聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(1/7):概要
- より ミシュアル・ブン・ class=
- 掲載日時 09 May 2011
- 編集日時 03 Feb 2013
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“災いあれ、自分の手で啓典を書き、僅かな代償を得るために、「これはアッラーから下ったものだ。」と言う者に。彼らに災いあれ、その手が記したもののために。彼らに災いあれ、それによって利益を得たために。”(クルアーンの 2:79)
“使徒がアッラーの御許からやって来て、彼らの所持するもの(ユダヤ教徒・キリスト教徒らの啓典)を確証すると、啓典の民の中の一派は、アッラーの啓典をまるで知らなかったかのように、背後に捨てた。”(クルアーン 2:101)
“あなたたちはわたし(神)が命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。”(申命記 4:2)
まず、最初にひとつ明確にしておきましょう。それはこの地球上において、イエスが聖書を書いたと主張する聖書学者は誰一人として存在しないということです。学者らは皆、聖書はイエス(彼に平安あれ)の弟子らによって、彼が去った後に書かれたという一致した見解を示しています。米国シカゴにある有名なキリスト教福音主義の伝道団体、ムーディー聖書学院のグラハム・スクロギー博士はこう述べています:
“ ...確かに聖書は人為的なものですが、一部の熱心な人々は知識に基づかずにこれを否定します。これらの書物は人々の頭脳を伝達し、人々の言語で記され、人々の手によって書き留められ、それらの様式によって人々の性格を運んでいるのです... それは人的ですが、神授のものであるのです。”1
別のキリスト教学者である聖公会エルサレム主教のケネス・クラッグはこう述べます:
“ ...新約聖書はそれに当てはまりません ...簡約、編集の手が加えられているのです。選択的複写があり、証拠もあります。福音書は著者の背後に教会の意向が現れているのです。それらは経験と歴史を代弁しています...”2
“原始キリスト教における福音書が当初は口伝によって広められ、その結果、言行録に異文が存在することはよく知られた事実です。また、キリスト教の記録が書き記されるようになった頃でさえ、口頭上の相違が生じていたことも事実です。それらは無意識なものだったのであれ、意図的だったのであれ、筆写家や編集家らの手によるものだったのです。”3
“事実、新約聖書のすべての書は現在ではパウロの四大書簡以外、多少とも議論の対象となっており、それらの中には改変・追加があると強く主張されています。”4
最も強硬で保守的な三位一体論の擁護者の一人だった、ロベゴット・フリードリヒ・コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフ博士自身、こう認めざるを得ませんでした:
“(新約聖書では)多くの章句の意味に関して深刻な修正が施され、私たちは使徒たちが実際に書いていたこと関して沈痛な疑念を抱かざるを得ないのです。”5
また聖書における多くの矛盾点の一覧を挙げたあと、フレドリック・ケニヨン博士はこう述べています:
“これらのような大きな矛盾点以外にも、(聖書が収集された古代の)写本においては、その言い回しに相違点がない節すら殆どありません。誰一人として、これらの付け加え、または削除が単なる不一致によるものであると言うことは出来ないのです。”6
上記の書では、キリスト教世界における一流の学者らによる、数えきれない程の同様の引用を見出すことが出来ます。ここでは、上に示したもので十分でしょう。
一般的に、キリスト教徒は親切で礼儀正しい人々であり、信仰深い者たちほど慎み深いのです。このことは聖クルアーンにおいても、証言されています:
“またあなたは、信仰する者に一番親愛の情を抱いているのは、「私たちはキリスト教徒です。」と言う者であることを知るであろう。これは彼らの間に、司祭と修道士がいて、彼らが高慢でないためである。あなたは彼らが、使徒に下されたものを聞く時、自分の認めた真理のために、涙を目に溢れさせるのを見るであろう。彼らは言う。「主よ、私たちは信仰します。私たちを証人の中に書き留めて下さい。”(クルアーン 5:82−83)
1881年以前に改訂された聖書の“改訂本”のすべては、“原始写本”(イエスの時代から500〜600年後のもの)に依拠しています。改訂標準訳聖書(略称:RSV)の改訂者らは、イエス逝去からおよそ300〜400年後の“古代写本”を手に取ることの出来た最初の聖書学者たちでした。論理的には、文書が原典に近ければ近い程、より信頼性も増すはずでしょう。では最も改訂された改訂版聖書(1952年から1971年までに改訂されたもの)について、キリスト教世界ではどのような意見があるのかを見てみましょう:
“今世紀における最も優れた改訂版”(英国国教会新聞)
“最高位の学者による完全に新しい翻訳”(Times literary supplement紙)
“正確な新翻訳を兼ね備えた、親しまれ続ける認定版”(Life and Work紙)
“原典に最も正確で意味の近い訳文”(The Times紙)
そして出版社(Collins) 自ら、注釈の10頁でこのように言及しています:
“この聖書(RSV)は32名の学者と、50の宗派を代表する顧問委員会による協力によって制作されました。”
では、これらの32名のキリスト教最高位学者らと、彼らに協力する50のキリスト教諸宗派からなる顧問委員会が認定版(AV)、もしくは欽定訳聖書(KJV)としてよく知られるものについて、どのように語っているのか見てみましょう。1971年に発行された改訂標準訳聖書の序文では、こう記されています:
“ … しかし、欽定訳聖書には重大な欠陥が存在し... ”
また、彼らはこのように警告しています:
“ … これらの欠陥は極めて多く、極めて危険なものであり、改訂を必要としたのです。”
エホバの証人の機関紙である“AWAKE” 紙の1957年9月8日号では、次のような大見出しとなっています:“聖書における5万の誤記” その中で、彼らはこう主張しています:“ ...聖書にはおよそ5万もの誤記があり... それらは聖書の本文に忍び込まされたものであり … 合計5万にも及ぶのです... ” しかし彼らはこう主張します:“ … 聖書は全体的には正確なのです。” それではこれらの誤記のごく一部について検証していきましょう。
Footnotes:
1W Graham Scroggie, p. 17
2The Call of the Minaret, Kenneth Cragg, p 277
3Peake’s Commentary on the Bible, p. 633
4 Encyclopaedia Brittanica, 12th Ed. Vol. 3, p. 643
5Secrets of Mount Sinai, James Bentley, p. 117
6Our Bible and the Ancient Manuscripts, Dr. Frederic Kenyon, Eyre and Spottiswoode, p. 3
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(2/7):改変の実例
- より ミシュアル・ブン・ class=
- 掲載日時 09 May 2011
- 編集日時 09 May 2011
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ヨハネ3:16―認定版(KJV)ではこう述べられています:
“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。”
この“独り子”という捏造は現在、最も著名な聖書改訂者らにより、はばかれることもなく乱用されています。しかし、これは人類が2000年も待つに価するような「啓示」ではないのです。
聖クルアーンのマルヤム章(19:88−98)では、このように述べられています:
“また彼らは言う。「慈悲深き御方は子を設けられる。」確かにあなたがたは、酷いことを言うものである。天は裂けようとし、地は割れて切々になり、山々は崩れ落ちよう。それは彼らが、慈悲深き御方に対し、(ありもしない)子の名を(執り成すものとして)唱えたためである。子を設けられることは、慈悲深き御方にはありえない。天と地において、慈悲深き御方のしもべとして、罷り出ない者は唯の1人もないのである。本当にかれは、彼らの(すべて)を計算し、彼らの数を数えられる。また審判の日には、彼らは各々一人でかれの御許に罷り出る。信仰して善行に励む者には、慈悲深い御方は、彼らに慈しみを与えるであろう。われが(クルアーン)をあなたの言葉(アラビア語)で下し分りやすくしたのは、あなたが、主を畏れる者に吉報を伝え、議論好きの者に警告するためである。われは、彼ら以前に如何に多くの世代を滅ぼしたことであろう。あなたは(今)、それらの中の一人でも見かけられるのか。または彼らの囁きを聞くことが出来るのか。”
また第1ヨハネの手紙5:7−8(欽定訳聖書版)ではこう述べられています:
“天国で証しするのは三者で、父と御言葉と聖霊です。この三者は一致しています。”
第1.2.2.5部で見られるように、この節は教会が三位一体と呼ぶものに最も近いものです。しかしそこで、改訂標準訳聖書(RSV)から、50の宗派を代表する顧問委員会の協力を得た32名のキリスト教最高位学者らによって、キリスト教の根本的教えが廃棄されているのを見て取ることが出来るのです。再度、それは“古代写本”に則っているとされます。そして再度、私たちは1400年以上前に聖クルアーンがこの真実に関して啓示していたことを見出します:
“啓典の民よ、宗教のことについて法を越えてはならない。また神について真実以外を語ってはならない。マリアの子イエス・キリストは、ただ神の使徒だったのである。マリアに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だから神とその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠に神は唯一の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。天にあり、地にあるすべてのものは、神の有である。管理者として神は万全であられる。”(クルアーン 4:171)
また1952年以前の聖書の全バージョンでは、預言者イエス(彼に平安あれ)による天国への昇天の奇跡が言及されていました:
“主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。”(マルコ 16:19)
また、ルカでもこう述べられています:
“そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰った。”(ルカ 24:51−52)
1952年版の改訂標準訳(RSV)におけるマルコ16章は8節目で終わり、残りは脚注に追いやられ、小文字で記されています(これに関してはまた後述)。同様に、ルカ24章における節々の注解においては新改訂標準訳(NRSV)の脚注で、“古代の典拠では「天に上げられた」の部分と、「彼らはイエスを伏し拝んだ後」が欠落している”と述べられています。それゆえ、ルカの原文はただこう述べていただけのはずなのです:
“そして、祝福しながら彼らを離れた。そして大喜びでエルサレムに帰った。”
“霊感による訂正”は、ルカの24:51−52を現在の形にするまで数世紀を要したのです。
別の例として、ルカ24:1−7ではこう述べられています:
“そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」”
ここでは再び、脚注は6節に言及してこう述べます:“古代の典拠では「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」が欠落しています。”
それらの例はここで紹介するには多すぎますが、新改訂標準訳を入手して福音四書に目を通してみることをお勧めします。その中の脚注では“古代の典拠は〜が欠落しています”、または“古代の典拠では〜が追加されています”等の言い回しが連続して2頁以上に渡って見られないことは殆ど無理だとお分かりになるでしょう。
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(3/7):新約聖書の著者とされる人々
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- 掲載日時 16 May 2011
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私たちは福音書がすべて、“マタイによる福音書”、“ルカによる福音書”、“マルコによる福音書”、“ヨハネによる福音書”という風に、“〜による”という形式で始まることを知っています。一般人としてみれば、これらの人物がその書名通り、著者であると推測することが出来ます。しかし、それは事実ではありません。なぜなら現存する4000書もの福音書の中には、著者の署名がされているものが一つもないからです。彼らはただ著者であると見なされているだけなのです。そして近年の発見によれば、その考えも否定されています。内部証拠でさえ、例えばマタイが彼に帰属されている書物を著したのではないことを証明しているのです:
“イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。”(マタイ 9:9)
この“マタイ”の節を書いたのが、イエスまたはマタイではないことは誰の目にも明らかです。このような証拠は新約聖書全般において見出すことが出来ます。多くの人々は著者は第三者の視点から書く場合もあるという仮説を立てていますが、この本において提示される数々の根拠からも、その仮説に反対する証拠はあまりにも多すぎるのです。
このような認識は、新約聖書に限ったものでは全くありません。申命記の最もわずかな部分でさえ、それが神あるいはモーセによって書かれたのではない証拠があるのです。それは申命記34:5−10において見出すことが出来ます:
“...モーセは...死んだ。主はモーセを...葬られたが...モーセは死んだとき百二十歳であった...イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった...”
モーセは自らの死について記録したのでしょうか?ヨシュアも自らの死の詳細について、ヨシュア24:29−33において述べています。圧倒的に多くの証拠により、聖書の書物のほとんどは著者とされている人々によって書かれたのではないことが確証されているのです。
また改訂標準訳聖書の著者らは、“列王記”の著者は“不明”であるとしています。もし彼らがそれを神の言葉であると見なすのであったなら、間違いなくそうであると主張したでしょう。その代わり、彼らは正直に“著者不明”としているのです。しかし著者が不明であるのなら、なぜそれを神に帰属させるのでしょう?なぜそれが“神感によるもの”であるとすることが出来るのでしょうか?さらにイザヤ書では、“大部分はイザヤの功績であり、一部は他者によるものかもしれない”とされています。例えば次のような調子です:コヘレトの言葉:“著者は疑いあり。しかし一般的にはソロモンに帰属されている。”ルツ記:“著者ははっきりとはしていないが、恐らくサミュエルである。”
新約聖書の一書にもう少し目を通してみましょう:
“ヘブライ人への手紙の著者は不明です。マルチン・ルターはアポロスが著者であったという考えを示しています。テルトゥリアヌスは、ヘブライ人への手紙はバルナバによるものであると述べています。アドルフ・ハルナックとJ・レンダル・ハリスはプリシラ(プリスカ)が著したと推定しています。ウィリアム・ラムゼーはフィリポによるものだと考えています。しかし、伝統的見解ではパウロがヘブライ人への手紙を著したとされているのです。エウセビオスによれば、パウロがそれを著したものの、オリゲネスはパウロ起源に関して疑念を抱いていたとしています。”1
これが、“神感によるもの”の定義なのでしょうか?
第一章で触れたように、パウロと彼の教会は、イエス(彼に平安あれ)の後に彼の宗教を大規模に改変した当事者たちであり、キリストの12使徒の教えを放棄した後、パウロ神学に従わなかったすべてのキリスト教徒たちに対して死と拷問の大規模な組織的活動を実行した者たちなのです。パウロ神学にとって認められない福音書はすべて組織的に破壊および改訂されました。チャールズ・アンダーソン師は以下のように述べています:
“パウロの生前において、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカの3福音書)が現在私たちの手元にあるような形で存在していなかった可能性は非常に高いのです。そしてそれらの書物が年代順に厳格に配列されたなら、パウロ書簡が共観福音書の前に来たことでしょう。”2
この主張は、ブランドン教授によって更に確証されています:“我々に残されている最も初期のキリスト教文献とは、パウロの書簡なのである。”3
西暦二世紀後半、コリントの聖職者ディオニュシウスはこう述べています:
“同胞らが私に書簡を書くよう求めたので、私はそうした。そして悪魔の使徒らはこれらの一部をすげ替え、追加し、害毒で満たしのだ。彼には破滅が待ち受けているだろう。それゆえ、何者かが神の神聖な書物をも不純なものにしようと試みたことは驚愕すべきことではない。なぜなら彼らはこれらと比較することの出来ない他の書物に対しても同じことを試みているからだ。”
クルアーンはこのことを以下のように確証しています:
“災いあれ、自分の手で啓典を書き、僅かな代償を得るために、「これはアッラーから下ったものだ。」と言う者に。彼らに災いあれ、その手が記したもののために。彼らに災いあれ、それによって利益を得たために。”(クルアーン 2:79)
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(4/7):キリスト教聖典における改変
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- 掲載日時 23 May 2011
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6世紀のアフリカ人聖職者であるビクター・トゥヌネンシスは、その年代記(西暦566年)の中で、メッサーラはコンスタンティノープルの執政官だったとき(西暦506年)、アナスタシウス皇帝が無学の人々によって著されたものであると見なされたキリスト教福音書を“検閲・改変した”と伝えています。それは、6世紀のキリスト教が改変され、それ以前のキリスト教とは異なったものであることを示しています。1
これらの“修正”は、キリスト教におけるイエス後の数世紀に限られていたわけではありません。ヒギンス卿はこう述べています:
“ラテン語とギリシャ語に関し、ベネディクト会修道士らやその他多くの人材が卓越していたことを否定することは不可能です。クリーブランドの‘Life of Lanfranc, Archbishop of Canterbury(カンタベリー大司教ランフランの生涯)’には、次のようなくだりがあります:「カンタベリーの大司教であるベネディクト会修道士のランフランは、写本家らによって聖典が大いに改竄されていたことを発見し、それらと共に、正統派信仰に則った父祖らによる書物をも自ら修正しようと試みました。」”
言い換えたならば、キリスト教聖典は11〜12世紀の教義に見合うよう書き直されたのであり、初期教会の先人らの書物でさえ“修正”され、変更が発見されないようにされたのです。ヒギンス卿は続けます:「同プロテスタント聖職者は次のような注目に値する発言をしています:“公平無私の精神は私に告白をさせた。正統派は複数の箇所で福音書を改変したのである。”」
そして著者はコンスタンティノープル、ローマ、カンタベリー、そしてキリスト教世界全般において福音書を“修正”し、それ以前のあらゆる写本を破壊する甚大な努力がいかになされたかという記録を挙げているのです。
セオドア・ザハンは、使徒信条における諸教会の辛辣な対立を描いています。彼は、ギリシャ正教会による諸聖典の意図的な加筆と削除をローマカトリック教会が告発したことを指摘しています。その一方でギリシャ正教会側はローマカトリック教会に対し、原文から背き去った逸脱について告発しています。しかし双方ともに相反しているにも関わらず、非英国国教徒に対しては結託し“真理の道”を外れた異端という烙印を押して非難します。また彼らはカトリック教会に対しても“真実をねじ曲げた者”として非難しています。著者はこのように結びます。“これらの非難合戦は、事実によって裏付けられてはいないのだろうか?”
14.われはまた、「私たちはキリスト教徒です。」と言う者とも約束を結んだ。だが彼らも授けられた教訓の一部分を忘れてしまった。それでわれは復活の日まで、敵意と憎悪の念とをかれらの間にこびりつかせた。アッラーは彼らに、その行ったことを間もなく後で告げ知らせられるであろう。
15.啓典の民(ユダヤ、キリスト教徒)よ、われの使徒(ムハンマド)が正にあなたがたの処へ来た。あなたがたが啓典(律法、福音)の中の隠してきた多くのことをあなたがたに解明し、また多くのことをそのままにした。アッラーからの御光と、明瞭な啓典が今正にあなたがたに下ったのである。
16.これによってアッラーは、御好みになる者を平安の道に導き、またその御許しによって、暗黒から光明に連れ出し、彼らを正しい道に導かれる。
17.「アッラーこそは、マリアの子メシアである。」と言う者は、確かに不信心者である。言ってやるがいい。「誰がアッラーに対し、少しでも力があろうか。もしかれがマリアの子メシア、その母と地上のすべてのものを滅ぼそうと御考えになられたら、誰が制止出来よう。」天と地、そしてその間のすべてのものは、アッラーの大権に属する。かれは御考えになられたものを創造なされる。アッラーはすべてのことに全能であられる。
18.ユダヤ人やキリスト教徒は言う。「私たちはアッラーの子であり、かれに愛でられる。」言ってやるがいい。「それなら何故かれは、あなたがたの罪を罰されるのか。いや、あなたがたは、かれが創られた人間に過ぎない。かれは、御望みの者を赦し、御望みの者を罰される。」天と地、そしてその間のすべてのものは、アッラーの大権に属し、またかれこそは帰り所なのである。
19.あなたがた啓典の民よ、使徒たちが中断された後わが使徒(ムハンマド)がやって来て、あなたがたに対し(事物の)解明をする。これはあなたがたに、「私たちには吉報の伝達者も警告者も来ない。」と言わせないためである。今、吉報を伝え警告を与える者が、正にあなたがたの処に来たのである。誠にアッラーはすべてのことに全能であられる。(クルアーン 5:14−19)
プロテスタントとカトリックの双方から認知と尊敬を受ける人物であるアウグスティヌスも、キリスト教の教義には秘密があると述べているのです:
“…キリスト教における多くの真実が一般大衆に知れ渡ることは不都合だったのであり、一部の虚偽を一般大衆が信じ込む方が好都合だったのである。
ヒギンス卿は認めます:
“これらの差し控えられた真実の中に現代キリスト教の謎があると信じこむことは、不正なことなどではない。またそのような信条を有する教会の最高権威者らが、聖なる書物の修正において躊躇などしないだろうことに関しても、私は否定できずにいるのだ。”3
パウロへと帰属される書簡ですら、実際には彼の著作ではないとされています。幾年にも渡る調査の結果、13書簡のうち、パウロ自身によって書かれたものは7書簡しかないことが、カトリックとプロテスタントの双方により合意されています。それらはローマ人への手紙、第一・第二コリント人への手紙、ガラテヤ人への手紙、フィリピ人への手紙、フィレモンへの手紙、そして第一テサロニケ人への手紙です。
キリスト教諸宗派では、何が“神感による”神の書なのかというはっきりした定義についてさえ合意に至っていません。プロテスタントは真の“神感による”聖書の書物は66冊あるとし、カトリックでは73冊となっていますが、それ以外にもモルモン教などの多くの諸宗派による“新しい”書物などもあるのです。次の部では、最も初期のキリスト教徒たちは何世代にも渡って、プロテスタントの66書、またはカトリックの73書のどちらにも従ったりはしていなかったことが明らかにされます。それとは正反対に、彼らは12使徒の時代よりもより啓蒙された時代の、後になって贋作あるいは外典であると“認知”された書物を信じていたのです。
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(5/7):実直性の方向転換
- より ミシュアル・ブン・ class=
- 掲載日時 30 May 2011
- 編集日時 30 May 2011
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では、これらの異なる聖書版本はどこから来たのであり、また“神感による”神の言葉を定義する困難性の理由は何なのでしょうか?これらは“古代写本”に遡ります。現代のキリスト教世界は、2万4千もの聖書の“古代写本”を有します。それらは最古で西暦4世紀のものですが、キリストや12使徒の時代にまで遡るものは、ひとつとして存在していません。言い換えれば、私たちのもとには、三位一体説信奉者らが教会を支配した時代以前に遡る福音書は存在しない、ということになります。この時代以前の写本は、どういう訳かこつ然と消え失せてしまっているのであり、現存するすべての聖書はこれらの“古代写本”をもとに編纂されたものなのです。聖書学者は皆、完全に一致する古代写本はひとつとして存在しないことも述べています。
今日では一般的に、ひとつの聖書、そしてひとつの版本しか存在しないと信じられていますが、この認識は現実とは程遠いものです。現存するすべての聖書(キング・ジェームス欽定訳、新改訂標準訳、新米国訳、新国際訳など)は、これらの中のひとつとして、決定的典拠とはなり得ない様々な写本からの広範に渡る、いわゆるカットアンドペースト(切り取り・貼り付け)作業による産物なのです。そこには、一方の“古代写本”には特定の章句が存在するが、もう一方には全く存在しないといったケースが数えきれないほどあります。たとえば、マルコ16:8−20の12節は、現存する古代写本の大半(シナイ写本、バチカン写本、そしてアルメニア版)において見出すことは出来ませんが、より近代の“古代写本”において見て取ることの出来るものです。また、古代写本同士で地理的名称が完全に異なるという記録も多く残っています。たとえば “サマリア五書”の申命記27:4では“ゲリジム山”について語りますが、“ヘブライ語写本”では、その全く同じ節が“エバル山”となっています。申命記27:12−13においてはそれらは二つの異なる場所であることが明記されています。同様にいくつかのルカ4:44の“古代写本”では、“ユダのシナゴーグ”について言及しますが、他では“ガリラヤのシナゴーグ”となっています。これはほんの一部の例であり、すべて記述するとなると書籍が丸一冊分必要になります。
また、聖書には疑わしい性質の節々が数えきれないほど存在します。それらの信頼性に対する学者や翻訳者らによる深刻な懸念に関して、読者への注意書きの類はまったくありません。キリスト教徒の過半数の手もとにあるキング・ジェームス欽定訳(標準訳として知られるもの)は、この点に関して最も悪名高いものです。それは読者に対し、疑わしい性質を有する節々については完全に伏せてしまっていますが、近年の聖書翻訳本に関しては徐々にこの問題について実直になって来ています。たとえばオックスフォード出版による新改訂標準訳では、疑わしい節の箇所を二重角括弧(〚〛)によって囲むという非常に巧妙な手法を用いています。一般の読者がそれらの括弧の役割に気付くことはほとんどないでしょう。それらは、知識のある読者に対して当該する節の疑問性が非常に高いことを告げ知らせるものです。その一例として、ヨハネ8:1−11の“姦通の女”や、マルコ16:9−20の“主イエスの復活”、またはルカ23:34(興味深いことに、そこではイザヤ53:12の預言を確証します)などが挙げられます。
たとえばヨハネ8:1−11では、そのページの一番下に、非常に小さな文字で以下のような注釈者による解説がされています:
“7.53−8.11では最古の典拠が欠如している。その他の典拠はここか7.36、または21.25、またはルカ21.38においてテキストに変化のある別のくだりが追加されている。一部では、そのテキストは疑わしいと記してある。”
マルコ16:9−20においては奇妙なことに、いかにしてマルコによる福音書が完結して欲しいかという選択肢が私たちに与えられています。注釈者は“短い結末”と“長い結末”を用意しているのです。それゆえ私たちは“神感による神の言葉”に対し、自分の望むものを選ぶことが出来るのです。そして再び注釈者は、この福音書の最後に非常に小さな文字でこう記しているのです:
“一部の最古の典拠は第8節によって終結します。別の典拠ではそれより早く終結し、また別のものは早い結末と共に第9−20節に続きます。大半の典拠においては、9−20節は第8節の直後に続きますが、一部の典拠においてはそのくだりは疑わしいものとされています。”
「ピーケの聖書注釈」ではこう記されています:
“9−20がマルコの福音書由来ではないことは、現在一般的に合意されています。それらは最古の写本に見て取れず、実際にマタイの福音書、そしてルカの福音書で使用されていた写本ではなかったようです。10世紀のアルメニア写本では、そのくだりはパピアスが言及した長老アリストンに帰されています。(ap.Eus.HE III, xxxix, 15)”
“マルコのアルメニア訳は比較的近年に発見されており、そこではマルコの終結部12節の著者としてキリスト教最初期における権威者の一人として知られるアリストンに帰されており、この伝承は正しい可能性が大いにあります。”
‐F. ケニヨン「Our Bible and the Ancient Manuscripts」(聖書と古代写本)7−8ページ、Eyre and Spottiswoode社
もしそうだとしても、これらの節々は異なる“複数の典拠”から、異なる伝承が導き出されています。たとえば第14節は以下の言葉が“古代の典拠”において追加されている、と注釈者により主張されています:
“そして彼らは次のように自分たちの正当性を弁解した:「この無法と不信仰の時代はサタンによって支配されており、かれは精霊による不浄さから真実と神の御力が広まることをよしとしません。それゆえ、今この瞬間から誠実であるよう務めるのです。」それで彼らはキリストに話し、キリストは彼らにこう答えた:「サタンの支配する年月は完了したが、別の苦難が近付いて来ている。私を死に至らしめた罪人たちでも、真実へ立ち帰り悔い改めれば、正義という、天国にある霊的で不滅の栄光を勝ち取ることが出来るのである。」”
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(6/7):聖書のテキストに対する容赦なき改変
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- 掲載日時 06 Jun 2011
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ロベゴット・フリードリヒ・コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフ博士は、19世紀における最も有名な保守的聖書学者の一人でした。彼はまた、歴史上でも最も頑強な“三位一体”論の擁護者の一人でもありました。彼にとって生涯最高の偉業は、人類の知り得る最も古い聖書写本である“シナイ写本”をシナイ山の聖カタリナ修道院で発見したことでしょう。この4世紀時代の写本の研究から分かった最も衝撃的な事実の一つは、マルコによる福音書が現在信じられているように16:20ではなく、16:8で終結していたことです。言い換えると、最後の12節(マルコ16:9〜16:20)は4世紀より後の時代に教会によって導入されたことになります。アレクサンドリアのクレメンスとオリゲネスは共に、それらの節々から引用したことは一度もなかったことが分かっています。後に、それらの12節はシリア写本、ヴァチカン写本、ボッビオ写本のどれにも記載されておらず、“イエスの復活”について嘘をついていたことも発見されました。教会は、最低でもイエスが去った400年後に “神感”を受け、この福音書の結末部にイエス復活の逸話を新たに挿入することにしたのです。
“シナイ写本”の著者は、マルコによる福音書が16:8で終結していたことをよく承知していました。この点を強調するため、私たちはこの節の直後に、彼は巧みな曲芸によって“マルコによる福音書”という言葉を用いてテキストを終結させます。ティッシェンドルフは頑強なキリスト教保守派でしたが、そのため彼はこの食い違いを何気なく脇に払いのけることが出来ました。マルコが12使徒ではないという事実、またイエスの存命期の直接の証人ではなかったという彼の推測は、彼の報告をマタイやヨハネなどの12使徒に次ぐ二次的なものと見なしたのです。しかし、この書の他の部分からも見て取れるように、現在キリスト教学者の多数派はパウロによるものが最古の聖書の書物であると認知しているのです。“マルコによる福音書”はそれらを密接に追随しており、“マタイとルカによる福音書”は、ほぼ世界的に“マルコによる福音書”を元にしていると認知されています。この発見は何世紀にも渡るキリスト教学者らによる緻密で骨を折る研究による結果なのであり、その詳細をここで反復することは出来ません。ただ、現在最も著名なキリスト教学者らによってそれが議論の余地のない事実として認知されていることを述べるだけで十分でしょう。
今日、私たちが手に取ることのできる現代聖書の翻訳者や出版社らは、読者に対して次第に率直になってきています。彼らはこれらの12節がずばり教会による捏造であり、神の言葉ではない、とまでは認めませんが、少なくとも“マルコによる福音書”には二つの“異本”があるという事実と、どちらの“異本”を選ぶかという選択肢を読者に提供しているのです。
ここで、“もし教会がマルコによる福音書を改変したのであれば、彼らはそこでその手を止めたのか、それともそれにはまだ続きがあるのか?”という疑問が浮かび上がります。ティッシェンドルフはまた、“ヨハネによる福音書”が教会によって代々激しい改変の手に晒されたことを発見しています。以下はその例です:
1.ヨハネの7:53から8:11に続く節(姦通の女)はシナイ写本、またはヴァチカン写本といった、現代キリスト教における聖書の古代写本から発見されていないこと。
2.また、ヨハネ21:25は後世において挿入されたものであるという発見と、イエスの墓が空だったと語るペトロの逸話(ルカによる福音書24:12)は古代写本に含まれていなかったことです。
(このトピックに関しては、‘Secrets of Mount Sinai(シナイ山の秘密)’ by James Bentley, Doubleday, NY, 1985に詳細が記されています。)
聖書のテキストが代々捏造され続けてきたことに関するティッシェンドルフ博士による発見の多くは、20世紀の科学によって立証されてきました。たとえば、紫外線を用いたシナイ写本の調査によって、“ヨハネによる福音書”が元来は21:24で終結し、その後に節々と“ヨハネによる福音書”という言葉が付加されていたことが明らかにされています。後の時代になって、全く異なる“神感”を受けた人物がペンを握り、24節に続くテキストを消去し、現在の聖書にあるようなヨハネ21:25という“神感”によるテキストを付加したのです。
捏造の証拠は枚挙にいとまがありません。たとえばシナイ写本のルカ11:2−4の“主の祈り”は、現在私たちに媒介的に届けられている、何世紀にも渡る“神感”の訂正を受けたバージョンとは根本的に異なっているのです。キリスト教の写本において最古の写本であるルカ11:2−4からは以下のように見て取ることが出来ます:
“父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。”
さらに、ヴァチカン写本はシナイ写本同様に、キリスト教学者らによって深い畏敬の念をもたれている古代写本です。これらふたつの4世紀写本は共に、現在発見されているなかでも最古の写本であるとされています。ヴァチカン写本の中でのルカ11:2−4は、シナイ写本のそれよりもさらに短くなっています。そのバージョンでは“みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。”というくだりが欠落しています。
では、これらの“食い違い”に関する教会による公式の見解は一体どのようなものだったのでしょうか?教会はこうした状況にどう反応したのでしょうか?彼らはキリスト教文学の大学者らを総結集させ、教会の所有していた古代キリスト教の写本を共同で研究し、何が真の神の言葉であるかということに合意したのでしょうか?
それとも直ちに写本の複製をつくってキリスト教世界に配布し、何が改変されなかった神の言葉であるかに関し、他の意見を聞くということを試みたのでしょうか?・・・残念ながら、どちらも答えは「いいえ」なのです。
聖書の矛盾性を認めるキリスト教学者たち(7/7):教会の“神感”による改変
- より ミシュアル・ブン・ class=
- 掲載日時 06 Jun 2011
- 編集日時 06 Jun 2011
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彼らは具体的に何をしたのでしょう?ジョージ・L・ロバートソン師に尋ねてみましょう。彼は著作“Where did we get our Bible?(我々の聖書はどこから来たのか?)” でこのように述べます:
“現存するギリシャ語の聖書写本には数千もの異同があるとされている。これらの古く色褪せた書物はキリスト教会の有する最古かつ最も貴重な宝となっており、それゆえ特別な関心を呼び起こすものでもある。”リチャードソン師のリストの一番目は“ヴァチカン写本”であり、そこにはこう記されている:“これは恐らく現存する数多いギリシャ語写本の中でも最古のものであろう。これは‘B’写本として指定されている。1448年にローマ教皇ニコラウス5世がローマに持ち込み、それ以来ヴァチカン図書館の教皇官らによって手厚い保護を受け現在に至っている。その歴史はごく短いものである:エラスムスは1533年にその存在について知っていたが、彼も彼の弟子らもそれについて学ぶことを禁じられていた。それは学者たちにとっても手の届かないものになりつつあったが、1843年に数ヶ月間延期されながらも、ティッシェンドルフがようやく6時間の閲覧を許された。もう一人の専門家、ムラートは同様に1844年、9時間の瞥見を許可された。1845年に権威者(彼ら自身、気づいてはいなかった)からテキストの記憶を許されたトレゲレス博士の逸話は驚きに値するだろう。トレゲレス博士は成し遂げたのである。彼は連続的に写本を学ぶことが許可されたが、触れることもメモに書き留めることも許されなかった。その貴重な書物が保管されていた部屋に彼が入るときは、毎回身体検査を受け、紙、ペン、インクなどを所持した場合は没収されたのである。だが繰り返し入室許可が下り、彼は遂に最古のテキストの様々な根本的異文をものにしたのである。しかし、たびたびその過程において、彼がのめり込み過ぎていると教皇庁側が判断すれば、いかなる部分であってもその写本は取り上げられ、別の紙葉へ移るよう促されたのである。しばらくすると、彼らはトレゲレスが事実上テキストを盗用したことを悟り、聖書研究界は歴史的写本の秘密を知ることとなったのである。それに応じて、ローマ教皇ピウス9世は写本の写真撮影とその出版を命じ、それは1857年、5巻の出版物として発行された。しかしそれは非常に質の悪いものだった。その時期、ティッシェンドルフは三度目の写本調査を試み、それが成功して後に最初の20ページを出版した。1889−90年になると、教皇庁の許可を得たテキストがようやく完全に写真撮影され、ファクシミリ公表されて出版されることになったのである。それによって高価な四つ折判が入手出来るようになり、現在では聖書研究界の主要図書館における所有物となっているのである。”
教皇はいったい何をそんなに恐れていたのでしょうか?いえ、ヴァチカン全体が恐れていたものは何だったのでしょうか?聖書の古代写本を一般大衆に開放するという概念がなぜそんなに恐ろしいことなのでしょうか?なぜ彼らは神感による神の言葉の最古の写本をヴァチカンの隅に追いやって、一般大衆の目から闇に葬り去る必要性を感じたのでしょうか。また数千以上に渡るその他の写本が、ヴァチカンの地下深くに隠蔽され、現在に到るまで決してキリスト教世界の日の目をみたことがないのはいったいなぜなのでしょうか?
“アッラーが、且つて啓典の民と約束された時のことを思い起せ。「あなたがたはこれを人びとに説明して、隠してはならない。」だがかれらはこれを背後に捨て、僅かな代償でこれを売った。かれらの取引は何と災いであることよ。”(クルアーン 3:187)
“言ってやるがいい。「啓典の民よ、真理を無視してあなたがたの教えの法を越えてはならない。またあなたがたは先に迷い去った者たちの、私見に従ってはならない。かれらは多くの者を迷わせ、(自らも)正しい道から迷った者たちである。」”(クルアーン 5:77)
現代聖書、そしてわずか一握りの選ばれた者たちだけが手に取ることのできる古代聖書との間の“不一致”に関する調査において、私たちはルカ24:51には“天に上げられた”イエス(彼に神の平安あれ)との最後の別れに接見したと主張するルカの逸話が含まれているのを目にすることが出来ます。しかし、前述されたようにシナイ写本やその他の古代写本では、“天に上げられた”という言葉は全く見受けられないのです。その節ではただこう述べているだけです:
“そして祝福しながら彼らを離れ、彼らと別れた。”
C.S.C.ウィリアムズは、もしこの削除が正しいのであれば、“福音書の本来のテクストには、全く昇天のことについて記述されていない”と述べています。
シナイ写本、現代聖書におけるその他の“神感による”教会の改変例:
·シナイ写本におけるマタイ17:21の欠落。
·現代聖書のマルコ1:1ではこう記されています:“神の子イエス・キリストの福音の始まり”。しかし、キリスト教写本の中でも最古のものであるシナイ写本ではこう記されているのです:“イエス・キリストの福音の始まり”。興味深いことに、ムスリムの聖クルアーンでは、“神の子”という表現は一切出てきません。
·ルカ9:55−56におけるイエスの言葉の欠落。
·マタイ8:2のシナイ写本における元来のテキストでは、らい病患者がイエスに治癒を懇願し、イエスが“憤慨しつつも手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」”と言っていますが、現代聖書においては“憤慨しながらも”という部分がどういう訳か欠落しています。
·ルカ22:44ではシナイ写本と現代聖書で、イエスの前に天使が現れ、力を与えたと記述されています。ヴァチカン写本においてはこの天使がなぜか登場しません。もしイエスが“神の子”なのであれば、彼が天使の力を必要とすることは非常に不適切でしょう。それゆえ、この節は写本筆写者による誤りでなければなりません。
·イエスが十字架で言ったとされる言葉“父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。”(ルカ23:34)は、シナイ写本に元来収録されていましたが、編集者によってその後削除されてしまいました。教会による中世においてのユダヤ人への処遇が念頭にあれば、なぜこの節の存在が教会の公式政策と“異端審問”にとって都合の悪いものだったかが分かるでしょう。
·シナイ写本におけるヨハネ5:4の欠如。
·マルコの第9章における“地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。”というくだりが欠落しています。
·ヴァチカン写本とシナイ写本の双方では、マタイ5:22の“理由なしに”という言葉が欠落しています。
·現代聖書のマタイ21:7ではこう記されています:“(弟子たちは)ろばと子ろばを引いて来て、それらの上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。”元来の写本では、“イエスはそれらにお乗りになった”となっています。しかしイエスが同時に二匹の動物に乗ることは一部で異議を呼び起こしたため、この節は“イエスはそれにお乗りになった”(どちらにでしょうか?)に変更されました。
·現代聖書のマルコ6:11では、“はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。”とされていますが、このくだりはキリスト教聖書写本のふたつの古代写本のどちらにも収録されておらず、数世紀後にテキストに追加されたものなのです。
·マタイ6:13の、“王国と力と栄えとは永遠に汝のものなればなり”というくだりは、これらふたつの古代写本、またその他多くのものにも収録されていないものです。ルカの同様のくだりも不備のあるものです。
·現代聖書におけるマタイ27:35では、“預言者の言葉を実現させるため、彼らはくじを引いて私の服を分け合い”とありますが、ここでも、メリル師によれば、9世紀以前のアンシアル書体の写本には存在しなかったものです。
·第一テモテ3:16では元来、“信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、それは肉において現れ”となっていましたが、後に、“信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、神は肉において現れ”というように巧妙な改変を受けたのです。こうして“顕現(神が人間の姿で現れること)”の教義が誕生したのです。
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