古代イスラエル王国 ― イスラーム的観点(1/6):預言者サムエルとサウル王
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 24 Jun 2013
- 編集日時 23 Jul 2023
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バイブルの歴史書1によると、古代イスラエル王国は代々、国王によって治められてきました。荒野のなかを一定の長い期間さまよった末に、イスラエルの民(古代イスラエル人)は約束された土地に入り、二つの王国に分裂します。ダビデ王は二つの王国の統一に成功し、彼の息子ソロモンの統治は黄金時代と呼ばれる平和と繁栄をイスラエルの民にもたらしました。多くの読者にとって、イスラームの歴史にもサウル、ダビデ、ソロモンの列王記を有していることは驚きの事実かもしれません。ムスリムはダビデとソロモンを預言者として信じているため、彼ら二人をイスラームの教えの一部として受け入れ、彼らを敬愛することが求められています。以下は、イスラーム的観点におけるイスラエル王国の記述2です。
預言者モーゼが人々を従えてエジプトから脱出したとき、 彼は過酷な試練と挑戦に直面しました。エジプト人による数世代に渡る残酷な圧制下で、イスラエルの民は復活の時代を待ち望んでいました。彼らの精神は、エジプトに蔓延していた偶像崇拝の実践によって頑なとなり、心に闇をもたらしました。神はモーゼが彼の民を約束の地へと導くよう指示しましたが、彼らはモーゼの世代が全滅し、神の想念に心を満たした世代に取って変えられるまで、そこに入るのを阻まれました。ヨシュアはイスラエルの民を約束の地へと導き、人々はしばらくの間、良き環境のもと、唯一なる神のご満悦を得ることに心を集中させていました。
時が流れ、イスラエルの民の倫理観は低下し、彼らは諸預言者の殺害といった多くの罪を犯すようになりました。そのため、神は人々のことなど気にもかけないような圧制的な王に彼らを支配させました。王は人々を蔑み、彼らの血を流し、彼らを近隣諸国との戦争に狩りだしました。果てしなく続くいくつもの戦争の間、イスラエルの民は預言者モーゼとアロンの遺物や財宝の入った箱を持ち出しました。
その箱は「契約の箱」または「聖櫃」として知られ、イスラエルの民はその安置所を設置したり、戦争に持ち出したりしました。彼らにとって、それは大いなる安寧と勇気をもたらしたのです。そして彼らの敵は、聖櫃の中に特別な力が宿っていると考え、恐怖しました。ペリシテ人はその恐怖を乗り越え、イスラエルの民を打ち負かし、聖櫃を手に入れました。圧制的な王が聖櫃の奪取についての知らせを受けると、彼は倒れ、死にました。イスラエルの民は、神が預言者サムエルを彼らに遣わし、同位者、子、娘、敵対者などの存在せぬ唯一なる神への崇拝へと再び導くまで、羊飼いの失った羊の群れのようにさまよい続けました。
我らに王を
彼らの失墜に落胆したイスラエルの民は、自分たちの王を任命してくれるよう、預言者サムエルに頼みました。彼らは繁栄と栄光を取り戻してくれるような力強い人物を求めましたが、サムエルは彼らの約束と懇願に対して慎重でした。彼らはその汚れた心から、神のために戦おうとはしないだろうと彼は危惧したのです。サムエルは賢明な人物で、彼はイスラエルの民の王にふさわしい者が現れることを神に祈りました。神はサウル(タールート)を王として選び、預言者サムエルにその敬虔な若者を承認するよう伝えました。
サウルは長身の、がっしりとした体格の若者で、彼は父と共に農場で働いていました。ある日、一部のロバたちが農場からはぐれてしまった時、サウルと彼の召使いはそれらを探しに出ました。彼らの探索は、預言者サムエルの住む街にまで及びました。サウルは聡明で、彼の召使いの助言を聞き入れ、いなくなったロバについて預言者サムエルのもとへ尋ねに行きました。サムエルはサウルを直ちに将来の王として認識し、ロバたちが彼の父の元に既に送り返されていること伝えました。預言者サムエルはサウルに対し、彼がイスラエルの民の王として神によって選ばれたことを告げました。
サウルは驚きを禁じ得ませんでした。彼は自分がそういった名誉にふさわしくないことを直ちに主張しました。なぜなら彼は、イスラエルの民の大半がそのような偉大さからは程遠いとみなす、身分の低いベンジャミン族の出身だったからです。預言者サムエルは、サウルが王になることは神によって既に定められたことであるため、それは重要なことではないと説明しました。サムエルはイスラエルの民の前にサウルを紹介し、こう言いました。“誠にアッラーは、タールート(サウル)をあなたがたの上に、王として任命された。”(クルアーン2:247)
イスラエルの民は、直ちに苦情を述べ連ねました。彼らは神に対し、慈悲と圧制からの救出を嘆願していたにも関わらず、唯一なる神への愛情に溢れた敬虔な若者と預言者サムエルの双方に軽蔑的な態度を示したのです。彼らはこう言ったのです。“かれがどうして、わたしたちの王になれようか。わたしたちこそ、かれよりも王に相応しい。またかれは富にも恵まれていない。”(クルアーン2:247)
イスラエルの民の心は再度、頑なになり、病んだのです。彼らは敬虔さよりも富や地位を望み、神によって選ばれた指導者の粗探しをしたのです。サウルには富も地位もありませんでしたが、神は知識と能力によって彼を祝福しました。預言者サムエルは彼らとの対話を試みました。彼はこう言ったのです。“アッラーは、あなたがたの上にかれを選び、かれの知識と体力を強められた。アッラーは御心に適う者に、王権を授けられる。”(クルアーン2:247)しかしイスラエルの民は不平を止めず、サウルが本当に彼らの王としてふさわしいかどうか、神の印を求めることも反対したのです。
神はその果てしなき慈悲と英知から、イスラエルの民が要求したしるし(奇跡)を示しました。神は天使たちに、ペリシテ人によって奪われた聖櫃を取り戻すよう命じたのです。神は彼らにとってかけがえのない、過去の遺物のつまった聖櫃を返還しただけでなく、その内容物に静寂を加えました。
“預言者(サムエル)はかれらに言った。「かれの王権の印は、あなたがたに来るあの櫃である。天使たちがその中に、主からの平安と、ムーサー(モーゼ)の一族とハールーン(アロン)の一族の遺品を入れてやって来る。あなたがたがもし(真の)信者ならば、その中にあなたがたへの印がある。」”(クルアーン2:248)
サウルは公式に、王として任命されました。彼はイスラエルの民から強奪された土地を奪還すべく、軍隊を組織しました。しかし、サウルは彼の軍隊が勇敢かつ敬虔な男のみによって構成されることにこだわりました。サウルの命令に従う男達は、その心が唯一なる真実の神への愛情に満ち溢れた者たちだけだったのです。
古代イスラエル王国(2/6):サウルの軍隊
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 01 Jul 2013
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預言者サムエルは、イスラエルの民(古代イスラエル人)にサウルという敬虔な若者が彼らの王、そして指導者となることを告げました。当時のイスラエルの民はそれに関して苦情を述べ連ね、神のしるしを要求しました。神はその果てしなき英知から、彼らに紛れもないしるしを授けました。天使たちがイスラエルの民へ、ペリシテ人によって奪われた聖櫃を返還したのです。心の拠り所を取り戻したイスラエルの民は、サウルを王として認めました。
しかしサウルは、イスラエルの民が敬虔さと善良さからは遠く離れた人々であることを認識していました。暫くすると、サウルはペリシテ人によって征服された故郷の土地を取り戻すため、軍隊の組織を決意しました。サウルは彼の戦士たちが純粋な心を持ち、神のために勇敢に戦う者たちであることを確信したかったことから、自主的に数々の試験を通り抜けた者たちだけを選びました。彼は大軍を望んでいたのではありません。彼は不平を述べたりせず、試練と困難に直面することの出来る、敬虔で勇敢な者たちを望んだのです。
イスラームの歴史学者たちは、サウルの軍隊が当初は8万人だったと推定します。しかしサウルが欲していたのは数の多さ・強さではなく、心と忍耐の強さだったということを理解しなくてはなりません。彼は様々な責任を負わない者が軍隊に入ることを命令したのです。彼は、家々の建築、結婚の近い者、仕事の取引に忙しい者は入隊しないよう命じました。サウル王は、砂漠の中で軍隊を疲労と極度の渇きを覚えるまで行進させることによって、彼の軍隊を試しました。彼らが川に到達したとき、彼らは目の前に水があるのを見ましたが、サウルはそれを飲まないよう彼らに命じました。誰であれ川の水を飲んだ者は、軍隊から除隊されることを彼は告げ知らせたのです。
“タールート(サウル)が軍を率いて出征する時、かれは言った。「本当にアッラーは、川であなたがたを試みられる。誰でも川の水を飲む者は、わが民ではない。だがそれを味わおうとしない者は、きっとわが民である。只手のひらで、一すくいするだけは別だ。」だが少数の者の外、かれらはそれを飲んだ。”(クルアーン2:249)
サウル王は、彼らにそれを全く飲まないでおくか、必要ならば一すくいだけ飲むことを指示しました。7万6千人は川から水を飲みました。それゆえ、サウルには4千人の軍隊が残されました。サウルは、困難に直面しても強い意思をもって誘惑に打ち勝つことの出来る者たちを望んでいたため、それで満足しました。しかし、彼らはすぐにもう一つの過酷な試練に直面します。サウルの軍隊は川の対岸に敵軍を発見したのです。彼らは川を渡り、ペリシテ人の軍隊と対峙しました。
“かれ(タールート)およびかれと信仰を共にする者が(川を)渡った時、かれらは、「わたしたちは今日ジャールート(ゴリアテ)とその軍勢に敵対する力はない。」と言った。だがアッラーに会うことを自覚する者たちは言った。「アッラーの御許しのもとに、幾度か少い兵力で大軍にうち勝ったではないか。アッラーは耐え忍ぶ者と共にいられる。」”(クルアーン2:249)
ゴリアテの軍隊の規模は、4千人の多くを恐怖させました。しかし確信を持って神のために戦っている者たちはしっかりと立ち、お互いにこう言いました。「神のお許しから、小さな軍勢が大きな軍勢を打ち負かしたのは、過去に幾度となくあったのだ。」サウルの軍隊の大半は、ペリシテ人の軍隊へと恐怖のまなざしを向けました。彼らの大半は進軍を拒否しました。サウルには最終的に、僅か300人の兵隊しか残されていませんでした。彼らは様々な試練を受け、8万もの軍勢からは300人しか残らなかったのです。
“それからかれらは進んで、ジャールートとその軍勢に見えんとする時、(祈って)言った。「主よ、わたしたちに不屈の精神を注ぎ込んで下さい。わたしたちの足場を固めて、不信心の民に対し、わたしたちを御助け下さい。」”(クルアーン2:250)
小隊がゴリアテ軍と対峙したそのとき、彼らは正面に広がる軍勢の規模に目をやり、神へと信頼を寄せました。彼らは神へ忍耐、そして不信仰者たちへの勝利を祈願しました。サウルの軍隊は小規模でしたが、その一人一人は鉄のように固い意思を持っていました。長身で巨大なペリシテ人の統率者ゴリアテは、300人に向かい行進を始め、彼らは再び神への信頼と勇気の試練を受けたのです。
双方の軍が直面すると、ゴリアテはサウル軍の精鋭との一騎打ちを挑戦しました。サウル軍の兵士たちはイスラエルの民のなかでも最も優れていましたが、彼らはゴリアテに対して恐怖し、狼狽したのです。誰もその挑戦を受けて立とうという者は現れませんでした。サウルはそれに志願する者に対し、彼の美しい娘との結婚を約束しましたが、それでも前に進み出る者はいなかったのです。すると、一人の少年が志願し、それに誰もが仰天しました。ペリシテ人は大声で笑い、サウル軍の兵士たちでさえ、まったく信じられないという風に首を振ったのです。
サウル王はその小さな男児の武器が、ぱちんこだけだったのに気付きました。彼は再度挑戦者を募りましたが、その男児の勇気に見合う者は一人もいなかったのです。男児は自ら、自分が過去に父の羊を守るため、ライオンと熊を殺したことがあると言って、その志願を取り消しませんでした。サウルは、彼が軍隊に課した忍耐の試練を思い出し、自分の正面に勇気、忍耐、そして何よりも神への完全なる信頼を持ち合わせた一人の男児がいるのを見ました。サウルはこのベツレヘム出身の少年ダビデに、巨大なゴリアテとの一騎打ちを許しました。
古代イスラエル王国(3/6):預言者ダビデ
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 08 Jul 2013
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サウル王は、彼の軍隊が敬虔かつ強靭な意思を持つ者たちから構成されることを確信させるため、彼らにいくつもの試練を課しました。軍隊編成当初の8万人から、ゴリアテ率いるペリシテ人と直接対峙したのは僅か300人でした。ゴリアテはサウル軍に対して一騎打ちを挑戦しましたが、それに応じた唯一の者はダビデという名の小さく俊敏な少年でした1。彼以外には誰一人として挑戦を受けて立つものがいなかったため、サウル王はダビデ少年が巨大なゴリアテと戦うことを許しました。ゴリアテは少年を前にすると大声で笑い、サウル軍の兵士たちでさえも、それを信じられないといった表情で見守ったのです。
サウル王はダビデに鎧と武器を装備させようとしましたが、少年はそれを拒みました。彼はかがみこんで一握りの小石を拾い上げ、肩にかけた革袋に詰め込みました。ぱちんこで武装したダビデは、ゴリアテに向き合いました。サウルは心配しましたが、ダビデは過去に、父の羊の面倒を見ていた際、熊とライオンによる襲撃から守られたことを彼に告げて安心させようとしました。ダビデはこの巨大で粗暴な男に直面しているそのときも、神は再び彼を守ってくれるという確信を持っていました。
ゴリアテは、ぱちんこだけを手にしたこの痩せた少年に目をやり、高笑いしました。ダビデは落ち着いて袋から小石を取り出すと、ぱちんこを構え、的を定めました。小石は狙い済ました弓矢のような速さと精確さで両陣営の間を飛び抜け、ゴリアテの頭に強烈な一撃を与えました。彼は傷口から血を吹き出させてよろめき、剣を引き抜く間もなく地面に倒れて絶命しました。ゴリアテの背後にいた軍隊は恐怖に息を飲み、その事実を信じることも出来ず、戦場を背にして敗走しました。イスラエルの民は一斉に前進し、ペリシテ人に奪い取られた名誉を奪還したのです。
“果たしてかれら(サウルの軍勢)は、アッラーの許しのもとにかれらを打ち破り、ダーウード(ダビデ)はジャールート(ゴリアテ)を殺し、アッラーは、王権と英知をかれ(ダビデ)に授け、かれのおぼしめしに就いて教えられた。アッラーが人間を、互いに抑制し合うように仕向けられなかったならば、大地はきっと腐敗したことであろう。だがアッラーは、凡てのものに恵みをくださる。”(クルアーン2:251)
預言者ダビデの奇跡的特質
ゴリアテと戦った当時、ダビデはまだ預言者ではありませんでしたが、サウル王と預言者サムエルの死後、彼は預言者となり、王国が与えられました。神はダビデにイスラエルの民を正道へと導き、唯一なる神を崇拝させることを可能とさせる英知と知識を与えました。神はすべての預言者たちに彼らの預言者性を証明させる特質を与えており、預言者ダビデにも奇跡や独特な性質が与えられていました。ダビデのそれは、美しい声でした。彼が詩篇(イスラームにおいて「ザブール」として知られるもの)を朗唱したとき、彼の周りにある被造物は、彼と共に神を讃えたと伝えられています。また預言者ダビデの特質のひとつとして、動物や鳥の言葉を理解出来たことが挙げられます。
“われは山々を従わせ、かれ(ダビデ)と共に朝夕に讃美させ、また鳥類も、集って、凡てのものが主の命令に服して讃美しつつ常に(主の御許に)帰った。”(クルアーン38:18−19)
預言者ダビデには、別の奇跡も授けられました。彼の手中では鉄が柔らかくなり、彼はそれを望みどおりの形に変形させることが出来ました。当時の世界では鉄が発見されてはいましたが、それを軟化させて応用することはまだ非常に困難なことでした。神はダビデに、盾や鎧の作り方を教えたのです。ダビデによる鎖かたびらの発明以前には、兵士たちは身動きを制限する重い鉄の板を装着しなくてはなりませんでした。
“またわれは、かれ(ダビデ)に(鎖)帷子を作る術を教え、暴力からあなたがたの身を守らせた。それでもあなたがたは感謝しないのか。”(クルアーン21:80)
ダビデは唯一なる神に対する敬虔さと献身によって知られ、隔日で断食をしていました。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、教友たちに次のように語っていたことが伝えられています。「神によって最も愛された断食は、一日おきに断食していた預言者ダビデによ断食である。また神によって最も愛された礼拝は、夜の最初の半分を睡眠し、3分の1を礼拝し、6分の1を再び睡眠した預言者ダビデによる礼拝である。」2
ダビデはイスラエルの民に平安と繁栄をもたらした、公正で誠実な指導者でした。彼は、一日を4つの部分に分けていたと考えられています。その1つ目は、仕事と休憩です。預言者ダビデは国庫から収入を得ていたのでありません。彼は熟練した武具師で、自らと家庭のため武具を製造し販売していました。2つ目は礼拝で、神の偉大さを熟考する時間に費やしていました。3つ目は人々への説教のための時間、そして4つ目は国民の声を聞く時間でした。またダビデは王国内の人々の声をくまなく聞き取るため、複数の代理人も任命しました。
預言者ダビデには、ソロモンという息子が授けられました。“われはダーウード(ダビデ)にスライマーン(ソロモン)を授けた。何と優れたしもべではないか。かれは悔悟して常に(われに)帰った。”(クルアーン38:30)二人は共に、公正で賢明な指導者として知られました。ダビデはイスラエルの民のために王国を築き上げ、預言者ソロモンはそれを黄金期へと導いたのです。
古代イスラエル王国(4/6):英知
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 15 Jul 2013
- 編集日時 15 Jul 2013
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“アッラーは、王権と英知(アル=ヒクマ)をかれ(ダビデ)に授け、かれのおぼしめしに就いて教えられた。”(クルアーン2:251)
旧約聖書からの物語、そしてバイブルの歴史において、預言者ソロモンはたびたび賢者として言及されます。イスラームにおいては、すべての預言者たちは卓越した英知を有する者として知られ、実際アラビア語の「ヒクマ」は時に「預言者性」と訳され、良き判断力、人々への統率力と公正さなど、英知にまつわる特質すべてを意味します。神はすべての預言者たちの性格を整え、形成させますが、ダビデとその息子のソロモンに関しては特に英知の深さにおいて知られていました。ソロモンは幼少の頃から賢さを示し、父親に助言する程でしたが、預言者ダビデの青年期は知識の探求、そして人生経験の積み重ねでした1。神は徐々に、彼らの人生の舵をとりました。ダビデは誤ることもありましたが、そこから学び取りました。彼ら二人の知識と英知は、イスラーム的判断と助言において今なお、影響を与えています。
ダビデは厳しい人生を歩みましたが、熟考と礼拝のために時間を割くことを欠かしませんでした。彼は毎日、一人静かな場所に篭って神を想念し、礼拝と祈願をしていました。ダビデの兵士たちがその場所を見張っていましたが、ある日突然二人の男がどこからか現れました。彼はその二人の出現に驚きを隠せず動揺しましたが、二人は穏やかな口調で語り、ダビデを安堵させました。二人は裁判の判決を待つ申し立て人だということを説明しました。
“あなたは論争者の物語を聞いたのか、人びとが私室の壁を乗り越えて、ダーウード(ダビデ)のところに入って来たのでかれは驚いた。かれらは言った。「恐れることはありません。これが訴訟の当事者の双方です。一方が他方に不正を働きました。真理によってわたしたちの間を裁いて下さい。不公平がないように、わたしたちを公正な道に御導き下さい。」”(クルアーン38:21−22)
二人はダビデの前に立ち、そのうちの一人が自分のケースについて説明しました。ダビデにはそのケースが、一方による他方への弾圧であることが明らかでした。彼が即座に判決を下すと、それと同時に二人は消え去りました。その瞬間、ダビデは二人の男が神によって彼を試すために遣わされた天使たちであり、彼はその試験に落ちたことに気付いたのです。彼は地面に崩れ、軽率な判決を下したことに対して神の赦しを請いました。彼は双方の主張に耳を貸さなかったことに気付きました。彼は一方の主張だけに基づいた判決を下したのです。クルアーンは、ダビデの性急さと突発的判断について、そして悔悟し神へと立ち返ることの益を説いています。
“「これは、わたしの兄です。かれは99頭も雌羊を持っており、わたしは(只)1頭しか持っていませんでした。ところがかれは、それをも自分に任せなさいと言ったのです。そして言葉巧みにわたしを言い負かせてしまったのです。」かれ(ダビデ)は、(他方の主張を聞くこともなく、性急に)「かれがあなたの羊を、取り込もうとしたのは、確かに不当です。本当に共同で仕事をする者の多くは、互いに侵しあう。信仰して善行に勤しむ者は別だが、それは稀です。」と言った。(その時)ダーウード(ダビデ)は、われがかれを試みたことを喩り、主の御赦しを請い、礼拝にひれ伏し、悔悟して主の御許に帰った。それでわれは、かれ(の過ち)を赦した。かれは(今)本当にわれに近づき、多幸な(悟り切った)帰り所にいる。”(クルアーン38:23−25)
ダビデはこの経験から、価値ある教訓を学びました。それは、公正な判決を下すには、すべての情報を把握しておく必要があるということです。また、自らの罪や過ちを認知し、神へと赦しを請うことも学んだのです。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、彼の追従者たちに、何かを知ることは、それを実際に見ることとは異なることを教えています2。つまり、何かについての知識があったとしても、実際にそれを経験するまでは真の理解を得てはいないということです。神はダビデに知識を授け、その性格を磨くべく人生経験を積ませました。ダビデは彼の過ちから学び、より良い人物となったのです。
神はダビデに天使たちを遣わし、公正さと正義について教え、彼の悔悟ゆえに報奨しました。神はダビデにアル=ヒクマ(預言者性)を授け、賢明な判決と優しい心によってイスラエルの民を統治する指導者として任命しました。ダビデは自らの過ちを認め、悔悟しました。このことは彼を変えたのです。真の悔悟と神への畏れは、私たちをより良い人間にするのです。
“ダーウード(ダビデ)よ、われはあなたを地上の代理者にした。だから人びとを、真理(と公正さ)によって裁き、私欲に従って、アッラーの道を踏みはずしてはならない。アッラーの道から迷う者は清算の日を忘れた者で、必ず厳しい懲罰にあう。”(クルアーン38:26)
ダビデの息子ソロモンは、幼少の頃から賢明かつ博識でした。そのクルアーン注釈で知られる、14世紀の著名なイスラーム学者イブン・カスィールはこう述べています。ある日ダビデが人々の問題を解決すべく座り込んでいると、二人の男がやって来ました。その内の一人の農場の所有者はこう言いました。「預言者よ、この男の羊が私の農場に夜間入り込んでブドウを食い荒らしたため、私は弁償を求めています。」ダビデは羊の所有者に尋ねました。「それは本当か?」彼が肯定すると、ダビデは言いました。「あなたは農場(の被害)と引換に、その羊を彼に与えるべきであることを私は決定する。」
しかしソロモンは異なる見解を提示しました。彼は羊の所有者がブドウが実るまで農場を管理し、他方は農場が修復されるまで羊を預かり、羊毛や乳を得るという案を示唆しました。もしブドウが実るなら、農場は元通りになり、農場の主は農場を取り戻し、羊はその所有者に返却されることになります。ダビデは息子の賢い意見を認めたため、ソロモンは「英知のソロモン」という称号を得ました。しかしながら、それは歴史上において預言者ソロモンが得た唯一の称号ではありません。彼はまた、「偉大なるソロモン」としても知られます。彼が父の王国を引き継いだ時、ソロモン王はイスラエルの民を黄金期へと導いたのです。
古代イスラエル王国(5/6):黄金期
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 22 Jul 2013
- 編集日時 22 Jul 2013
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神の預言者たちは私たちと同じ人間に過ぎませんでしたが、彼らの任務には卓越した特質が必要でした。一人一人の預言者は同じ教えを説きましたが、それは唯一なる神を崇拝することが人間の目的である、ということです(クルアーン51:56)。また、彼らは神の法を適用し遵守させることも求められました。それぞれの預言者が信頼されるようにと、神は彼らが遣わされた人々にとって理解しやすい奇跡を授けました。預言者ソロモンを定義する奇跡とは、彼の比類なき王国でした1。
預言者ダビデと息子のソロモンは共に、神によって知識と善き判断力が授けられていたため、賢明で公正な統治者でした。ダビデは王国を建国し、ソロモンはイスラエルの民を黄金期へと導きました。ソロモンの王国は、過去に存在した、あるいは将来的に存在するであろういかなるものとも異なりました。最も良き計画者である神は、ソロモンにいくつもの試練を課し、それらは彼の性格を磨き上げるためのものだったため、彼の人生は知識と経験を積ませる出来事に満ちていました。
神がソロモンを「優れたしもべ」と呼ぶのは、彼による真摯な悔悟に因んでいます。ある時ソロモンは乗馬に没頭するあまり、午後の礼拝の時間が過ぎてしまいました。しかし、彼は自分の過ちに気付くと悲しみ、後悔の念と共に神へと向き直り、お赦しを嘆願したのです。
“われはダーウード(ダビデ)にスライマーン(ソロモン)を授けた。何と優れたしもべではないか。かれは悔悟して常に(われに)帰った。(ある日の)黄昏時、駿馬が、かれに献上された時のことを思い起しなさい。かれは言った。「本当にわたしは、(この世の)素晴しい物をめでて、夜の帳が降りるまで、主を念ずることを忘れてしまったのです。さあ、その馬を連れて参れ。そしてかれは、馬の足と首を切り落としてしまった。またわれはスライマーンを試み…”(クルアーン38:30−34)
預言者ダビデの死に際し、ソロモンは預言者性と王国の双方を引き継ぎました。ソロモンはその英知の深さから、神の力について鋭い認識力を有していました。彼は自らの置かれた状況が容易であれ困難であれ、神こそがそれをもたらした者であるということを認め、神を讃えました。彼は言いました。“アッラーを讃えます。”(クルアーン27:15)神に祈願しない限りは、いかなる力や強さも彼のものとはならないことをソロモンは理解していました。それゆえ、彼は神を拠り所とし、決して越えられることのない王国を求めたのです。神はその祈願に応えました。彼はソロモンに多くの能力を授け、それらは偉大なる王国の確立を助けたのです。
“(かれは)言った。「主よ、わたしを御赦し下さい。そして後世の誰も持ち得ない程の王国をわたしに御与え下さい。本当にあなたは豊かに与えられる方です。」
そこでわれは、風をかれに従わせた。それはかれの思うままに、その命令によって望む所に静かに吹く。またわれはシャイターン(悪魔)たちを、(かれに服従させた。その中には)大工があり潜水夫もあり、またその外に、スライマーン(ソロモン)の命令に服さず鎖に繋がれた者もいた。(主は仰せられた。)「これがわれの賜物である。あなたが与えようと、控えようと、問題はない。」
かれは(今)われの近くにいて、幸せな(悟りきった)帰り所にいる。”(クルアーン38:35−40)
預言者ソロモンは神の御意によって、風を操って利用することが出来ました。彼はそれにより、僅かな時間で遠く離れた場所まで移動することが出来たのです。さらに、ソロモンはジン2の中の悪魔たちを操り、かれらに建造物の建築、鉱物の採掘、財宝探索の潜水、そして王国内の諸施設の監視などをさせることが出来ました。また神は、ソロモンに溶けた銅の湧き出る泉を授けました。彼の父ダビデが鉄を捏ねることが出来たように、ソロモンは銅の道具や武具、器具などを作ることが出来たのです。
“またわれは、猛威を奮う風(を起す術)をスライマーン(ソロモン)に(授け)、かれ(スライマーン)の命令の下に、われが祝福する地に吹かせた。われは凡てのことを知るものである。また悪魔たちの中にも、かれのために潜水する者あり、またその外の仕事をしている者もあった。われはいつもかれらを見張っていた。”(クルアーン21:81−82)
“またスライマーンには風を(支配させ)、(その風の一吹きで)一朝に一ケ月(の旅路)を、また一夕に一ケ月(の帰路)を(旅させた)。またわれはかれらに熔けた銅の泉を湧き出させた。また主の御許しによりあるジン(幽精)に、かれの面前で働かせ、かれらの中われの命令に背く者には、烈しい焔の懲罰を味わわせた。かれらは、かれ(スライマーン)のためにその望む高殿や彫像や池のような水盤、また固定した大釜を製作した。(それぞれの持場で)「あなたがたは働け、ダーウード(ダビデ)の家族よ、感謝して働け。」だがわれのしもベの中で感謝する者は僅かである。”(クルアーン34:12−13)
預言者ソロモンは偉大なる名声を博する国王でした。彼の王国は比類なきものであり、イスラエルの民の黄金期を象徴するものでした。彼は英知と公正さをもって統治し、すべての力と強さは神のみによるものであることを認知しました。しかしながら、その地域における強大な統治者はソロモン王だけではありませんでした。現在のイエメンにあたるシバとして知られた土地には、ビルキスという名の女王がいたのです。
古代イスラエル王国(6/6):王権と預言者性
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 29 Jul 2013
- 編集日時 29 Jul 2013
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古代イスラエル王国についての最終回は、ソロモン王とシバ女王の逸話です。多くの人は、その人物像と物語がバイブルの歴史のものと類似していることについて興味を持っているかもしれません。しかし、イスラーム的観点においては、根本的な部分において異なります。
ソロモンは預言者でありながら、国王でもありました。神の預言者としての彼の使命とは、神が唯一であり、共同者や同位者がないという教えを伝えることです。彼は神の法を遵守しました。彼は国王として、イスラエルの民に、富と繁栄に満ちた黄金期をもたらしたのです。
ソロモンの王国と軍隊は比類なきものでした。彼の軍隊は人間の軍勢、ジンの軍勢、そして鳥の飛行部隊によって構成されていました。ソロモンは鳥と会話し、ジンを操り、人間の敬意と忠誠に訴えかけるすることが出来ました。彼は数十万人とも言われる膨大な軍隊を従え行進しました。
エルサレムのモスク
ムスリムは、ソロモン王によってマスジド・アル=アクサー(エルサレムの聖モスク)が再建または拡張されたと信じます。イスラームの歴史によれば、預言者ヤコブによって彼の祖父である預言者アブラハムがマッカに神の家を建てた40年後、マスジド・アル=アクサーは建てられました。イスラームでは、マスジド・アル=アクサーの敷地内において、ソロモン王が寺院を造ったという概念を完全に否定することから、ユダヤ教との相違が発生しています。それは、現在その聖地において軋轢を生じさせている原因の一つです。3大一神教におけるソロモン観の小さな違いは、時と共に大きな溝を生み出したのです。
シバへ
エルサレムを首都として王国を確立させた後、ソロモンは軍隊を率いてシバとして知られた土地へと進軍しました。この地には季節風による雨がありました。それゆえ人々はダムを造り、灌漑を網のように張り巡らせました。不毛な土地は、広大な庭園や肥沃な平原へと変容しました。この緑化について知ったソロモンは、その変化を自らの目で確かめたいと思いました。
軍隊が進軍していると、蟻の大群が巣くう谷間に到達しました。小さな蟻の一匹が進軍してくる軍隊を目にし、仲間にこう呼びかけました。“蟻たちよ、自分の住みかに入れ。スライマーン(ソロモン)とその軍勢が、それと知らずにあなたがたを踏み躙らないよう。”(クルアーン27:18)ソロモンは蟻の会話を理解し、蟻たちは自分たちが意図的に壊滅させようとはしていないことに気づいている事実を喜び、微笑みました。ソロモンは蟻の生命を守った神に感謝しました。彼は鉄の拳によって支配する、抑圧的な王などではありませんでした。ソロモンは神の被造物すべてに敬意を払う人物でした。
ソロモンが蟻の大群に遭遇した後、軍隊を査察すると、一羽の鳥がいなくなっていることに気付きました。彼はそのヤツガシラの所在について尋ね、不在に対する懲罰を決心していました。ヤツガシラは地下水の検知が出来る鳥で、ソロモン王はシバの平地がなぜ青々とした肥沃な土地であるかということに特に関心を持っていたのです。間もなくヤツガシラが戻ってきて、ソロモン王にこう上申しました。
“わたしは、あなたの御気付きにならない事を知りました。わたしは確実な情報を、サバア(シバ)から持って来ました。わたしは或る婦人が、人びとを治めているのを発見しました。かの女には凡てのものが授けられ、また素晴しい王座がございます。わたしはかの女とその民が、アッラーを差し置いて太陽を拝んでいるのを見届けました。そして悪魔が、かれらに自分たちの行いを立派だと思い込ませ、正道からかれらを閉め出しているので、正しく導かれておりません。”(クルアーン27:22−24)
ヤツガシラは真の服従をもって神を崇拝していました。その鳥はソロモン王に対し、ビルキス女王の王座は一世を風靡する、実に立派なものであるにも関わらず、究極の王座は全能なる神に属することを告げたのです。ソロモンはヤツガシラにこう述べました。
“わたしはあなたが、真実を語ったのか、または嘘付きの徒なのか、直ぐ分るであろう。あなたはわたしのこの手紙を持って行って、それをかれらに落としなさい。それから退いて、かれらが何と返事するかを見るがいい。”
ヤツガシラは女王の膝に手紙を落として飛び去ると、隠れて女王と参謀たちの会話に耳を澄ませました。
“かの女(王)は言った。「長老たちよ、本当に尊い手紙がわたしに届けられました。本当にそれはスライマーン(ソロモン)から、慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において(齎されたもの)。それはこう言っている。わたしに対しあなたがたは高慢であってはなりません。(真の教えに)服従してわたしのもとに来なさい。」
かの女は言った。「長老たちよ、この事に就いてわたしに意見を聞かせて下さい。あなたがたが証言するまでは、わたしは事を決定しないでいよう。」
かれらは言った。「わたしたちは力量もあり、烈々たる武勇も授っています。だが大命はあなたさまの手にあります。どう御命令なさるかよく御考え下さい。」”(クルアーン27:27−33)
ビルキス女王は戦争を始めることが出来たにも関わらず、ソロモン王に贈呈品を送るという選択肢を取り、彼女の英知を示しました。ソロモンは、彼の望むものは既に、神がすべて授けて下さった旨を説明し、それらの贈呈品を返却しました。彼はビルキスに対して敬意に基づいた対応をしましたが、もし彼女が太陽崇拝をやめなければ、彼女の王国に侵攻し、人々をそこから追い出さざるを得ないことを指摘しました。そこでビルキスは再度、英知と善き判断力を示すのです。
ソロモンと女王
ソロモンの言葉に感情を害し、行動に出る代わりに、ビルキスはまず彼を訪問し、派遣した使節の述べた驚異について自ら確認することにしました。彼女が旅路にある中、ソロモン王はジンに対し、ビルキスの壮麗な王座を持ってくるよう命じました。それは瞬く間に彼のもとにもたらされました。ジンの能力から、そうした速さが可能だったのです。ビルキスが到着すると、ソロモンは彼女の目の前にある王座について尋ねました。彼女はその生まれ持った英知と外交的手腕からこう言いました。「それはまさに私のものであるかのようです。」
ソロモンの王国の驚異を実体験したビルキスは、彼女が英知に溢れる素晴らしき指導者の前にあることを実感しましたが、何よりも、神の使徒としての彼の地位も認識できたことが、彼女にとっての収穫でした。ビルキスは直ちに太陽崇拝の破棄を宣言し、神の教えを受け入れ、彼女の民にも同じことをするよう激励することを誓いました。イスラーム学者たちは、ビルキスの生まれながらの英知が彼女を真理へと導いたことを指摘しています。
ソロモンの人生は驚きに満ちたもので、彼の死も例外ではありませんでした。彼は王座に座ったまま、王国を見渡しながら死んだのです。ジンたちは彼らの主人がまだ見ていると思い、せわしなく働き続けました。小さな蟻がソロモンの体を支えていた杖をかじり、それが彼の手から離れて彼が倒れこむと、ようやく彼の死があらわになったのです。
“われがかれ(ソロモン)に死の断を下した時も、かれらにその死を知らせたのは、一匹の地の虫がかれの杖を蝕ばんだことであった。それでかれが倒れると、ジンたちは(初めて)悟った。”(クルアーン34:12−14)
ユダヤ・キリスト教の歴史においては、ソロモン王が度を超えた行為によって知られる男として不当に描かれています。ムスリムにとって、彼は英知に満ちた高貴な人物なのです。イスラームでは、預言者ソロモンが神の教えに背き、偶像を崇拝したという観念を完全に否定します。彼は、神のご満悦を得ることにその人生のすべてを費やした預言者の息子でした。彼は父ダビデの王国を引き継いで強化し、イスラエルの民に黄金期をもたらしたのです。彼は多くの才能を有し、その人生は驚異と奇跡によって象徴されますが、彼は賢明にも、来世にこそは真の永続的な報奨があることを理解していたのです。
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