イスラームにおける女性(前半)

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説明: イスラームにおける女性の位置づけと男女平等

  • より モスタファ・マレーカ
  • 掲載日時 04 Mar 2013
  • 編集日時 04 Mar 2013
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序説

Women_in_Islam_(part_1_of_2)_JP_001.jpg男女平等という事柄は、現代とても重要な問題です。この問題に関しての議論や論文の数は増えており、多くの見解があります。イスラームにおける男女平等は、非イスラーム教徒、そしてイスラーム教徒の一部からさえ最も誤解されている問題でしょう。この記事では、イスラームにおける男女平等の見地を簡潔に、そして正しく説明します。

古代文明における女性

イスラームが与えた女性の地位を本当の意味で理解するためには、現在と過去に存在したシステムと比べてみる必要があります。

(1)インドのシステム:1911年に出版されたブリタニカ百科辞典にはこう書かれています。「インドでは服従が最も重要な理念です。マヌ経典は、『女性は一日中、保護者のもとに拘束されていなければなりません。』と言っています。遺産は男性中心に決められ、女性は省かれていました。ヒンズー教の書物には、理想の妻についてこう書かれています。『心も言葉も体も服従の状態にあり、社会的な名声があり、楽園で夫と共に住む女性である。』」(メース「東西の結婚」)

(2)ギリシャのシステム:アテネでの女性の地位はインド人女性やローマ人女性と変わらないものでした。「アテネの女性は常に半人前とされ、父親、兄弟、または親戚の男性の中で誰かに従属している状態でした。」(アラン・E・A 「文明の歴史」)結婚においても女性の意思は関係ないとされ、「両親の意思に服従しなければならず、たとえ相手を全く知らない状態でも、彼らが連れてきた夫を主人としなければなりませんでした。」(文明の歴史)

(3)ローマのシステム:ローマ人の妻は歴史家たちによってこう説明されています。「未熟で、半人前で、被後見人で、自分の意志では何もすることができず、常に旦那の後見と保護の下にいる者。」(文明の歴史)1911年に出版されたブリタニカ百科辞典では、ローマ文明での女性の法的位置づけがまとめられています。「ローマ法では、歴史的に女性は完全に依存した存在でした。結婚したときは彼女自身と彼女の財産は夫のものであり、妻は夫が購入した所有物であり、夫の利益の為に得られた奴隷でした。女性には市民権や公的な場所での権限はなく、保証人、後見人、保佐人になることはできませんでした。女性は養子縁組をすることもできず、契約を結んだり、遺書を遺すこともできませんでした。」

(4)スカンジナビア地域のシステム:スカンジナビアの女性は、未婚・既婚に関わらず、常に保護下にある存在でした。17世紀末のデンマークのキリスト法では女性が後見人の許可無しに結婚した場合には、後見人は女性の所有物の用益権と監督権を得られるとしていました。(ブリタニカ百科辞典、1911年)

(5)英国のシステム:英国では女性の所有権は19世紀末まで認められていませんでした。「1870年に施行され、1882年と1887年に修正された、既婚女性の所有権条約から始まった一連の運動により、女性は財産の所有権を認められ、独身女性、寡婦、離婚女性が同等に契約を結ぶことがゆるされました。」(ブリタニカ百科辞典、1968年)一方フランスでは、1938年のフランス法まで女性が契約を結ぶ権利はありませんでした。しかし当時ですら、既婚女性は、彼女の所有物を分配する際には夫の許可を得なければなりませんでした。

(6)ユダヤの法:妻は許嫁として娶られていました。この概念を解説するために1902年に出版されたビブリカ百科辞典を引用します。「妻をとるということはお金で彼女の所有物を買うということでした。お金を支払われた少女が妻になるということだったのです。」法的に言えば、結婚が成立するために少女の同意は求められていませんでした。「少女の同意は必要なく、法にも必要と書かれていない。」(ビブリカ百科辞典、1902年)離婚の権利についてビブリカ百科辞典には「女性は男性の所有物であるので、男性に離婚する権利があります。」と書かれています。離婚の権利は男性だけにしかなかったのです。1911年のブリタニカ百科には「ユダヤの法では離婚は夫だけに与えられた権利である。」と書かれています。

(7)キリスト教教会:キリスト教教会の女性観は最近まで、ユダヤの法と当時の流れに影響されたものでした。デイビッドとベラ•メースが書いた「東西の結婚」にはこう書かれてあります。「キリスト教が女性への侮辱的見解を持っていたという事実はない、と考えるのはやめましょう。初期キリスト教会の牧師たちが与えた女性観より差別的なものを探すのは、難しいのです。」有名な歴史家レッキーによると、「このように甚だしく気味の悪い牧師たちが書いた文書の動機とは……女性は地獄の扉とされ、全ての人間の悪の始めとされました。」

女性は自分が女性であるという事実自体を恥じるべきです。女性はこの世に持ち込んだその呪いの責任をとって、苦行の中に生きるべきなのです。彼女の劣性の証拠として、その着物を恥じるべきです。女性は特に、悪魔の最強の潜在的武器である美しさを恥じるべきです。」中でも最も冷酷なのはタータリアンの文書です。「あなたがた女性は自分がイブだと知っていますか? あなたの性の神からの罰は今の時代に生きるべきなのです。罪の意識も生きるべきです。あなたは悪魔の入り口であり、禁断の果実を解いた者なのです。あなたが最初に神の法を破ったのです。あなたが、悪魔にもできなかった男性への悪の誘惑を成し遂げたのです。」こうしてキリスト教会は、女性の劣等生と解いただけでなく、女性たちが持っていた法的権限を奪ったのです。

イスラームにおける精神的な平等の基礎

このように世界を圧倒した暗闇の中で、下に述べられてある新鮮で、誇り高く、普遍的な言葉が、7世紀のアラビアの砂漠に天啓として与えられました。

(1)クルアーンによると、男性も女性も精神的な本質は同じです。

“人びとよ,あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り,またその魂から配偶者を創り,両人から,無数の男と女を増やし広められた方であられる。”(クルアーン4章1節。また7章189節、42章11節、16章72節、32章9節、15章29節も参照)

(2)神は両方の性に、生まれながらの尊厳を与え、どちらも地球上での神の信託者としました。(参照:クルアーン17章70節、2章30節)

(3)クルアーンは女性を「男性の弱点」として批判したり、妊娠や出産を、「禁断の身を食べた」罰と見なしません。逆に、クルアーンではアダムとイブはどちらとも楽園での罪に責任があり、イブだけが責任を問われてはいません。どちらも罪を悔い、どちらも赦されたのです。(参照:クルアーン2章36〜37節、7章19〜27節)ある節では(クルアーン20章121節)アダムが特に批判されています。クルアーンでは妊娠や出産は、母親を敬愛する理由として挙げられています。(クルアーン31章14節、46章15節)

(4)男性と女性は両方とも同じ宗教的責任と義務があります。全ての人間がその行動の結果を得るのです。

“主はかれら(の祈り)を聞き入れられ,(仰せられた)。「本当にわれは,あなたがたの誰の働いた働きもむだにしないであろう。男でも女でも,あなたがたは互いに同士である。」”(クルアーン3章195節.また74章38節、16章97節、4章124節、33章35節参照)

(5)クルアーンでは男女の優劣はないと明言しています。人間の優劣を決めるのは、性別、肌の色、国籍ではたく、唯一敬虔な心だけだとしています。(クルアーン49章13節)

イスラームの女性の経済

(1)個人の所有権 イスラームではイスラーム前後(つい最近まで)認められていなかった女性の権利であった、単独所有権を認めています。イスラームでは結婚前後の所有権を認めています。女性たちは自由に売買をし、貸し借りをし、遺言を遺すことができます。イスラーム教徒の女性は(伝統的にも)結婚後に本名を名乗り、彼女の財産への法的な所有権を示していました。

(2)経済保証と遺産の法 女性のために経済保証が約束されていました。結婚時には制限無しに婚約金を求めることができ、現在所有している財産や現在得ている収入、将来得るであろう財産や収入を結婚後に求めることができました。家計のために女性が自分の財産や収入から使う必要はありません。また女性には結婚している間、そしてイッダと呼ばれる、離婚や夫との死別後のしばらくの間の経済保証が約束されています。離婚後や死別後には(もし彼女らが一年以内に結婚しなかったのならば)一年間の経済保証を与えるべきだとしている学者たちもいます。結婚後に子どもが産まれた場合には父親が経済保証を与えます。一般的にイスラーム教徒の女性は、娘として、妻として、母として、姉妹として、生涯を通した保証が与えられています。

女性に与えられており、男性に与えられていない結婚後の利益に関しては、遺産分配の際に男性に女性の二倍与えられるというクルアーンの法によって補われています。かといって男性が常に遺産を多くもらうというわけではなく、女性が多く貰う場合もあります。男性が多くもらうとしても、彼らが彼らの妻、娘、母、姉妹の経済保証を与える責任があるのです。女性たちは遺産の分配は少ないですが、投資や経済保証の権限を持ち続け、自分自身の生活のため(食費、医療費、衣服費、住居費等)にでさえそれらを使う法的責任はありません。イスラーム以前では、女性自身が遺産で分配されるものだったのです。(クルアーン4章19節)西洋では、イスラームの後でさえ、全ての財産が長男に与えられていました。クルアーンでは男性と女性両方に、彼らの亡くなった親戚からの決められた分の遺産の権限が与えられています。神はこう言っています。

“男は両親および近親の遺産の一部を得,女もまた両親及び近親の遺産の一部を得る。そのさい遺産の多少を問わず定められたように配分しなさい。”(クルアーン4章7節)

(3)雇用 女性の雇用を説明する前に、イスラームにおける母親、そして妻としての社会的地位は、最も崇高で重要なものとされていことを述べておかなければなりません。メイドやベビーシッターが正しく、問題のない、大事に育てられた子どもの教育者として母親を超えることはありません。このような誇り高く重要な役割は国家の将来に大きな影響を与え、怠慢とみなされることはありません。しかし、イスラームで女性の雇用を禁止しているということはなく、女性が最適であったり、社会が必要としている地位があれば必要なときに雇用を求められます。そのような職種の例が、看護、教育(特に子ども)、医療、社会•慈善活動などです。

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イスラームにおける女性(後半)

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説明: イスラームにおける女性の社会的、法的、政治的側面

  • より モスタファ・マレーカ
  • 掲載日時 11 Mar 2013
  • 編集日時 11 Mar 2013
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イスラームにおける社会的側面

A) 娘として

(1)クルアーンは、イスラーム以前にあった女児殺しの慣習を終わらせました。神はこう言いました。

“生き埋められていた(女児が)どんな罪で殺されたかと問われる時。”(クルアーン81章8−9節)

(2)クルアーンはまた、男児ではなく女児が産まれたときの両親の歓迎的ではない態度も叱責しています。神はこう言いました。

“かれらの1人に、女(児の出生)が知らされると、その顔は終日暗く、悲しみに沈む。かれが知らされたものが悪いために、(恥じて)人目を避ける。不面目を忍んでそれをかかえているか、それとも土の中にそれを埋めるか(を思い惑う)。ああ、かれらの判断こそ災いである。”(クルアーン16章58−59節)

(3)両親は娘に対して優しく支える義務があります。預言者ムハンマド(彼の上に神の慈悲と祝福あれ)はこう言っています。「誰であれ、二人の娘を成人するまで育てる者は、審判の日に私とこのような場所に来ます。(そして彼は指を指し示し、それらを一緒に合わせました。)」

(4)女性の将来を大きく決める成長に重要な側面は教育です。教育は権利であるだけでなく、男女両方の義務です。預言者ムハンマドはこう言いました。「知識を求めることは全イスラーム教徒の義務です。」イスラーム教徒とは、男女両方のことを指します。

(5)イスラームでは女性の割礼を義務ともしていないし、奨励もしていません。アフリカのある地域では行われていますが、同時にある地域のキリスト教徒も行っており、地域の慣習なのです。

B) 妻として

(1)イスラームにおける結婚とは相互の平和、愛、慈愛であって、性欲を満たすためだけのものではありません。クルアーンの中で最も感動的な節の一つにこのようなものがあります。

“またかれがあなたがた自身から,あなたがたのために配偶を創られたのは,かれの印の一つである。あなたがたはかの女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ),あなたがたの間に愛と情けの念を植え付けられる。本当にその中には,考え深い者への印がある。”(クルアーン30章21節。、また42章11節、2章228節参照)

(2)女性には結婚を受け入れたり断ったりする権利があります。イスラームの法の下では、女性は自らの意思とは関係無く結婚を強要させられてはいけません。

(3)夫は、家族に相談しながらも、家族の基本的なリーダーシップと維持、保護、そして親切にする責任があります。(クルアーン2章233節参照)相互的、そして補足的な夫婦の関係は、どちらかが一方に服従するという形では成り立ちません。預言者ムハンマドは女性に関してこう指示しました。「女性には優しくしなさい。」クルアーンではたとえ女性が役割を果たしそびれたり、妻に嫌気がさしたとしても、妻に親切にするように呼びかけています。

“出来るだけ仲良く,かの女らと暮しなさい。あなたがたが,かの女らを嫌っても(忍耐しなさい)。そのうち(嫌っている点)にアッラーからよいことを授かるであろう。”(クルアーン4章19節)

またイスラーム以前のアラビアの慣習であった、夫の子どもが、まるで寡婦となった後妻が夫の財産であったかのように、彼女を娶るという慣習(妻を遺産として取る)も違法とされました。(クルアーン4章19節)

(4)もし夫婦同士で亀裂が生じた場合、クルアーンでは夫婦間で公平に解決するように呼びかけています。まさにクルアーンが、夫婦間で生まれてしまう意見の食い違いを解決するための賢明な解決を示しているのです。もし夫婦間で解決できない場合には、両方の家族から仲介者を出すという形の解決策を提示しています。

(5)離婚は最終手段で、奨励されていませんが、許可されています。クルアーンでは幸福のために、信仰と両性の権利は大事にされています。結婚の解消は、両者の合意、男性側からによるもの、女性側からによるもの(それが女性の婚姻契約に関することである場合)、女性からの離婚の申し出を(正しい理由があるとして)判事が認めた場合、また理由がなくとも、女性が婚姻の際に受け取った贈り物を返還した場合に行われます。もし婚姻関係が続けられないと分かった場合にも、男性は結婚生活に穏便に終止符を打つべきだとされています。クルアーンには、そのことについてこう述べられています。

“あなたがたが妻を離婚して定められた期限が満了したならば,公平な待遇で同居させるか,または親切にして別れなさい。かの女を困らすために引きとめて,法を越えてはならない。そんなことをする者は,自分の魂を損う者である。愚弄して,アッラーの御告げを戯れごとにしてはならない。あなたがたに対するアッラーの恩恵を念い,またあなたがたに授けられた,あなたがたに勧告する啓典と英知を念え。アッラーを畏れなさい。アッラーは凡てのことを知り尽くされていることを知れ。”(クルアーン2章23節、また2章229節、33章49節)

(6)一夫多妻制は、西洋文学やメディアから、まるでイスラームが生み出した政策、またはイスラームといえば一夫多妻制であるかのような間違った情報が流されている問題の一つです。一夫多妻制はほとんど全ての国家で存在してきましたし、ユダヤ教やキリスト教でも近代以前まで認可されていました。イスラームでは他の人々や宗教がしたように、一夫多妻を禁じはしませんでしたが、制限を設けました。しなければいけないことではありませんが、条件を満たしていれば認められているのです。(クルアーン4章3節参照)法の精神として、天啓が与えられた時期も含めて、個人的、または全体的に時として起こりうる(戦時下で男女の比率が合わなくなるといった)緊急事態への解決策を与えたり、寡婦や孤児に対するモラルがあり実用的で人間的な解決策を与えているのです。

C) 母として

(1)クルアーンでは両親への親切(とくに母親)を神への崇拝の次としています。

“あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが,あなたと一緒にいて老齢に達しても,かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず,親切な言葉で話しなさい。そして敬愛の情を込め,両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て,「主よ,幼少の頃,わたしを愛育してくれたように,2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(折りを)言うがいい。”(クルアーン17章23〜24章。また31章14節、46章15節、29章8節参照)

(2)当然ながら預言者ムハンマドは、人間関係のなかで最も大事な母親への扱いについて、特別な指示を出しています。ある男性が預言者ムハンマドを訪ね、こう言いました。「神の預言者さま! 人々の中で、私が最も大事にすべき人はだれですか?」預言者はこう答えました。「あなたの母親です。」その男はこう言いました。「そして次は?」預言者はこう答えました。「そして次はあなたの母親です。」その男はこう言いました。「そして次は?」預言者はこう答えました。「そして次はあなたの母親です。」その男はまたこう言いました。そして次は?」預言者はこう答えました。「そしてあなたの父親です。」

D) 信仰における姉妹として(一般的に)

(1)預言者ムハンマドの教えによると「女性は男性のシャカーイク(男性のもう半分、または姉妹)です。」この教えは男女平等に関する非常に深い言葉です。もしこのアラビア語「シャカーイク」を男性のもう半分とするならば、男性は社会的役割として半分とするなら、女性はもう半分ということになります。もし姉妹とするならば、男女は同じということです。

(2)預言者ムハンマドは女性全体に対する親切と尊敬をを教えました。「女性には優しくしなさい。」この教えが彼が亡くなる前に行った最後の巡礼のときに出された指示である、ということは重要です。

(3)謙虚さと社会的ふれあい。女性と男性の(衣服やふるまいの)適切な謙虚さは天啓によって下された典拠(クルアーンや預言者の言行録)がもととなっています。信仰の男性と女性は正しい目的と神聖な知恵をもとにその教えに従います。それは男性中心であったり、社会中心の教えではないのです。興味深いことに、聖書でも、女性は頭を覆うように指示されています。「もし女性が頭を覆わないのであれば髪をそり落とすべきであり、それが恥ずかしいことならば、彼女は頭を覆うべきです。」(コリント人への手紙11章6節)

イスラームにおける女性の法的、政治的側面

(1)法の下での平等。両性は法と裁判所の下で平等です。公平さは両性に与えられたものです。(クルアーン5章38節、24章2節、5章45節参照)経済や他の側面で、女性は独立した法的権利を持っています。

(2)社会的、政治的活動への参加。社会的、政治的活動の基本理念は、男女の参加と協力です。(クルアーン9章71節参照)リーダーの選出、公的問題、法制作、政治的地位、教育や学術、また戦時下でさえ、イスラーム教徒の女性が活躍した歴史的記録は多くあります。このような参加は、両性が補足的役割を見失ったり、イスラームにおける謙虚の教えを破ることなくなされてきたのです。

結論

現代の非イスラーム教徒が手に入れた地位は、男性の親切や当然の進化として与えられたものではないのです。それは女性側の長い苦しみと犠牲により達成され、二つの大戦の中で、女性の力が必要とされ、テクノロジーが変化したことによって得られたものなのです。イスラームが女性に、慈悲的で敬意に値する地位を与えたのは、7世紀という時代柄でもなく、女性たちや彼女たちの組織からのプレッシャーでもなく、それが真実だからです。

これが示すのはクルアーンとイスラームの教えの神聖さと正しさであり、人間の哲学や概念とは違い、人間の環境からはかけ離れたものだということです。その慈悲的な理念を築いた教えは時代遅れになることもありません。智慧深く全てを知っている神の智慧と知識は、人間の考えや進化とはかけ離れて偉大なものなのです。

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