思え。「父よ、なぜあなたは見聞きの出来ない、また僅かの益をも与えないもの(木石の偶像)を崇拝なさるのでしょうか。父よ、あなたが授かっていない知識が、今、確かに私に下されました。だから私に従ってください。私はあなたを正しい道に導くことでしょう。”(クルアーン19:41−43)
彼の父は、拒絶反応を示しました。いかなる人物であれ、自分よりもはるかに年下の者から挑戦されれば、そのような反応をするのかもしれません。それは、長年に渡る伝統への挑戦でもありました。
“彼(父)は言った。「アブラハムよ、おまえは私たちの神々を拒否するのか。もしそれを止めないなら、必ずおまえを石撃ちにするであろう。さあ永久に私から離れ去れ。」”(クルアーン19:46)
アブラハムと人々
虚偽の偶像への崇拝を止めるよう促す父親への絶え間ない呼びかけの後、アブラハムは人々へ向けて警告を始めました。それは同様の単純な論理に基づいたものでした:
“アブラハムの物語を彼らに語りなさい。彼が父親と彼の人々に向かって、「あなたがたは何を崇拝するのですか。」と言った時を思い起しなさい。彼らは言った。「私たちは偶像を崇拝し、いつもこれに仕えるのです。」彼は言った。「あなたがたが祈る時かれら(偶像)は聞くのか。またかれら(偶像)は、あなたがたを益するのですか、それとも害するのですか。」彼らは言った。「いや、私たちの祖先が、こうしているのを見たのです。」彼は言った。「それならあなたがたは、あなたがたがこれまで崇拝してきたものについて考えてみたのですか。あなたがたも、昔の祖先たちも(崇拝していたものについて)。万有の主を除いては、かれらは私の敵です。かれは私を創られた方で、私を導かれ、私に食料を支給し、また飲料を授けられた御方。また病気になれば、かれは私を癒して下さいます。私を死なせ、それから生き返らせられる御方。”(クルアーン26:69−81)
神こそは崇拝に価する唯一の対象であるという呼びかけを続けながらも、彼は次なる熟考に価する実例を人々に示しました。ユダヤ・キリスト教の伝承においても同様の話が伝えられていますが、そこでは彼が人々に例を示すのではなく、それらの神々の崇拝を通して3、唯一神の認識にたどり着いたことになっています。クルアーンでは、たとえ預言者としての使命を受ける前に正しい道について知らされていなかったとしても、いかなる預言者も多神崇拝を行うことなどはなかったとされています。クルアーンはアブラハムについてこう述べます:
“夜(の暗闇)が彼を覆う時、彼は一つの星を見た。彼は言った。「これが私の主です。」だが星が沈むと、彼は言った。「私は沈むものを好みません。」”(クルアーン6:76)
アブラハムは、当時の人々にとっての理解を超えた創造物である、星々の喩えを提示しました。それは人類よりも偉大なものと見なされており、様々な力が結び付けられていました。しかし、星々の沈む様子を見たアブラハムは、それらが夜以外には輝くことの出来ない無力な存在であることを悟ったのです。
次に彼はより美しく、大きく、日中であっても輝くことの出来る天体である月の喩えを提示しました。
“次いで、彼は月が昇るのを見て言った。「これが私の主です。」だがそれが沈むと、彼は言った。「私の主が私を導かれなかったら、私はきっと迷った民の仲間になったでしょう。」”(クルアーン6:77)
最終的に、彼はさらに大きなものであり、それなくしては生命の存続が不可能である、最も力強いものである太陽の喩えを提示しました。
“次いで彼は太陽が昇るのを見て言った。「これが私の主です。これは偉大です。」だがそれが沈むと、彼は言った。「私の人びとよ、私はあなたがたが崇拝するものと絶縁します。私は天と地を創られた方に私の顔を向けて、純正に信仰します。私は多神教徒の仲間ではありません。」”(クルアーン6:78−79)
アブラハムが彼らに証明したのは、偶像が象徴するものの中に全世界の王を見出すことは出来ないということ、そして彼ら自身の見て取れるもの、感じ取れるものの全ては創造されたものであるということ、そして主が崇拝されるためには目に見えるかどうかは関係ないということでした。全能の神は、この世に存在するかれの創造に定められているような限界には囚われないのです。神のメッセージは非常に明快です。
“神に仕え、かれを畏れよ。それがあなたがたのために最も良い。もしあなたがたが理解するならば。あなたがたは、神を差し置いて偶像を拝し、虚偽を捏造しているに過ぎない。あなたがたが神を差し置いて拝するものたちは、あなたがたに御恵みを与える力はない。だから、神から糧を求め、かれに仕え、感謝せよ。あなたがたはかれの御許に帰されるのである。”(クルアーン29:16−17)
彼は、彼らが先祖伝来の伝統に過ぎないものに盲目的に従うことについて、疑問を投げかけました。
“彼は言った。「実に、あなたがたとその先祖は、明白な過ちの中にあるのです。」”
アブラハムの進む道には常に、苦痛、困難、試練、抗争、苦悩が伴いました。彼の父親や人々は彼の教えを退けました。彼らは理性的であることを拒み、聞く耳を持とうともしなかったのです。
“彼らは言った。「我々に真実を見せてみよ。それともあなたは何らかの道化師なのか。」”
アブラハムはこの段階においてはまだ、将来性のある若者でした。彼は唯一の神を信仰する真実の一神教を説き、星や天体、その他の被造物からなる虚偽の神々を排除するために、自分の家族や故郷の民すらにも反対しました。彼はこの信仰のために拒絶、排除され、罰を受けましたが、すべての悪に断固として立ち向かい、迫り来るさらなる試練を覚悟していたのです。
“またアブラハムが、ある御言葉で主から試みられ、かれがそれを果たした時を思い起せ…”(クルアーン2:124)
Footnotes:
1 Gen r. xxxviii, Tanna debe Eliyahu. Ii. 25.
2 Abraham. Charles J. Mendelsohn, Kaufmann Kohler, Richard Gottheil, Crawford Howell Toy. The Jewish Encyclopedia. (http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=360&letter=A#881)
3 The Talmud: Selections, H. Polano. (http://www.sacred-texts.com/jud/pol/index.htm).
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