スーフィズム(前半)
説明: スーフィズムのイスラーム的でない部分について。第一部では、スーフィズムの定義とその起源、また神、預言者ムハンマド、天国と地獄への信仰において、イスラーム的でない部分について検証していきます。
- より アブドッラフマーン・ムラード(ゥ 2012 IslamReligion.
- 掲載日時 12 Mar 2012
- 編集日時 12 Mar 2012
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序説
テレビのドキュメンタリー番組であれ、インターネットのウェブサイトであれ、多くの人々は「スーフィー」、または「スーフィズム」について見聞きしたことがあるのではないでしょうか。テレビ番組で放送されたり、トーク番組で言及されたり、有名人たちがスーフィー教団に興味を示したりと、いまではどのような検索サイトでも「スーフィー」と打ち込むだけで、溢れんばかりの動画や写真の数々を見つけ出すことが出来ます。サイバースペースにおいては、スーフィー神秘主義者や老師たちが、響き渡るメロディーを背後に踊る写真や動画を見ることが出来ます。その中には、スーフィー老師がナイフで自らの頭を激しく突付いたり、拷問的な苦行をしたりする不快なものも、一般的に存在します。イスラームに興味のある人々がこのようなものを見たら、イスラームとムスリムについて誤解してしまうかもしれません。というのも西洋的な意味での「スーフィー」や「スーフィズム」は、イスラームやムスリムと同義語であるからです。
疑問として浮かび上がるのは、彼らが本当にムスリムで、イスラームを実践しているのか、というものでしょう。入手可能なサイト、記事、本などは多くが存在しますが、早まった結論を出す前に、それらの文章のほとんどではスーフィズムについての感情論的な議論しかなされていないことを指摘しなければなりません。そしてこのことは人に、それらには偏向があるのではないか、という疑いを抱かせるに違いありません。この論考では、「スーフィズム」について出来るだけ啓発的であるよう、またいかなる偏見や先入観にもとらわれない文章であるよう、試みます。
スーフィーたちは少数ながらむ、ムスリム国かどうかに関わらず、多くの国々に居住しています。しかし、スーフィズムは一つのグループと思われがちですが、実際にはいくつもの教団(タリーカ)に分かれています。その各々は信条と実践において異なります。教団には大きなものもあれば、時間の経過と共に消え去ったものもあります。現存する教団には、ティージャーニー教団、ナクシュバンディー教団、カーディリー教団、シャーズィリー教団などがあります。
スーフィズムの起源
スーフィーの教えはその最初期において、個人によるイスラームの精神的な側面に、より重点を置くべき必要性を強調するものでした。しかしながら時間の経過と共に、悪評高いスーフィー教団の老師たちがイスラームとは無関係な実践法を広め出し、それが追従者たちによって受け入れられるようになりました。そういった実践法にはダンス、音楽の演奏、さらにはハシーシ(マリファナ)の吸引すらも含まれていました。
学者イブン・アル=ジャウズィーは、その著書「タルビース・イブリース」で、彼らによって使われる名称の起源について述べています。「彼らがこの名で呼ばれるのは、カアバのまわりでの崇拝行為に人生を捧げたスファーという名の人物にちなんでいます。」
これによれば、彼の模倣を望んだ人々が自らを、「スーフィー」と名乗り始めたことになります。
またイブン・アル=ジャウズィーは別の理由にも言及しています。「彼らは羊毛の衣服を身に付けていました。」羊毛はアラビア語で「スーフ」であり、その時代に羊毛は禁欲主義者の印で、衣服として最も安上がりなため、ざらざらした肌触りでした。それゆえ禁欲主義者のシンボルとなっていました。いずれにせよ、スーフィーという言葉は預言者ムハンマドの時代には存在しなかったものであり、ヒジュラ暦200年(預言者によるマッカからマディーナへの移住の年から200年後)以降に最初に使われ出した言葉なのです。
著名な学者であるイブン・タイミーヤは、スーフィズムの発祥はイラクのバスラであると言及しています。そこでは、一部の人々が崇拝における過激主義に陥り、他の地域でも見られることのなかったような方法で俗世を離れたとされています。1
スーフィズムとは?
スーフィズムとは、貧窮、隠遁、妙技、魂の抑制、唱歌、踊りなどから成り立つ、一連の概念と実践のことです。それはギリシャ哲学、ゾロアスター教、仏教、ヒンズー教、またイスラームを含む、多くの異なる宗教および哲学が混合されたものです。また、しばしばそれは、スーフィーたち自身や東洋学者らによって、「イスラーム神秘主義」と形容されます。そしてそれはイスラーム全体、またはその一部が、無意味な儀式から成り立つ教義主義的な宗教であるという誤解を与えるためのものなのです。スーフィズム(タサッウフ)の本質は、ムスリムが信仰すべきものに相反しています。このことはスーフィーの一般的信条の説明として後述されます。
ムスリムであることの特質
ムスリムは常にクルアーン、そしてスンナと呼ばれる預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)にまつわる伝統を参照します。神はクルアーンにおいてこのように述べられています:
“信仰する男も女も、神とその使徒が、何かを決められた時、勝手に選択すべきではない。神とその使徒に背く者は、明らかに迷って(横道に)逸れた者である。”(クルアーン33章36節)
また預言者ムハンマドは、クルアーンとスンナに従うことの重要性を強調し、イスラームにおける新奇な崇拝方法の導入について、警告しています。預言者は次のように述べたことが知られています。「誰であれ、私の指示(イスラーム法)に基づいた行為をしない者は、拒絶されるのです。」(サヒーフ・ムスリム)
またイブン・マスウード(預言者の教友の一人 ― 彼に神のご満悦あれ)は、このように述べています。
「神の使徒 ―神の慈悲と祝福あれ― は、その手で地面に直線を引き、こう言われました。「これは神への真っ直ぐな道である。」そしてその線の両側に(短く分岐する)線を引いて、こう言われました。「これらの線のそれぞれには、人々を招き寄せる悪魔がいるのだ。」それから、彼は(クルアーンを)朗誦しました。
“本当にこれはわれの正しい道である、それに従いなさい。(外の)道に従ってはならない。それらはかれの道からあなたがたを離れ去らせよう。”(クルアーン6章153節)
これは、アフマドとナサーイーによって伝承されている、サヒーフ(真正な伝承経路)のハディースです。
それゆえ、ムスリムは神とその使徒に従わなくてはなりません。それはイスラームにおいて、最も高い権威なのです。人は宗教的指導者に盲目的な追従をしてはならず、神によって授けられた能力を駆使し、思考に基づいた理性的な判断をしなくてはなりません。しかしスーフィズムでは、人の自由裁量と個人的判断を阻む、教団のシャイフへの完全な追従が求められます。一部のスーフィー教団の老師はこう言います。「死人がその死体を洗われている時のように、人はシャイフと共になければならない。」これはつまり、シャイフの意見に抗議または反論することは許されず、絶対的追従・服従が義務付けられるということです。
真のムスリムは、全能なる神によって付けられた「ムスリム」という名に満足しなければなりません。神はこう仰せられます。
“かれは、あなたがたを(かれの宗教に順応するよう)選ばれる。この宗教は、あなたがたに苦業を押しつけない。これはあなたがたの祖先、アブラハムの教えである。かれ(神)は以前(の啓典において)も、またこの(クルアーン)においても、あなたがたをムスリムと名付けられた。”(クルアーン22章78節)
スーフィーたち自身は、自分たちをムスリムであると主張しますが、同時に彼らの一部はムスリムとしてではなく、単にスーフィーとして認識されることを好むのです。
簡潔に見るイスラームの信仰:神への信仰
一言で言うと、ムスリムは神の唯一性を信仰します。かれに同位者はなく、かれは何に似通うこともありません。全能なる神はこう述べます。
“かれに比べ得るものは何もない2。かれは全聴にして、すべてをお見通しになる御方である。”(クルアーン42章11節)
神は創造物とはかけ離れた存在であり、その一部ではあり得ません。かれこそが創造主であり、かれ以外のあらゆるものは、かれによる創造なのです。
スーフィーは全能なる神について、いくつかの独自な信仰を有しています。それらは以下に示される通りです。
1.アル=フルール:全能なる神がその創造の中に宿るという信仰。
2.アル=イッティハード:全能なる神とその創造は、一つの結ばれた存在であるという信仰。
3.ワハダトル=ウジュード:創造主と創造物は同一であり、それらを区別すべきではないという信仰。
スーフィーによって非常に崇敬されているマンスール・アル=ハッラージは、このように言っています。「私の愛するかれ(神)こそ、私なのである。」そしてこう強調します。「私の愛するかれは、私である。われわれは一つの身体に共生する二つの魂である。あなたが私を見るのであれば、そこにかれを見るのであり、あなたがかれを見るのであれば、そこに私を見るのである。」3
スーフィーたちの崇敬を受ける別の人物、ムヒーユッディーン・イブン・アラビーは、奇怪な主張をしたことで知られています。「私の衣服の下にいる御方こそは、神である。」「しもべとは主であり、主とはしもべなのである。」4
上記の信条は、厳格な一神論の信仰をかかげるムスリムの信条とは真っ向から反するものです。これらのスーフィー的教義は、キリスト教やヒンズー教の輪廻信条とそうかけ離れたものではありません。その著書「スーフィー思想」において、S.R.シャルダはこう述べています。「ティムール朝以後の時代におけるスーフィー文学は、その思想に大きな変化があることを示しています。それはまさに、汎神論の思想なのです。インドの中枢における伝統的ムスリムによる支配が終わると、ティムールによる侵攻の影響から、スーフィズムは伝統的ムスリムによる統率から外れ、ヒンズー教の聖人による非常に広範な影響を受けはじめました。スーフィーはヴィシュヌ・ベーダーンタ学派から一元論、妻的献身、またバクティやヨガの実践などを採択したのです。当時、スーフィーたちの間におけるベーダーンタ的汎神論の人気は頂点に達していました。」
神の預言者への信仰
ムスリムは、預言者ムハンマドが最後の預言者であり、神の使徒であると信じます。彼に神性はなく、崇拝の対象でもありませんが、彼は従われ、そして神の崇拝は彼によって認可された方法のみによって行わなければなりません。
諸々のスーフィー教団には、預言者ムハンマドに関連した多種多様の信仰が存在しています。その中には、彼がスーフィー老師の持つレベルの知識に関して無知であったといった主張などが含まれます。スーフィーのシャイフであるアル=ブスターミーは、このような発言をしています。「我々は知識の海に浸かっているが、諸預言者・諸使徒はその岸に立っていたのである。」
また、他のスーフィーたちは、ある種の神性を預言者に寄与させ、すべてのものは、預言者ムハンマドの「光」から創造されたのだとします。さらに、一部では彼こそが最初の創造であり、彼は今、神の玉座についてているのであるという主張すら存在します。これはイブン・アラビー、および彼に続くスーフィーたちの信条でもあります。
天国と地獄の信仰
要約すれば、ムスリムは天国と地獄がたった今存在しており、双方は実際の住処であると信じています。地獄は罪深い人々が懲罰を受ける場所であり、天国は敬虔な人々が報奨を受ける場所です。
一般的にスーフィーは、神に天国をお願いしてはいけないと主張し、さらにはワリー(守護者)もそれを求めてはならないとします。なぜなら、それは人の知性の欠如であるとするからです。彼らにとって天国は非現実的な意味合いを持ち、そこは神による不可視の知識を授かり、神との深い愛情に浸る場所であるとしています。
また、地獄に関するスーフィーの信条としては、それから逃げてはならない、とするものです。彼らによると、真のスーフィーは炎を怖れてはならず、一部ではアブー・ヤズィード・アル=ブスターミーが主張するように、スーフィー老師が炎に唾を吐くと、それはたちまち消されるとさえ信じるのです。
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