イスラームにおける教養(下):全人への教育

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説明: イスラームの歴史初期における教育。

  • より アーイシャ・ステイシー
  • 掲載日時 09 Mar 2015
  • 編集日時 09 Mar 2015
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“読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」読め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」”(クルアーン96:1−5)

Literacy_in_Islam_(part_3_of_3)_001.jpg預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)に啓示されたクルアーンの最初の言葉は、「読め」でした。それは、主の御名において読めというものです。神は信仰者が読み、知を求め、宇宙とその驚異について熟考し、感謝するよう求めています。イスラームは最も初期から教養と教育を推奨していました。神はクルアーンを通して、教育の重要性を何度も繰り返します。

“アッラーはあなたがたの中信仰する者や、知識を授けられた者の位階を上げられる。”(クルアーン58:11)

“あなた(預言者ムハンマド)に対する啓示が完了しない前に、クルアーンを急いではならない。寧ろ(祈って)言いなさい。「主よ、わたしの知識を深めて下さい。」”(クルアーン20:114)

イスラームは、その創始当初から学びを推奨してきました。それは科学的探求、学びの輪、地域における資料の活用、集団による調査、問題解決のアプローチ、弁論の技術、無料教育を推進します。学びの重要性は、預言者ムハンマドが教育をイスラームの重要な一部として確立させたことにより強調されています。

預言者ムハンマドはダールル=アルカムにおいて、初の知の会合を開きました。彼は礼拝後モスクに座り、教友たちは彼の回りに集まると、イスラームの基礎について、倫理の重要性について、そして最も重要なこととして、神の唯一性について教えられました。預言者ムハンマドは知の会合において、弟子たちにクルアーンの章句を教え、彼らをマッカ・マディーナ外の共同体へ、クルアーンの教師として派遣しました。

クルアーンを暗記・理解することは、イスラーム教育において今なお最も重要とされる科目です。それに次いで、預言者にまつわる伝承集の学習と暗記が来ます。それらの伝承は、真正が保証された伝承経路を通して伝えられています。それは今日、学問の正統性において参考文献一覧が使用されることと似通っています。

それらの教師たちは、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の模範に忠実に従いました。彼らは弟子たちと半円を作って地面に座りました。教師の横には最も信頼の置ける優秀な弟子が座り、教師の言葉を書き留めました。イスラームの教育は、小さな輪からモスク付属の学校へと急速に発展していきました。イスラームのカリフ国家では、短い期間で領土内のあちこちに大きな学校や大学が建てられ始めたのです。

カリフ国家が拡大すると共に、かつて預言者の用いた方法論が広まりました。クルアーンやイスラーム知識を収集・伝播することは、称賛すべき職であると見なされました。クッターブ(学識者)やムアッリム(教師)はイスラーム圏のあらゆる町や村に存在していました。イブン・ハウカルは、シチリア島への訪問時、現地には300人の初等学校教師がいたと証言しています。後に初期のイスラーム・カリフ国の官僚・総督となるジュバイル・ブン・ハイヤは、ターイフ(マッカ近郊の町)の学校の教師でした。著名なアル=ハッジャージや詩人のアル=クマイト、アッ=ティリンマらも教師であったと言われています。

尊敬の対象となる著名な学者たちも、教育は名誉であると見なしていました。伝統派の注釈学者であり文法学者でもあるイブン・ムザーヒム(西暦723年没)は、3,000人もの子供たちが出席した学校をクーファに持っていました。弟子たちへの行き渡った指導のために、彼はラバに乗って子どもたちの列を巡回していました。

イスラームの教育には、他の科目が追加され始めました。それらはイスラーム的作法、イスラーム法学、数学、文法、医学、農業、倫理学、市政学、経済学、歴史などです。教師陣、その助手、そして生徒たちは皆教育を真剣に受け止めていました。ある教師の教授法は、以下の引用で説明されます。

“彼は法学書の一節を数回読み返しました。生徒たちが暗記すると、それを復習し、イマーム・マーリクとアブー・ハニーファの相違した裁定を始め、ときには他者による同様のもの、そしてテキストの中で明らかにされていない箇所などに特に注意を促しました。そして彼は典拠を引用し、非常に明確な言葉遣いで類推を説明し、生徒たちの頭に残るよう、異なる言い回しも使ってそれらを繰り返しました。”

一般的にモスクや学校は、慈善事業によって寄贈されたものでした。教養・教育はとても熱心に激励されていたことから、学校や先生を見つけることのできない生徒は一人もいませんでした。貧困によって教育を受けられないということはなかったのです。初期イスラームの慣習における手法と、現在の教育機関のそれとには驚くべき共通点が多々存在しています。詩や弁論大会における優秀者に対する懸賞、試験の実施、そして学位の授与などがそれらの一部です。

また、著名な教育者としては、思想家、医師、教師だった(西洋でアビセンナとして知られる)イブン・シーナーがいます。西暦10世紀において、彼は800年以上に渡り医学界の主要な参考書として使用された医学書を著しています。またイブン・シーナーは、長年の使用に耐え得る教育課程や教育論も残しています。

彼は子どもたちに対するクルアーン、詩、篤信、倫理の学習の必要性を強調しました。一方で、子どもたちが遊び、運動し、気晴らしをする必要性も無視しませんでした。教育の全体的な目的とは個々人の身体的・精神的・倫理的成長であると考えていたのです。彼は教育について、子どもたちを社会に持続的に貢献させるための準備であると捉えていました。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は文盲だったものの、教養と教育の重要性を理解していました。彼は信徒たちに、知の探求をし、それを他者に継承するよう喚起していました。彼はクルアーンを暗記する重要性と、それが伝える知識に基づいた行為をするよう説いたのです。また彼は信徒たちが、周囲にある神の偉大さのしるしを探すよう勧めました。神を愛するためには、神を知ることが必要で、神を知ることはかれが創造した世界の素晴らしさを知ることによってもたらされます。知識こそが、私たちの創造主を愛し、最善の方法でかれを崇拝するための鍵なのです。



脚注:

記事「イスラームにおける教養」の第2部参考。

A. S. Tritton: Muslim Education in the Middle Ages. London: Luzac and Co. Ltd., 1957, p. 90.

http://www.muslimheritage.com/topics/default.cfm?TaxonomyTypeID=101&TaxonomySubTypeID=129&TaxonomyThirdLevelID=-1&ArticleID=1063

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