サリー フィリピン出身の元カトリック信者
説明: カトリック修道女による苦い経験と良い結末。
- より サリー
- 掲載日時 14 Sep 2015
- 編集日時 14 Sep 2015
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私は敬虔なカトリックの家庭に生まれ、カトリックの価値観と伝統において育てられました。私は15歳で修道院に入り、修道院にいる間は修道女としての義務を果たすことができて幸福でしたし、家族を含む周りの人々も私のことを気に入ってくれていました。
しかしある時期から毎晩、「私はこんな修道院の中で一体何をしているのだろうか?」と自問し始めました。私は小さく控え目な礼拝堂に留まり、神が私のことを本当に聞いてくれているのか問いました。教理問答書から、神は祝福された秘跡にいるということを学んでいたからです。
多くの疑問が脳裏をよぎっていました。特にイエス・キリストの現実について次々と疑念が生じていました。しかし、司祭や修道女仲間にそのことを尋ねる勇気はありませんでした。彼らが私に反感を持つのではないかととても怖れていました。
そうして疑念をくすぶらせ続けました。それにもかかわらず、私は貞操と清貧、そしてイエス・キリストを主であり、神の子であるという厳粛な誓いをたて、それを10年間にも渡って更新し続けてしまいました。そして遂にそれに耐え切れなくなりました。
私は礼拝により心を込めるようになり、神に導きと正しい道を示してくれるよう祈りました。
私が修道院を去れば、母はとても苦悩することでしょう。父に関しては、教会を出て自分の家族を持つことに反対しませんでした。
しかし私は家族、特に母、司祭職の2人の兄弟、そして修道女の4人の姉妹たちを傷つけたくありませんでした。
そして何よりも、私は自分の信念に反することを実践していながらも、幸福であるかのように装うような偽善者でいたくはありませんでした。
それゆえ、私は永続の誓いをたてる申請書を提出しませんでした。修道院長と言葉を交わし、修道院を去ることを告知しました。
家族には告げ知らせることなく、私は生活のために仕事を探しました。しばらくして聖職者をしている親しい友人に会うと、マラウィ市の彼の教会で教区コーディネーターとして働くことを提案してくれました。
私の家族は私が修道院を去ったことを間接的に知りましたが、彼らにとってそれはとても受け入れ難いことでした。しかし彼らは私がいつしか教会に戻ることを望んでいたようです。
教区コーディネーターとして働いていたとき、私を雇用した聖職者は私に酷い仕打ちをしました。
彼は給料をくれなかったばかりか、私に性的虐待を加えようとさえしました。しかし幸運なことに、彼はその邪悪な意図を成就させることはできませんでした。
私は再び神に祈り始め、私と共にあるよう、そして私を幸福にしてくれるよう頼みました。私はそれまでの人生で安寧感というものを得たことがありませんでした。私の心と精神は惨めな状態でした。
新たな日
2001年6月17日の早朝、美しい声が聞こえてきましたが、それが何かは分かりませんでした。それは近所のモスクから聞こえてきているようでした。それが聞こえるとすぐに、まるで清らかな水に浸かっているような気がしました。それがどのような感覚だったのか言葉で表すことはできません。
その日、何が聞こえたのかは分からなかったものの、幸福感が心のなかに入ってくるのを感じました。その素晴らしい声を聞いた後、私は自分にこう言い聞かせました。「新しい日と新しい始まりが来たのよ。」
その朝起床し、その声が何かと尋ねるとムスリムによる礼拝への呼びかけだと教わりました。奇妙なことに、私はこの街(マラウィ)に2001年5月の第1週に来たのですが、2001年6月のその朝までその声に気付かなかったのです。
その日、私はイスラームとムスリムについて調べてみることにしました。私は最終的に辞職するまでイスラームに関する本を読み続けました。パンパンガの実家に戻ると、父が既に他界していたことを知りました。
私はしばらく鬱状態に陥ったものの、イスラームに関して調べ続けていました。その後マニラに戻り、イスラームについて説明してくれる人が現れるのを期待しました。心のなかではイスラームを受け入れる準備はできていましたが、その方法が分かりませんでした。
私は根気よくインターネットで検索しました。イスラームについて教えてくれるムスリムを見つけるため、チャットルームに加わったりもしました。
2004年6月16日、私はマニラである男性ムスリムと出会いました。彼は快くイスラームについて教えてくれ、私はその場で証言しました。
ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥッラスールッラー、ワ・イーサー・ブン・マルヤマ・アブドゥッラーヒ・ワ・ラスールフ(アッラー以外に崇拝に値する神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である。そしてマリアの子イエスはアッラーの使徒でありしもべである)。
その運命的な日、私はようやく家と呼べるものを見つけました。それはイスラームの家であり、そこでは愛情、幸福、喜びを見出すことができました。私は心から笑うことができるようになりました。その日、私はぐっすり眠りにつきました。
私は祈りを捧げるときは毎回涙します。それは悲しみの涙ではなく、喜びの涙です。その喜びはお金で買うことはできないものです。それを言葉に表すことはできません。
カトリックの司祭だった祖父の言葉を思い出します。「もし宗教を変えたいのなら、イスラームに回帰しなさい。」神こそは偉大なり。
アッラーが私の家族の心をイスラームへと開いてくださいますように。そしてアッラーが私たちを悪魔からお護りくださいますように。アーメン。
ムスリム同胞の兄弟姉妹よ!私のためにお祈りください!
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