衛生管理(前編):清潔さは信仰の半分である

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説明: イスラームにおける衛生管理の重要性について。

  • より アーイシャ・ステイシー
  • 掲載日時 28 Oct 2013
  • 編集日時 28 Oct 2013
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低水準 高水準

世界中のムスリムは、極めて高い水準の衛生管理に通じていますが、それはイスラームが肉体的・精神的な清浄性に重きをおく宗教であるからです。人は一般的に、清潔であることを肯定的に捉えますが、イスラームはそれに対してこだわりを見せます。ムスリムは衛生的観点から、身なりを整え、身体、衣服、そして自身の周囲が清潔であることが求められています。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、教友たち、そして私たち全員に、清潔さの重要性についてこのように述べています。清潔さは信仰の半分である。1 またクルアーンは、より具体的にこう述べます。

“誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛でられ、また純潔の者を愛される。”(クルアーン2:222)

衛生管理は常に行うことが好ましいですが、その一部は重要であるだけでなく、義務付けられます。学者たちによれば、清潔性は3つに分けられます。つまり、礼拝を行うために身体を清める儀礼の浄化、次に身体・衣服・周囲を清潔に保つこと、そして歯・鼻腔・爪・脇・陰部周辺など、身体の各部位に蓄積する汚物を取り除くこととされます。

浄化の儀礼

清浄をアラビア語でタハーラといい、それは精神的・肉体的に不浄のない状態を意味します。清浄性は、礼拝に欠かすことの出来ない要素の1つです。精神的タハーラとは、罪・偶像崇拝を犯さない状態であり、かつ神の唯一性を信じている状態を指します。それは身体的清浄性と同様、重要なものです。人が神との「精神的つながり」を持つ礼拝に立つ前には、心の中に罪・傲慢さ・偽善がないことが確かにされなければなりません。それが達成されたなら、または最低限そう望まれたなら、肉体的不浄から自身を清めることが出来ます。それには通常、水が用いられます。

“信仰する者よ、あなたがたが礼拝に立つ時は、顔と、両手を肘まで洗い、頭を撫で、両足を踝まで(洗え)。あなたがたがもし大汚(ジャナーバ)の時は、全身の沐浴をしなさい。”(クルアーン5:6)

義務ないし任意礼拝の前に、人は清浄な状態であることを確認しなければなりませんが、それはウドゥー(洗浄)かグスル(沐浴)をすることによって達成されます。ウドゥーは身体の小汚を取り除き、グスルは身体の大汚を浄化ます。グスルは性交後、または体液が放出されるような性的行為の後に行われます。グスルはまた、女性の月経または産後出血の完了時にも行われます。

ウドゥーによる儀礼の浄化には、手洗い、口と鼻腔のゆすぎ、洗顔、肘を含む両腕の洗浄、頭部を拭うこと、耳の裏側を含む両耳の洗浄、そしてくるぶしを含む両足の洗浄が含まれます。この手順は、以下の項目によってウドゥーが無効となるまでは、各礼拝ごとに繰り返される必要はありません。それらは主に、排尿、排便、放屁、深い睡眠、気絶、性的興奮による体液(カウパー腺液)の分泌などです。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の伝統から、ウドゥーを完璧にこなす人物は、その洗った部位から放たれる輝かしい光によって、審判の日に識別されるということが伝えられています2。 預言者ムハンマドはまた、環境に優しい方法でウドゥーを行うようにも説いています。当時、水は希少で、ウドゥーを正しく行うために彼は出来るだけ少量の水を使用するよう推奨したのです。一方、特定の状況では沐浴(グスル)が義務付けられ、水が身体の隅々まで満遍なく行き届くことが必要とされます。

儀礼の洗浄は特定の条件下のみにおいて、水なしでも施行されます。これはタヤンムム(乾式の浄化)と呼ばれるものです。必要量の水を確保出来ないとき、または、例えば怪我人や重病人にとって水の使用が危険となる場合、きれいな地表で代用することが出来ます。タヤンムムは、汚れのない地表に手を触れた後、手の甲を拭い、次に埃を吹き飛ばした後に、顔全体を拭います。この行為は、ウドゥーまたはグスルの代用として行われます。

“…または旅路にあり、また誰か厠から来た者、または女と交わった者で、水を見つけられない場合は、清浄な土に触れ、あなたがたの顔と両手を撫でなさい。アッラーは困難を、あなたがたに課すことを望まれない。ただし、あなたがたを清めることを望み、またあなたがたへの恩恵を果される。恐らくあなたがたは感謝するであろう。”(クルアーン5:6)

神は、かれを崇拝する人物が儀礼的に清浄であることをお望みですが、かれは慈悲深き御方であり、特定の例外をお認めにもなるのです。かれはクルアーンの2:286において、誰に対しても、その能力以上のものを負わせたりはしない、と述べています。それゆえタヤンムムとは、靴下・スカーフ・ターバンの上を拭うことが許されているのと同様の、特例措置なのです。

イスラームは、肉体的・感情的・精神的にバランスの取れた健康に対しての人類の必要性を考慮する、包括的な教えです。肉体的・精神的な衛生管理と清潔さは、心と身体の病気を予防します。清潔さとは、イスラームに内在する高度な水準と価値観において、重要な部分を占めているのです。



Footnotes:

1 サヒーフ・ムスリム

2 サヒーフ・ブハーリー

低水準 高水準

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