夜の旅と昇天(1/6):夜の旅
説明: 旅にまつわる背景、そして預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の初期の人生についての詳細。
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 02 Jul 2012
- 編集日時 19 Feb 2023
- プリント数: 188
- 観覧数: 34,097
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
プロローグ
預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の、マッカの聖モスクからエルサレムの最も遠きマスジドまでの一夜にしての旅は、神によって与えられた奇跡でした。それは驚異的な夜の幕開けであり、その夜に預言者ムハンマドは昇天し、神との接見を果たしたのです。
“かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジド1から、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジド2に、夜間、旅をさせた。わが種々の印3をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。”(クルアーン17:1)
その旅は形而下の現象であり、これから説明される一連の出来事は、すべて一夜の間に起きたことです。
このシリーズでは、英語の訳語である「モスク」の代わりに原語の「マスジド」を使用します。なぜならマスジドという言葉はムスリムたちが礼拝する建物よりも多くの意味を含むからです。マスジドは「サ・ジャ・ダ」という平伏すことを意味する語根から派生するため、マスジドは平伏す場所を意味します。預言者ムハンマドはこう言っています。「大地は私にとってのマスジドとされたのだ。」4この神による恩寵は、ムハンマドの共同体に対してのみ与えられたものです。
ムスリムは不浄でない場所であれば(一部の例外を除き)、どこでも礼拝することが出来ます。礼拝に特化した建物もありますが、ムスリムが礼拝する場所は、それがどこであれ逐語的な意味でのマスジド、つまり平伏す場所なのです。平伏す行為は礼拝において最も重んじられている部分です。ムスリムの額が地面に触れるとき、その人物は非常に神に近づきます。礼拝は信仰者とその主との関係を確立し、この夜において一日五回の礼拝が義務付けられたのです。
以下の逸話からは、ムハンマドの人物像、そしてなぜムスリムたちが彼を愛してやまないのかを学ぶことが出来るはずです。また、エルサレムのマスジド・アル=アクサーがなぜイスラームにおける聖モスクの一つであるのかが分かるでしょう。神はクルアーンの中でエルサレムを「周囲を祝福した」土地として言及しています。マスジド・アル=アクサーの領内の一部であった岩のドームは、最も顕著なエルサレムの象徴でもあり、ムスリム一人一人の心の中で特別な位置を占めています。それがなぜなのかをここから学び取ることが出来るでしょう。それでは7世紀のアラビア半島、マッカの町から夜の旅に出て昇天した預言者ムハンマドに目を向けてみましょう。
旅の始まり
預言者ムハンマドが最初にクルアーンを啓示として下された約10年後、彼は二人の親近者を亡くしました。一人は彼の叔父であり、預言者が孤児だった幼少の頃から彼を愛してやまなかったアブー・ターリブ、そしてその僅か二ヶ月後には預言者の最愛の妻ハディージャが亡くなりました。この年は、「悲しみの年」として知られるようになります。
この年に到るまで、特に預言者ムハンマドを含む新ムスリムたちは迫害を受け、嘲笑や虐待の的でした。彼の叔父の影響力・支持と、ハディージャによる愛情と思いやりは、酷い逆境においても彼に力を与えたのです。しかし、二人がなくなり、彼は悲しみに打ちひしがれ、孤独を感じずにはいられませんでした。
人が本当に神に身を委ねるとき、人生の苦痛や悲しみは信仰における試練となり、それらの試練は常に、やがて安楽をもたらします。慰めの章とも呼ばれるクルアーンの94章において、神は預言者ムハンマドに対し、すべての困難には安楽があることを二度繰り返して強調しつつ保証しています。この非常に困難だった年が過ぎ、預言者ムハンマドには大きな祝福である夜の旅と昇天によって安楽がもたらされました。
“本当に困難と共に、安楽はあり、本当に困難と共に、安楽はある。”(クルアーン94:5−6)
マッカの多神教徒たちによる攻撃を受けるリスクから、それが危険だったにも関わらず、預言者ムハンマドはマッカの聖マスジドで深夜礼拝をしていました。ある夜、彼はカアバ(マスジドの中心に位置する黒い立方体の建物)の近くで横になり、覚醒と睡眠の間の状態にいました。その時、天使が舞い降りてくるなり、彼の胸を首から腹まで切り開きました。天使は預言者ムハンマドの心臓を取り出し、信仰で満たされた金の器に入れられて浄化させた後、元に戻したのです5。
天使がムハンマドの胸を切り開き、心臓を取り出したのはこれが初めてではありませんでした。ムハンマドは慣習に従い、幼少期には遊牧民の乳母の元に預けられていました。砂漠の環境はより健康的で、市街地に比べ教育に適していたと見なされていたからです。彼が4〜5歳のときに友達と外で遊んでいると、天使ガブリエルが現れ、ムハンマドの心臓を取り出して、そこから「悪魔の一片」と呼ばれる部分を切除しました。天使ガブリエルはザムザムの水(預言者イシュマエルの時代に湧き出たマッカの湧き水)を用いて心臓を洗い、元の場所に戻しました。他の子供たちはムハンマドが殺されたと思い込み、叫び声を上げて逃げましたが、人々が助けのためにそこに戻ると、彼は一人で怯えて青ざめており、胸にはほんの小さな傷跡しか残っていませんでした6。
預言者ムハンマドの使命とは、全人類を唯一なる真実の神への崇拝へと導くことでした。それゆえ、彼の人生のあらゆる側面は、この偉大なる責任へと備えさせるための神による計画の一部だったのです。幼少時代、彼の心臓からは悪魔の一片が取り除かれたため、成人しムスリム国家を建築する際になっても彼の心は清浄かつ純粋な信仰心によって満たされていたのです。こうして、奇跡の夜は始まりました。
預言者ムハンマドには白い動物がもたらされました。彼はアル=ブラークと呼ばれるその動物を、馬よりは小さく、ロバよりは大きな動物だったと述べています。この動物は、一駆けで見渡すかぎりの遠くまで駆け抜けることが出来たと彼は言っています。つまり、一回の跳躍で途方もない距離を移動することが出来たのです7。天使ガブリエルはその動物に乗るよう預言者ムハンマドに告げ、彼らは共に最も遠きマスジドであるマスジド・アル=アクサーまでの1200?以上を旅したのです。
預言者ムハンマドは、地平線を一跨ぎするアル=ブラークに乗りました。アラビア半島の砂漠を望む夜空には、星が輝いていました。彼は顔にあたる風や、新たに浄化された心臓の鼓動を感じ取っていたことでしょう。この夜の旅の奇跡において、預言者ムハンマドが目にした神のしるしや驚異的な出来事の数々は、私たちの想像を絶するものだったに違いありません。
夜の旅と昇天(2/6):マスジド・アル=アクサー
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 02 Jul 2012
- 編集日時 21 Oct 2012
- プリント数: 165
- 観覧数: 25,148
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
当時は、預言者ムハンマドにとって困難な時でした。そしてこの旅は彼にとっての大いなる恩寵でした。当時、教えの伝播は新たな段階に差し掛かり、ムスリム国家の設立が始まろうかという頃でした。預言者ムハンマドは目も眩むような気持ちと、孤独感で一杯でした。マッカの民の圧倒的多数は、彼の教えや呼びかけを気に留めず、認めようともしませんでした。彼の敬愛した叔父も、最愛の妻もこの世を去りましたが、夜の旅と昇天という神によるプレゼントは彼にサポートを与え、宇宙の驚異や神の御徴に目を開かせたのです。アル=ブラークに乗って遥か遠方からエルサレムに到達した預言者ムハンマドは、マスジド・アル=アクサーとして知られる地域に入りました。彼はアル=ブラークから降り、それを門に繋ぎ止めました。
もう一つの奇跡
預言者ムハンマドが「平伏しの場」、つまりマスジドに足を踏み入れると、そこでは過去の諸預言者たちに迎えられ、彼は彼らの礼拝を先導するという偉大な栄誉に預かりました。神は預言者に報奨を与え、また過去の預言者も彼同様にその教えの伝播に際して受難していたことを理解させました。預言者たちは預言者ムハンマドの後ろに立ち、彼が彼らの統率者であることを認知しました。このことは彼の重要性と卓越性だけでなく、その教えの性質についても明らかしています。
預言者ムハンマドの出現以前、すべての預言者たちは彼ら自身の民に対してのみ、唯一なる神への服従を説いていました。しかしながら、預言者ムハンマドは全人類に対して遣わされたのであり、神は彼を「慈悲」として言及しています。神はクルアーンにおいてこう述べます。
“かれはあなたがたのため、善いことの聞き手である、かれはアッラーを信仰し、信者たちを信頼する。またあなたがたの中の信仰する者のためには(アッラーからの)慈悲である。”(クルアーン9:61)
この教えは普遍的であり、これを世界中に広めたのはイスラームだったのです。神の預言者たちは最も新しい、そして最後の預言者の後に立ち、彼が最も必要としているときに手助けをしたのです。預言者ムハンマドの言葉には、すべての預言者たちは兄弟の間柄である、というものがあります1。預言者ムハンマドの後ろに立った集まりは、不朽かつ真の同胞性を示すものでした。
アル=アクサーの重要性
この重要な出来事が、エルサレムで起きた事実についても特筆に値するでしょう。そこは神の預言者たちの土地、つまりアブラハム、イサク、モーゼ、イエスの活躍した土地でした。神はマッカにおけるかれの聖殿とマスジド・アル=アクサーとの間の繋がりを打ち立てたのです。また神は、いわゆる「宗教の揺りかご」であるエルサレムの聖地と、全人類のためにもたらされたイスラームの誕生の地であるアラビア半島とを繋ぎあわせました。
神はアル=アクサーを、イスラームにおける三大聖地の一つとして確立させました。マッカの聖マスジド、当時はまだなかったマディーナにおける預言者ムハンマドのマスジド、そしてこの、エルサレムの祝福された土地におけるマスジドです。これら三つのマスジドへのみ、ムスリムは崇拝を意図した旅をすることが認められています2。マスジド・アル=アクサーにおける一度の礼拝は、他の場所でのそれの250回分に相当します(預言者マスジドでは1000回分、マッカの聖マスジドは10万回分)3。神はマスジド・アル=アクサーの重要性と特別性を強調していることから、ムスリムの人生において重要な位置を占めています。それゆえ、そこは熱心に保護され、守られているのです。
アル=アクサーはイスラームにおける最初のキブラ(ムスリムが礼拝時に向く方向)でしたが、後にマッカの聖マスジドへと変更されました。この変更の正確な日時についてははっきりと分かっていませんが、いくつかの証拠に基づくおおよその時期を推測することは可能です。なぜなら預言者ムハンマドの使命には二つの期間に分けることが出来るからです。それらは人々をイスラームへと招いたマッカ期、そしてムスリム国家を設立したマディーナ期です。預言者ムハンマドと彼の追従者の大半は、啓示後14年目にマディーナへと移住したのです。
夜の旅と昇天はマッカ期の後期に起き、マッカへのキブラ変更は預言者のマディーナへの移住から15ヶ月目になされました。このことから、神がマッカへとキブラを変更するまで、ムスリムたちはおよそ3年間に渡って礼拝時にアル=アクサーの方角を向いていたと推論されます。このことはエルサレム、またはマスジド・アル=アクサーの重要性を貶めるようなことではなく、ただ単に全人類への教えの確立における新たなる段階を象徴しているだけに過ぎないのです。マッカの聖マスジドは、イスラームにおける中心点として固定されています。
奇跡の旅
マスジド・アル=アクサーの聖域にいる間、天使ガブリエルは預言者ムハンマドに二つの器を差し出しました。その一方にはミルク、もう一方にはワインが入っていました。預言者はミルクを選び、それを飲みました。天使ガブリエルはこう言いました。「あなたをフィトラへとお導きになった神に感謝します。もしあなたがワインを選んだなら、あなたの追従者たちは逸脱したことでしょう。」4アラビア語の「フィトラ」を邦訳することは難しいですが、それは人が元来生まれ持った生粋で自然な状態、そして人を正しき行いへと導く内なる感覚を意味します。預言者ムハンマドは本能的に間違ったことや悪いことではなく、正しいことや善いこと、そして地獄への歪んだ道ではなく、真っ直ぐな道を選んだのです。
聖都エルサレムの聖域、マスジド・アル=アクサー5において、預言者ムハンマドは奇跡のさらに次なる段階に進みます。彼は岩から天の一番低い階層に昇天したのです。この岩はエルサレムにおける最も有名な象徴である「岩のドーム」の内部に存在しています。因みによく混同されますが、実際のマスジド・アル=アクサーの建物はアル=アクサー地域の反対側の建物です。そこ全域はマスジドではありますが、他にも建物が複数存在しています。岩のドームはそのマスジドの建物の中に位置していますが、それはマスジド・アル=アクサーではなく、預言者ムハンマドが他の預言者たちを礼拝で先導した場所でもありません。現在、良く知られた金のドームの建物に覆われた岩から預言者ムハンマドは天使ガブリエルを伴い、天の最下層へと昇天したのです。
夜の旅と昇天(3/6):昇天
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 09 Jul 2012
- 編集日時 09 Jul 2012
- プリント数: 157
- 観覧数: 29,191
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
夜の旅と昇天は、神の預言者であるムハンマドへの大いなる祝福でした。それはマッカの聖マスジドから始まり、エルサレムのマスジド・アル=アクサーに続き、第七天における全能なる神の御前までの旅でした。預言者ムハンマドの旅に注視する中で特筆すべき重要なこととしては、彼が訪れた諸天は天国の一部ではないということです。
英語において、天国(Heaven)という単語は一般的に永久なる精神的幸せや、誠実な人生のための報奨、そして永久の懲罰の場である地獄の対義語とされますが、それは常にそうだったのではありません。Heavenという単語は地球上空の天体的な空を意味する古英語Heofonという語から来たものです。アラビア語においては、常に「サマー」と「ジャンナ」の二つの単語が別々に使用されてきました。サマーは私たちの上にある空を指し、それは審判の日に滅ぼされる現世の一部ですが、「ジャンナ」という言葉は、楽園、永久の祝福の場、誠実な信仰者の恒久的住処であり、地獄の対義語なのです。
“そこでかれは、2日の間に7層の天を完成なされた。そしてそれぞれの天に命令を下し、(大地に)近い天を、われは照明で飾り、守護した。これは、偉力ならびなく全知なる御方の摂理である。」”(クルアーン41:12)
“主は、親しく慈悲と満悦を与えられ、かれらのために永遠の至福の楽園の吉報を与えられる。かれらは永遠にその中に住むであろう。アッラーの御許には最大の報奨がある。”(クルアーン9:21−22)
神の奇跡
預言者ムハンマドは、エルサレムの象徴として現在よく知られる、黄金のドームを冠したマスジドにある岩から昇天しました。この旅はいかなる人間も経験したこともなく、これから経験することもないものです。それは一見不可能に見えることを実現させる、神の能力を明示したものです。ここでは私たちの知る時空の概念は適用されず、神の全能性を知ることは私たち人間の能力を超えたものです。預言者ムハンマドの言行録では、天の大きさを説明しています。第一の天は、第二の天に比べ砂漠の中の小さな指輪程の大きさであり、彼によると第六の天は、第七の天に比べ砂漠の中の小さな指輪であると述べています。その規模は到底測り知ることの出来るようなものではありません。私たちの住む地球、そして私たちが宇宙と呼ぶものは、第一の天に含まれるものです。21世紀の科学的知識をもってしても、それがいかなる大きさなのか、どこまで広がっているのか、何が含まれているのかを知ることは不可能なのです。
預言者ムハンマドは天使ガブリエルと共に天へと昇りました。二人は第一天の門に辿り着き、そこで天使ガブリエルは入門の許可を求めました。門番が「あなたは誰ですか?」と尋ねると、天使ガブリエルは「私だ。ガブリエルだ。」と答えました。すると門番は彼の連れ合いについて尋ねました。彼がムハンマドであることを告げると、門番は彼が唯一なる神への崇拝のために全人類を導く使命が与えられている者なのか、尋ねました。天使ガブリエルがそれを肯定したため、天使たちは預言者ムハンマドを歓迎し、彼の到着を喜びつつ門を開きました。
諸預言者との挨拶
預言者ムハンマドは全人類の父であるアダムを見たと述べています。彼はアダムに、ムスリムの挨拶である「アッサラーム・アライクム(あなたに平安あれ)」と言って挨拶しました。アダムは挨拶を返し、ムハンマドの預言者性への信仰を明らかにしました。彼はムハンマドを息子、そして真の預言者と呼びました。彼ら二人の出会いにおける喜びは想像を絶したものだったでしょう。アダムは数千年の後に、彼の子孫の中でも最も偉大であるムハンマドと対面したのです。ムハンマドは全人類の父と相見したのです。この奇跡はほんの始まりに過ぎませんでした。天使ガブリエルと預言者ムハンマドは第二天へと昇りました。
その門で天使ガブリエルは再び入門の許可を求めました。門番が預言者ムハンマドの使命について知ると、彼らは彼を歓迎し、門を開きました。そこで預言者ムハンマドは(キリスト教において洗礼者として知られる)預言者ヨハネと預言者イエスという、いとこ同士に出会いました。預言者ムハンマドは二人と挨拶を交わしました。
預言者ムハンマドと天使ガブリエルは第三天に昇りました。ここの門でも同じようなやりとりが交わされ、門番が天使ガブリエルと預言者ムハンマドの使命について知ると、門が開けられたのです。この第三天で、預言者ムハンマドはヨセフに出会いましたが、彼のことをあらゆる美の半分に値すると表現しています。
預言者ムハンマドが天の各階層で預言者たちと出会うたび、彼は彼らと挨拶を交わし、その言葉は常に、唯一なる神へ服従する者たちによる平和の挨拶である「アッサラーム・アライクム」でした。預言者ムハンマドは第四天において、神がクルアーンの中(19:57)で極めて高い地位にあると述べる預言者イドリースに、第五天ではモーゼの兄弟である預言者アロンに出会いました。それぞれの出会いにおいて、預言者たちはムハンマドの預言者性についての確信を証言しています。第六天で、預言者ムハンマドはモーゼと出会います。
預言者モーゼがクルアーン、または預言者ムハンマドまで遡る伝承の中で言及されるとき、何らかの重要なことについて述べられることが知られています。二人の預言者が挨拶を交わし、預言者モーゼがムハンマドの預言者性についての確信を証言すると、モーゼは泣きはじめました。なぜ泣いているのか尋ねられると、彼はこう答えています。「私の後に若者が現れ、彼の追従者は私の追従者よりも多くが楽園に入るからだ。」
イスラームが到来するまで、預言者モーゼには過去の諸預言者の中でも最も多くの追従者がいました。モーゼが泣いたことにより、私たちは預言者間には何らかのライバル心があったことを知ります。しかしそれは嫉妬や羨望に基づいたものではなく、思いやりに満ちたものだったのです。この旅について読み進めると、私たちは預言者モーゼによる預言者ムハンマドとその追従者への愛情と思いやりについて知ることが出来ます。預言者ムハンマドと天使ガブリエルは第七天に昇ります。
夜の旅と昇天(4/6):第七天
説明: 預言者ムハンマドは預言者アブラハムに会い、諸天使が大挙して崇拝に勤しむ世界を目撃します。
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 09 Jul 2012
- 編集日時 09 Jul 2012
- プリント数: 151
- 観覧数: 26,770
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
天使ガブリエルと預言者ムハンマドは諸天の中で、奇跡の昇天を続けました。この旅は、いかなる人間の想像の範疇をも遥かに超えたものです。それはアラビア半島の砂漠地帯から始まり、既知宇宙を超越するものでした。第七天の門では、それまでと同じやりとりが繰り返され、天使たちは預言者ムハンマドとの対面を喜びました。入門の許可が下り、神の啓示を委託された天使ガブリエルを伴い、預言者は最終天に入ったのです。
第七天はキリスト教徒の使う慣用語「私は第七天にいる」という言葉からも分かるように、最高の喜びや至福の表現として使われます。イスラームにおいて、第七天は預言者ムハンマドと預言者アブラハムが出会った場所であり、実際彼(ムハンマド)は、こうした奇跡の旅という栄誉を与えられ最高の喜びと至福を感じていたはずでしょう。二人の預言者はお互いに挨拶の言葉「アッサラーム・アライクム」を交わし、他の預言者たちと同様、預言者アブラハムも預言者ムハンマドの使命における確信を表明したのです。
アブラハムは息子イシュマエルを通したアラブ人の父祖であり、預言者ムハンマドの祖先です。彼は息子イサクを通し、イスラエルの民(預言者モーゼの追従者)となった人々の祖先でもあります。ユダヤ教の伝統において、アブラハムはユダヤ人の父祖とも呼ばれます。しかし、クルアーンでは彼がユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかったと明記されていることから、イスラームではそうした観念を否定し、彼は純粋な一神教の信仰者であったとします。
“…何故あなたがたは、イブラーヒームのことで論争するのか。律法と福音とは、かれ以後に下されたのではないか。あなたがたは理解しないのか…イブラーヒームはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。しかしかれは純正なムスリム、ハニーファ1であり、多神教徒の仲間ではなかったのである。”(クルアーン3:65,67)
ムスリムはすべての預言者たちを信じることが求められます。アブラハムは神の諸使徒の中でも特に重要な存在として、イスラームとキリスト教2双方の伝統において「寵愛を受けた神の僕」と呼ばれる特別な地位を有しています。アブラハムは息子のイシュマエルと共にカアバ(マッカの聖マスジド中央に位置する、黒い立方体の建物)を建築したのです。
“それからイブラーヒームとイスマーイールが、その家の礎を定めた時のこと。(その時二人は言った。)「主よ、わたしたちから(この奉仕を)受け入れて下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられる。”(クルアーン2:127)
ムスリムは毎日の礼拝において、カアバ聖殿の方角に顔を向けて神へ祈り、アブラハムと彼の家族に祝福があるよう祈願しています。
天使の世界
預言者ムハンマドは第七天において、「アル=バイト・アル=マアムール(不断に詣でられる聖殿)」と呼ばれる建物を見せられました。預言者アブラハムがその聖殿と共にその場にいたことは相応しいことなのでしょう。なぜなら、それは天におけるマッカのカアバ聖殿に相当するものであるからです。毎年の巡礼期には、預言者アブラハムの例に従い、カアバ周回を含む種々の儀礼を行うため、200万人以上ものムスリムたちが世界中からマッカに押し寄せます。第七天における「不断に詣でられる聖殿」では、毎日7万の天使たちが訪れ、神を崇拝しているのです。預言者ムハンマドによると、天使は一度バイト・アル=マアムールを訪れると、二度と訪れることはないといいます。神はクルアーンにおいて、この聖殿において誓っています。
“不断に詣でられる聖殿にかけて”(クルアーン52:4)
毎日、7万もの天使が訪れているということは、一体何を示唆しているのでしょうか? 一体それは何千年、いや何億年と続いているのでしょうか? 神によって光から創造されたそれらの天使たちの数は、どれ位なのでしょう? このような奇跡を目撃し、それを私たちに説明したことは、預言者ムハンマドに与えられたもう一つの栄誉だったのです。この伝承において彼が私たちに伝えていることとして、諸天はうなりを上げており、またあらゆる空間はたとえそれが指四本分の空間であれ、天使一人によって神の崇拝のため占められていると述べられています。
最上界
預言者ムハンマドは、「スィドラ・アル=ムンタハー」と呼ばれる木のそびえる最上界に到達します。
“(誰も越せない)涯にある、スィドラ木の傍で。そのそばに終の住まいの楽園がある。”(クルアーン53:14−15)
彼はその果実は壺のようで、その葉は象の耳程の大きさであったと言い、四つの川がスィドラの木の根本を源流としていると述べています。預言者ムハンマドがそれらのことについて尋ねると、川の二つは楽園が源流であると答えられています。昇天の伝承の中でも、これら二つの川の名前や意義についてのものは残されていません。しかしながら彼は、残りの二つの川は人間の世界において特に祝福されているナイル川とユーフラテス川の複製であると告げられています。
スィドラ・アル=ムンタハーが最上界であると呼ばれるのは、地上または諸天から昇ってくる全てのものはそこで止まり、降りてくる全てのものもそこで止まる3からであり、また諸天使の知識もその地点で止まるからです。預言者ムハンマド以外には、その更なる上へと到達したことはないのです4。そこから先は諸天を超え、楽園や地獄、神の玉座を含む、来世の世界となります。預言者ムハンマドはその奇跡の旅を続け、その世界に入り、全能なる神の御前に立つことになるのです。
夜の旅と昇天(5/6):神の御前で
説明: ムハンマドは主の御前で、一日五回の礼拝をしっかり行うことを命じられます。
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 16 Jul 2012
- 編集日時 16 Jul 2012
- プリント数: 166
- 観覧数: 24,791
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
諸天の最上層であるスィドラの木をさらに超えると、それまで人間が立ち入ったことのなかった境界となります。夜の旅と諸天をとおしての昇天は、預言者ムハンマドが最上層を超え、神の御前に立つことによってピークに達しました。スィドラの木を超えると、来世、楽園、そして神の玉座と神その御方が存在する世界なのです。
「奇跡的」という言葉では、預言者ムハンマドに起きたことを説明するには事足りないものでしょう。それは想像はおろか、いかなる説明をもってしても実感することは出来ないものです。預言者ムハンマドは彼自身の目で神を見たわけではありませんでした。神はクルアーンの中でこう述べます。
“視覚ではかれを捉えることはできない。”(クルアーン6:103)
教友の一人が、預言者ムハンマドが神を直接見たのかについて尋ねると、彼はこう答えています。
“光の幕がかけられているかれを見ることなど出来ようか。”(サヒーフ・ムスリム)
しかしながら、神の預言者であるムハンマドが神の御前に立ったという事実に変わりはないのです。
礼拝の重要性
神は預言者ムハンマドに語りかけましたが、私たちにはその詳細については、神が預言者ムハンマドとその追従者たちに一日五回の礼拝を命じたこと以外、何も知らされていません。このことから、私たちは礼拝の重要性を直ちに理解することが出来ます。それは天において神が命じた唯一の命令であり、その他すべての命令は、地上において下されたものであるからです。礼拝とは、神の唯一性を信じる者たちへの神による贈り物なのです。神はこの贈り物をムハンマドに授け、彼はそれをイスラームの追従者へと伝えたのです。それは大いなる祝福と恩寵に満ちた贈り物でした。それは神と私たちとの架け橋を築き上げ、維持させるものです。神は私たちの祈りを必要とはしませんが、人間として無力な存在の私たちは神とのつながりを大いに必要としているのです。事実、一日五回の義務の礼拝はアラビア語で「つながり」を意味する語根を持つ「サラー」なのです。
“各礼拝を、特に中間の礼拝を謹厳に守れ、敬虔にアッラーの御前に立て。”(クルアーン2:238)
神は預言者ムハンマドとその追従者に一日五十回の礼拝を命じました。預言者ムハンマドが天から降りる時、彼が預言者モーゼの前を通りかかったため、彼は何が課せられたのかを尋ねました。預言者ムハンマドが一日五十回の礼拝について告げると、驚いたモーゼは即座にこう言いました。「あなたの主の元に戻り、減らしてくれるよう頼みなさい。」神が五十回の礼拝を命じたとき、預言者ムハンマドはそれを受け入れましたが、自身も偉大なる預言者であったモーゼは自らの体験から、いかに人々が宗教的義務の履行について反応するかを熟知していたのです。彼は、預言者ムハンマドの追従者たちがそれ程までに多くの礼拝をすることが出来ないであろうことを確信していました。預言者ムハンマドには知識がありましたが、預言者モーゼにはより多くの経験があったのです。
預言者ムハンマドは長兄の助言を聞き入れ、神の御前に戻り、軽減を求めました。神はそれを十回分減らし、四十回とされました。預言者ムハンマドが降りると、預言者モーゼは何が起きたか尋ねました。減らされたのが十回だけだったと知った彼は、更なる軽減を求めるよう促しました。
義務の礼拝が五回になるまで、このやりとりが繰り返された後、預言者モーゼはこう言ってさらなる軽減を求めるよう促しました。「ムハンマドよ、私は人々のことを知っている。あなたの共同体はそれに耐えることが出来ないだろうから、再び戻ってあなたの人々の重荷が軽減されるよう求めるのだ。」預言者ムハンマドは答えました。「いいえ。」彼はさらなる軽減を求めることに恥じらいを感じ、五回の礼拝で満足していると言いました。するとどこからか声が響き渡りました。「礼拝は五回まで軽減されたが、その報奨には五十回分が与えられるだろう。」これら五回の礼拝でさえ、一部の人々にとっては困難であったとしても、「つながり」を確立し、やがて主との面会を信じる人々にとっては容易であることを神は明確にされたのです。
“忍耐と礼拝によって、(アッラーの)御助けを請い願いなさい。だがそれは、(主を畏れる)謙虚な者でなければ本当に難かしいこと。敬神の仲間はやがて主に会うこと、かれの御許に帰り行くことを堅く心に銘記している者である。”(クルアーン2:45−46)
慈悲、愛情、思いやり
この奇跡の夜は、こうした神の慈悲によって終りを迎えました。一日に五十回もの礼拝をすることの困難さを想像してみてください。預言者ムハンマドの追従者たちの方が審判の日により数が多いことを知って預言者モーゼが涙したことを私たちは知りましたが、ここで彼による預言者ムハンマドへの誠実な助言と共に、信仰者によるイスラーム実践が容易なものとなるよう願う彼の姿勢もこの旅によって私たちは知ることが出来ます。預言者間のライバル心は愛情と思いやりに満ちたものであり、ここからも私たちはどうお互いを接するかについて学び取ることが出来ます。神は善行と公正さにおいて信仰者間で競い合うよう告げられますが、私たちはこれを容易に行うことの出来るよう推奨し合うべきなのです。
“…だから互いに競って善行に励め。あなたがたは挙って、アッラーに帰るのである。その時かれは、あなたがたが論争していたことに就いて、告げられる。”(クルアーン5:48)
その後、預言者ムハンマドはマッカの聖マスジドへと降りていきました。そして預言者の教友たちは、信仰における最も大きな試練を受けることになります。神の預言者であるムハンマドは、通常一ヶ月以上を要するエルサレムの最も遠きマスジドへの旅から一夜にして帰還したことを公言したのです。また彼は、諸天へと昇天し、人間が踏み入れたことのなかった領域に入り、神の御前に立ったことも明らかにしました。これはまさしく奇跡の旅でしたが、それについて彼の教友たち、また敵たちはどのような反応を示したのでしょうか?
夜の旅と昇天(6/6):帰還
説明: この偉大なる奇跡と栄誉は、不信仰者たちにとってイスラームを叩く絶好の機会となり、またムスリムたちの信仰を試すものともなります。
- より アーイシャ・ステイスィー
- 掲載日時 16 Jul 2012
- 編集日時 16 Jul 2012
- プリント数: 167
- 観覧数: 24,075
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
預言者ムハンマドは、アル=ブラークに跨ってエルサレムの最も遠きマスジドまで飛び立ちました。彼は昇天して七天を超え、想像もつかないような奇跡を体験しました。彼は諸預言者と顔を合わせて挨拶を交わし、ついには神の御前に立ったのです。同じ夜、旅立ちから僅か数時間後には、彼はマッカに戻っていました。
この奇跡の旅は、預言者ムハンマドの敵にとって、彼とその追従者たちに対する格好の武器となり、同様に信仰者たちの信仰を試す試練となりました。彼は帰還すると、ウンム・アイマンのもとへ向かい、奇跡の旅について述べました。彼女の反応はこうでした。「神の使徒よ、このことは誰にも言ってはなりません。」ウンム・アイマンの預言者ムハンマドへの信頼は完全なものだったため、彼女はこの旅について信じましたが、他の人々がどう反応するかを恐れたのです。
預言者ムハンマドはウンム・アイマンについて、「私の母のような存在」であると述べています。彼女は彼の実母アーミナの忠実な女中で、彼女の死後も彼と留まりました。預言者ムハンマドとウンム・アイマンは常に懇意にしており、この奇跡の旅の後、彼はおそらく安息を求めてウンム・アイマンの家を訪れ、一連の奇跡について、そして次の動きについて考えていたのです。
預言者ムハンマドは、奇跡の夜について人々に打ち明けることを決心しました。彼はその反応や帰結がどうなろうと、神のメッセージを人々に伝える責任を感じていました。彼の神への信頼は不動のものでした。彼は厳かに家を出て、聖マスジドへ向かいました。その途中、彼は何人かと出会い、夜の旅についての知らせが人々の間に広まって行きました。
反応
預言者ムハンマドがマスジドで静かに座っていると、アブー・ジャハルが近づいてきて、無頓着にこう言いました。「ムハンマドよ、何か新しいことはないか?」イスラームの最大の敵の一人と見られていたアブー・ジャハルは、イスラーム初期におけるムスリムたちへの拷問、虐待、殺人、嫌がらせの数々を行なってきた張本人でした。預言者ムハンマドはアブー・ジャハルによる悪意と憎悪について承知していましたが、彼は正直にこう言いました。「昨夜、私はエルサレムへと旅をし、戻ってきたところだ。」
笑いを堪え切れなかったアブー・ジャハルは、マッカの人々の前で同じことを言うよう求めました。預言者ムハンマドがそれに応じると、アブー・ジャハルは駆け足でマスジドを飛び出し、走りながら道端の人々に呼びかけていきました。マスジドに十分な数の人々が集まってくると、アブー・ジャハルに促され、預言者ムハンマドは皆に聞こえるようこう言いました。「私はエルサレムへ行って戻ってきた。」
人々の群衆は笑い出し、口笛を吹き、手を叩き合わせました。彼らはそれを壮大な冗談だと捉え、地面を笑い転げたのです。これはアブー・ジャハルのもくろみ通りに行き、彼をわくわくさせました。不信仰者の群衆はイスラームに止めを刺すことが出来る機会だと思ったのです。彼らは預言者ムハンマドの主張に嘲笑し、貶しました。群衆の中にはエルサレムへと旅行したことがある者がいたため、彼らは預言者ムハンマドが見たものを説明するよう求めました。
預言者は彼の旅について説明を始めましたが、それは彼を苛立たせました。彼がエルサレムで過ごした時間は僅かで、奇跡の旅そのもの以外のことは僅かな詳細しか覚えていなかったからです。しかしながら、預言者ムハンマドは神が「彼の目の前」に詳細を示し、彼が見た「石から石、レンガからレンガ」について説明しました。エルサレムに旅した者たちは彼の語った詳細が正確であると証言したのです。(サヒーフ・ブハーリー)
また他の伝承によれば、彼がマッカへと戻ってくる際、預言者ムハンマドはキャラバンの上を通り越したと述べています。彼はそれについての詳細を明確に述べました。キャラバンはラクダを見失っていたため、預言者ムハンマドは空からラクダがどこに居るかを彼らに告げたのです。彼はまた、彼らの水を飲んでいます。
マッカの人々はそのキャラバンが戻ってくる前に、直ちに昨夜の出来事について尋ねる使者を遣わしました。彼らは、ラクダの居場所を告げる奇妙な声が聞こえてきたこと、そしてその場にあった水が消えたことを確証しました。しかしこれらの証言さえも人々にとっては事足りないものでした。彼らは預言者の言葉を信じず、愚弄し嘲笑したのです。この奇跡の旅は、一部の新ムスリムでさえ不信仰に陥り、イスラーム信仰から背き去ることになる試練だったのです。
信仰の甘美さ
強く、真の信仰を持つ人々にとっては、神の御力は明らかでした。その話のすべてを信じ難いと受け取った人々は、預言者ムハンマドの最も良き友であり支持者でもあるアブー・バクルのもとを訪れました。彼らは預言者ムハンマドのエルサレムへの一夜にしての旅について彼が信じているかどうかを尋ねました。アブー・バクルは躊躇することなく、こう断言しました。「神の使徒がそう言ったのであれば、それは事実だ。」この出来事から、アブー・バクルは「アッ・スィッディーク(信仰者のさきがけ)」という敬称を得たのです。このことは、不信仰者たちによる身体的拷問や虐待を受け、さらにはこうした想像もつかないような概念を提示され、それを受け入れなければならなかったムスリムたちにとっての転機点でした。彼らの一部は失敗者となりましたが、多くは新たなる高みに到達し、唯一なる神への真の服従による信仰の甘美さを味わうことができたのです。
マッカの聖マスジドからエルサレムの最も遠きマスジドまでの一夜にしての旅と、諸天における昇天から全能なる神の御前に立ったことは、最後の預言者であるムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)以外のいかなる人間もそれまで授けられたことのなかった奇跡、そして大いなる栄誉だったのです。
コメントを付ける