神の擬人化(2/5):神々、人格神、そして神による創造物への化身

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説明: 多神教の諸信仰、特にヒンズー教における神の概念の傍観。

  • より ビラール・フィリップス博士
  • 掲載日時 31 Jan 2011
  • 編集日時 31 Jan 2011
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神々

Did_God_Become_Man_(part_2_of_5)_001.jpgとはいえ、神への信仰といった概念の側面に、人間のあらゆる論理と理性を無視しつつも、その信仰の根本理念とされるものが存在していることも事実です。それは神が人間の形をとるというものです。つまり、元来の神に対する一神教的信仰が、人間による探求を伝達する役割、もしくは現世における神の代理としての役割として人間と神の間に仲介者を仕立て上げ、彼らが崇拝の対象になるといった変質を見せているのです。仲介者とは、たびたび自然界の様々な現象の精霊といった形をとります。従って太古の人類は、森林、河川、大空、土壌などといった精霊を崇拝していましたが、それは今なお続いています。自然そのものもたびたび崇拝の対象とされ、時には自然を象徴するシンボルが崇拝されました。こうした種類の諸信仰から発展した宗教システムは、世界の未開地域において適応と地方化をし、現在もあちこちに散在しています。しかしこのような信念は人類史上、国際的な影響力を持つ一つの信念システムとして成立することは、知られている限りありませんでした。

他方では、一神教的信仰が肖像として象徴され、神の属性が仲介者という人格化を見せて退行し、それによる偶像が崇拝の焦点とされました。神の属性が神々となったのです。そのような信仰が古代、そして現代において国際的に影響力を持つ自然宗教として猛威を振るいました。古代エジプト、ギリシャ、そしてローマの諸宗教はキリスト教によるそれらの諸帝国の完全なる破壊によって死滅しました。しかしインドのヒンズー教はムスリムとキリスト教徒による支配から生き延び、今日も約10億人のインド人たちの国家宗教として存続しています。インドネシアのバリ島を除き、キリスト教とイスラームは極東の大半において国際的な影響力をもたらしました。しかし仏教の異なる宗派とその分派は、極東における何千万人もの人々の主な宗教となりました。こうしたヒンズー教による様々な改革運動は、西側社会において今日も広まりを見せています。

人間は神である

ヒンズー教の基本的な概念として、あらゆるものが神とされています。根本的に、神とその創造物の区別はないのです。ヒンズー教の哲学によれば、すべての生き物にはアートマンと呼ばれる自我、もしくは魂が備わっており、一般的に魂は実質上、ブラフマンと呼ばれる神であると信じられています。ヒンズー教の信仰における真髄とは、アートマンとブラフマンが同一であるという観念、つまり人間の魂には神格があることです。さらに、人間社会はカーストと呼ばれる身分制度によって分割されており、そこではそれぞれのカーストが、ブラフマンという神のどの部分から存在として顕在化したかが象徴されています。上層階級であるブラフミンは、神の頭部から来たとされ、シュードラと呼ばれる下層階級は神の足から来たとされています。公式には四つのカーストのみなのですが、現実には多くの副カーストが存在します。四つの主要なカーストはそれぞれが何千ものより小さなカーストに細分化されています。ヒンズー教徒たちは、人間が死ぬと輪廻転生をすると信じます。死人の魂であるアートマンは不滅であり、生まれ変わります。現世で善い行いをした人物は来世においてより高いカーストを持つことが出来ます。対照的に、現世で悪い行いをした人物は、より低い階級に生まれ変わるとされ、ヒンズー教が年間に多くの自殺者を出す主な理由の一つでもあるのです。新聞各紙は毎日、家庭の天井の扇風機から首をつって自殺する個人や家族のニュースを定期的に掲載しています。最近ではある地方紙に、インド代表がクリケットの試合でスリランカに負けたため、ヒンズー教徒が自殺したというニュースがありました。人が輪廻転生という観念を信奉すると、人生の困難における安易な回避の方法として自殺が用いられてしまうのです。

人が輪廻を繰り返し、上層階級であるブラフミンに到達すると、輪廻転生のサイクルは終了し、彼はブラフマンと再結合します。輪廻におけるこの過程はモクシャ、仏教ではニルヴァーナ(涅槃)1と呼ばれます。アートマンがブラフマンと結合し、人は神となるのです。

神による創造物への化身

ヒンズー教の教義によれば、ブラフマンの性質は他の神々と同じく顕現するとされています。創造の属性は創造神であるブラフマーに帰属され、維持の属性は維持神であるヴィシュヌ、そして破壊の属性は破壊神シヴァに帰属されます。それらのうち最も人気のあるヴィシュヌは異なる時代によって様々な人間として権化するとされます。こういった転生はサンスクリット語で降臨を意味するアヴァターラと呼ばれます。それは、人間または現世における他の創造物として神が化身し、現世に降臨することを表しています。アヴァターラという用語は主にヴィシュヌ神による10の化身を指し示します。それらには魚の化身マツヤ、亀の化身クールマ、猪の化身ヴァラーハ、半人半獅子の化身ナラシンハ、矮人の化身ヴァーマナ、そして一般的に最も良く知られている、人間の化身ラーマが含まれます。ラーマはラーマーヤナという叙事詩の英雄であり、インドでは何本も映画化・放映されています。他の人気のある神はヴィシュヌによる別の人間の化身、クリシュナです。彼に関する叙事詩はマハーバーラタと呼ばれ、そこでは悪魔たちに抑圧され、人口爆発と分離の危機にある大地の女神が人間に変身した神々によって救われる様子が描かれています。2この信仰には輪廻が何回起きるのか、またどういった動物の姿をとるのかなどの様々な異説がありますが、一般的にそれらすべては上記の形に従います。したがってヒンズー教では、人類の5分の1が神、もしくは神の一部とされています。創造主とその創造物との相違は、単に外面上のものでしかないのです。

主流な仏教は、ヒンズー教と輪廻転生の概念を共有しますが、それに独自の修正を施しています。それによれば、意識を持つあらゆる生命体は「仏性」を持ち、誰もが仏になれる可能性がある、というものです。ブッダは初期の教え3において、真の人間的教師でした。しかし大乗仏教においては絶対的真理を伴なう「永遠なる」ブッダという概念が確立され、神の地位にまで押し上げられてしまいました。この永遠なるブッダは彼のメッセージを人類に啓示するため、初期のブッダとして時空を超えて色々な時代に現れ、人間と共に働き、生活するといわれています。従って仏教の創始者ゴータマ・シッダルタは初期の姿の一つであり、永遠なるブッダにより創られた幻影であるといわれます。4仏教は神々と諸天の要素をインドから組み込み、救世主の神々への帰依であるバクティ・ヒンズー教に対抗しました。至上性、または仏性は一部の人々によって、精神世界に存在する永遠なるブッダや菩薩5同様の顕在の要素を持つとみなされ、悟りに対して彼らの徳、守護、そして助けがそれらに献身的な追従者達によって求められました。

永遠なる菩薩のなかでも主格級のものは、慈悲心の人格化である聖観音、そして英知の人格化である文殊菩薩とされます。永遠なるブッダの中には阿閦如来(不動の者)、阿弥陀如来(無限の光と命を持つ者)があります。



Footnotes:

1これはサンスクリット語で「吹き消すこと」を意味する単語であり、煩悩の根絶や救済を意味します。この用語はヴェーダ書物に起源を遡るもの(バガヴァッド・ギーター)ですが、仏教と関連付けられることが殆どです。小乗仏教において、この用語は終息を意味しますが、大乗仏教では至福の状態であるとされます。(Dictionary of Philosophy and Religion, p. 393)

2 叙事詩の神学的最重要部はバガヴァッド・ギーターです。(Dictionary of World Religions, p. 448)

3 古参の教理とされる上座部仏教は、本質的には自らの救済のために個人が実践する倫理規範です。奮闘を要する宗教的人生を生きることが出来る、体力と意志の強い僧侶だけがそのゴールにたどり着くことができ、それを達成した者は阿羅漢と呼ばれます。ニルヴァーナには二種類あり、一方には残余があり、もう一方にはそれがありません。前者は阿羅漢によって達成され、五つの集まり(五蘊:つまり肉体、感受、表象、意志、認識を含有するもの)は輪廻の続行の原因である欲求が依然として存在します。残余のないニルヴァーナとは、ブッダが沈黙する、阿羅漢の死後の状態のことを示します。一つのイオンには一人のブッダしかおらず、悟りは少数の精鋭のために留保されています。仏教におけるこういった側面は上座部仏教、または小乗仏教と呼ばれます。

ブッダの死後、上座部仏教の実践者らは厳しい戒律尊守の姿勢を批判されました。意見の相違が始まり、仏教は変化しました。その後、新しい形態であり「偉大な乗り物」を意味する大乗仏教が支配的となります。(Dictionary of World Religions, pp. 126-127)

4 Dictionary of World Religions, p. 129.

5元来、この用語はまだ悟りの探求をしていた頃の過去のブッダを示しました。大乗仏教において、菩薩は他の悟りを求めるすべての人間への扶助のため、最終的かつ完全な悟りとニルヴァーナを放棄します。(Dictionary of World Religions, p. 112)

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