イスラームにおける崇拝行為(1/3):崇拝行為の意味とは

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説明: 崇拝行為の意味とその仕組み、そして崇拝行為の内的側面について。

  • より IslamReligion.com
  • 掲載日時 06 Dec 2009
  • 編集日時 12 Dec 2009
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イスラームにおける崇拝行為の概念や意義は、現存するいかなる宗教のそれとも異なっています。イスラームの崇拝行為においては、俗と精神、個と社会、魂と肉体がそれぞれ密接につながっています。そして崇拝行為はイスラームにおいてかけがえのない役割を担っており、その遂行によって人はその全人生を神の意思に調和させる真のムスリム(イスラーム教徒)であるとみなされるのです。

崇拝行為は、イスラーム以前の諸宗教でも定められていたという事実を鑑みても、その重要性を知ることが出来ます。クルアーンにおいて、神はこのように仰っています:

“本当にわれは、各々の民に一人の使徒を遣わして「アッラーに仕え、邪神を避けなさい」と(命じた)。”(クルアーン16:36)

イスラームにおける崇拝行為は多種多様に渡り、それらをここで全て説明することは非常に困難です。しかしイスラームにおける崇拝行為の最も一般的な意味は、信仰事項に関わることであれ肉体的な諸事であれ、神をご満悦させるあらゆる事柄を含みます。つまりそこには私たちの知覚、思考、意図、感覚、言行などが全て含まれるのです。また神が私たちに要求する外的、内的、あるいは相互関係なども、そこに当てはまります。またここには儀礼と共に、信仰、仕事、社会的活動、個人的素行なども含まれます。これは人類全体が一つの大きな体に例えられ、そしてその身体の各部はお互いに影響を及ぼしているからです。

なお、崇拝行為は二種類に分類されます。

1)特定の信念や感情、そして神への敬意という見地から捧げられる、神が命じた可視的行為。

2)ムスリムの人生において推奨される、その他の一般的善行。

の献身

崇拝行為におけるこの側面では、神の宗教において神自身により命じられている特定の行為の履行が義務付けられます。それが内的あるいは外的、または義務行為あるいは任意的行為であるかということは、関係ありません。またこの側面には神の戒律に従うことだけではなく、神が禁じたものを避けることも含まれてきます。この意味では、神への服従行為として何かを信じ、感じ、行なうものが崇拝行為であると定義されるでしょう。

この点に関して言えば、崇拝行為とは従属であるとも言えるでしょう。というのもそれは本質的に言って奴隷が主人の望むままに生きることと同様に、人が神の命令に従い、神の禁じたものを避けることにより、神に対する完全な服従状態において人生を送ることを意味しているからです。全創造物は神が全ての創造に対して定めた法の中に組み込まれていることから、好むと好むまいと本質的には神のしもべなのです:

“天と地において、慈悲深き御方のしもべとして、まかり出ない者は唯の一人もないのである。”(クルアーン第19:93)

“天と地にあるものは、好むと好まざるとを問わず、只かれに服従、帰依し、かれ(の許)に帰されるのである。”(クルアーン3:83)

しかし崇拝行為と従属の違いとして、崇拝行為には愛情、畏敬の念、そして敬意が伴わなければならないという点があります。それらの感情が伴わない限り、いかに従属していたとしても崇拝行為とはみなされないのです。私たちは崇拝行為の対象を愛し、畏れ、敬意の念を抱かねばなりません。

これらの理由により、この問題を扱う際には神のみが崇拝行為を受ける権利を有することが強調されなければなりません。イスラームは最も厳格な一神教の形を維持し、神以外へのいかなるものに対しても崇拝行為を向けることを容認しません。私たちに服従を命じるのは神のみであり、私たちが敬愛する価値のあるものもアッラーだけなのです。それがいわゆる半神半人であれ、預言者であれ、天使であれ、聖人や殉教者、または彼らの遺品、偶像、肖像画であっても、神以外のいかなる妄誕無稽な“神々”への崇敬は一神教の侵害であり、それを実際に行なうのであれば、その人物はイスラームの枠組みから外れることになるのです。たとえその聖人たちの神に対する徹底した従属の功績ゆえに彼らを崇敬したのであっても、イスラームは直接・間接的、または上流・下流の崇拝行為といった区別はしないため、全ての崇拝行為、崇敬行為、忠誠、従属は神のみへと向けられなければならないのです。

▶内面的崇拝行為の形式

上記のように、神によって定められた崇拝行為とは内面もしくは外面的に行なわれるものです。内面的な崇拝行為をするということは、信念と情念によりそれを行なうということです。人間はイスラームの信仰箇条により論じられている特定の究極的真実を信じるよう命じられており、これは崇拝行為における最も重要な側面です。人が感じること、行なうことは自己の信仰に基づいています。つまり行為や感情は信仰の反映によるものなのです。もしも人の信仰が弱かったり、正しくなかったりすれば、その人は自分の感情・行動によって求める結果は出せないでしょう。例えば、もし人が単に信仰のみによって彼の犯した罪を神によって赦されるのだと誤解するのであれば、その信仰は心にあるべき望ましい感情、または畏敬の念を生み出さないばかりでなく、誠実な行動を起こすことを妨げ、犯罪を犯すことを抑止することすら出来ないでしょう。

また神は私たちに対して、神とその創造物に対して、確立された情念を維持するよう命じられました。ムスリムは神に対して愛情を持ち、畏敬の念と敬意を示し、信頼をもって崇拝しなければなりません。ムスリムは同胞を愛し、彼らに同情を寄せ、誠実さを尊び、罪を憎むことも命じられています。これらは全て根本的な戒律の履行であり、内向的崇拝行為であると見なされます。そしてムスリムはそれらの実践によって報奨を受けるのです。

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イスラームにおける崇拝行為(2/3):外面的崇拝行為の形式

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説明: イスラームにおける外面的崇拝行為の形式とそれによる内面的崇拝行為の完遂、そして崇拝行為の意義と利益について。

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▶外面的崇拝行為の形式

一部の宗教は歴史を通して内面的崇拝行為の形式に重点を置いてそればかりを発展させ、時代の変遷と共に完全に、あるいは部分的に外面的崇拝行為の重要性をないがしろにしました。一方で他の諸宗教は、外面的にはっきりと見て取れる儀式ばかりを強調し、内面的信仰の価値を低減させました。しかしイスラームでは前述したように、内面と外面の絶対的区別をしません。内面の状態は外面に現れ、外面的な状態や行為は内面への影響をもたらします。内面と外面には明らかな疎通が見られ、お互いに作用し合う傾向があるのです。一種の内的的行為である意図は、それに見合った姿勢や行為へとつながります。また人は内面的にどういう状態にあるのか、たびたびその外観から察することが出来ます。例えば人が絶望や恐怖の状態にあると、ある種の振る舞いや表情によってそれを判断することが出来ます。また逆に、ある種の姿勢や活動をとることによって、それに見合った内的状態がもたらされるということもまたあり得るのです。

神へと捧げられる可視的崇拝行為は、ムスリムの信仰が結実したものだと言うことが出来ます。なぜならイスラームはその教義における究極的真実の信仰を追従者に求めるだけでなく、可視的行為の実行も同様に要求しているからです。人は救済のためにある種の信仰を維持するだけでは十分ではありません。人が現世と来世で共に成功するには、行いが最も重要なのです。

神はイスラームの五行において示されているように、ムスリムがそれぞれの人生において戒律に従うことを命じています。そこには礼拝のように毎日課されるもの、また喜捨やラマダーン中の斎戒のように毎年課されるもの、そして一生に一度課されるハッジ(巡礼)が含まれます。イスラームでは五行以外にも多くの崇拝行為行為が規定されており、それらの一部は義務行為、または任意的行為として各自の裁量に任せらています。

これらの崇拝行為行為には決められた儀礼も含まれますが、それが儀式・画一統制主義なようなものだと間違った解釈をしてはなりません。崇拝行為とは自らの行為を100パーセント自覚し、かつ自分が神の御前でそれを行っているということを意識することなのです。機械的に行なわれる行為は単なる反復運動のようなものであり、そこから精神的成長がもたらされることはありません。

“正しく仕えるということは、あなた方の顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。”(クルアーン2:177)

▶崇拝行為の意義と利益

神は私たちの崇拝行為を必要とはしません。崇拝行為はイスラーム及び過去の諸宗教において個人的、また社会的な人類の福利のために定められました。崇拝行為はムスリムの人生における精神性の維持・発展に欠かせません。儀礼的な礼拝は個人に創造主への愛を教え、常住不断な神への意識を養うのです。神はこのように仰っています:

“人びとよ。あなた方、またあなた方以前の者を創られた主に仕えなさい。恐らくあなた方は神を畏れるであろう。”(クルアーン2:21)

また神は、モーゼに対して次のように仰いました:

“・・・われに仕え、われを心に抱いて礼拝の務めを守れ。”(聖クルアーン 第20章14節)

崇拝行為は私たちが神を意識することを助け、神との関係を維持させます。ムスリムは一日に最低五回の礼拝を行ない、この神との関係を保つのです。私たちが祈願、嘆願、神への称賛をする際には、“思い起こさせるもの”とも呼ばれるべき神の啓示(クルアーン)を朗誦しつつ崇拝行為を行ないます。それは神の力と知識が常に共にあることを私たちに認識させ、神への意識へと導くのです。

またムスリムは崇拝行為によって自己、地域、環境の悪を取り除き、世界に神の言葉を広めるための強い意識を形成します。神はこのように仰っています:

“本当に礼拝は、(人を)醜行と悪事から遠ざける。”(クルアーン)

同様に私たちが崇拝行為をもって日々を過ごせば、絶えず人生の目的と来世が思い起こされるでしょう。そして私たちが神の意思に従って人生を生きること、すなわち神のご満悦されることの遂行とかれが嫌悪されることの忌避が促されるのです。

私たちは、崇拝行為のもつ社会への影響力というものを明確に見出すことが出来ます。社会とは言わば個人の複合体であり、個々人が精神的、論理的に高潔であれば、社会そのものも同様に高潔なものとなります。神によって常に見守られていることを感じさせるような理想的社会では慈善に富んだ善行は不可分の性質と化し、そして罪悪は隔離され、制限されるでしょう。

一部の人々にとっては、神への崇拝行為や服従行為は牢獄での監禁生活や、奴隷制度に似たようなものだと映るかもしれません。しかし実際には、神への崇拝行為と従属状態は人類をあらゆる種類の隷属から解き放つのです。そうすることで私たちは国家や社会への隷属、家族の束縛から自由になり、私たちの唯一の主である神をご満悦させることが可能となるのですから。これこそが安泰と満足をもたらす本当の意味での自由であり、神への従属とはその自由をもたらす最大の源なのです。

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イスラームにおける崇拝行為(3/3):崇拝行為の包括性について

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説明: ムスリムの全人生は崇拝行為と変化しうること。創造主と創造物間の調和という本来の状態への回帰。

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前述したように、イスラームにおける崇拝行為の意味とは、私たちの知覚、思考、感覚と言行などが全て含まれる包括的なものです。これには神が要求する外的または内的なもの、そして人との相互関係、さらには儀礼、信仰、仕事、社会活動や個人的素行も同様に含まれます。

善と悪、そしてその中間のものには、それらを区別する一つの基準があります。つまり善いものとは神によって創られた目的とその先天的性質に従うものです。それは調和へと導き、また闘争や災難を排除するゆえ、それ自体が一つの報奨です。この基準に当てはまるものは何であれ、必然的に崇拝行為の形の一つであると言えるでしょう。

私たちの人生の目的が善行を行ない、悪を忌避することによる結果としての神のご満悦を得ることであるとすれば、この崇拝行為に関するイスラーム的理解は、私たちの人生をまるごと崇拝行為にすることが可能なのです。私たちは自己の意図を清め、それらの行為によって純粋に神のご満悦を得ようと努めるのならば、日常生活のあらゆる諸事を崇拝行為へと昇華することが出来るのです。神の使徒(彼に神の祝福あれ)は次のように言われています:

“誰かを、またはその所有物を、彼の乗り物に乗せてあげることは一つの善行である。また良い言葉は一つの善行である。礼拝の場へと向かう一歩一歩はそれぞれが一つの善行であり、道に落ちた障害物を取り除く事もまた一つの善行である。”(サヒーフ・ブハーリー)

生活の糧を得ることは崇拝行為の一形態に数えられます。教友たちはある時非常に勤勉な人物に出会い、驚愕しました。しかし彼らは、“もしも彼がこれらの仕事を神ゆえにしていたのであれば・・・”と嘆いたのです。

神の使徒は次のように言われました:

“もし人が働き、幼い子供たちを養育するために働くのならば、それは神の為なのである。もし彼が老いた両親を養うために働くのであれば、それも神の為なののである。またもし彼が自分の欲望を抑制するために自らを統制しようと努力するのであれば、それはもまた神の為なのである。しかし、もしそれが世間への誇示や名声を得る目的なのであれば、その行いは悪魔の為にされているのである。”(アル=ムンズィリー、アッ=スユーティー)

私たちの行なう最も自然な行為でさえ、そこに適切な意図が加わっていれば崇拝行為になるのです。神の使徒はこう言われました:

“あなた方が自分の妻との関係を持てば、それは一つの善行なのです。”(サヒーフ・ムスリム)

食事、睡眠、仕事、また人の性格における正直さ、真面目さ、親切さ、勇敢さ、謙遜などの良い特性も、切実な意図と神への服従を伴えば、崇拝行為となるのです。

但しこれらの平凡とも言える行為が、神に報われる崇拝行為行為と見なされるには、以下の条件が満たされなければなりません:

1.その行為が適切な意図を伴っていること。神の使徒はこう言われています:

“行為は意図によって決まるのである。何かを行なう者は、その意図したものを得るのだ。”(サヒーフ・ブハーリー)

2.行なわれる行為及びその対象が、合法とされるものであること。もしもその行為が禁じられたものであれば、それを行なった者は処罰の対象となります。神の使徒は言われています:

“神は純粋、そして善であり、かれは純粋なものと善いものしか受け入れられない。”(サヒーフ・ムスリム)

3.イスラーム法が命じるころのものを完全に遵守していること。欺瞞、圧制、不正行為などは、そこにおいて回避しなければなりません。神の使徒は言われています:

“私たちを欺く者は、私たちとは無関係である。”(サヒーフ・ムスリム)

4.その行為によって宗教的義務が疎かにならないこと。神はこう仰っています:

“信仰する者よ、あなた方の富や子女にかまけて、アッラーを念じることを疎かにしてはならない。そうする者(アッラーを念じない者)は、自らを損なう者である。”(クルアーン6:3-9)

ここから分かるように、イスラームにおける崇拝行為の概念は、単なる禁欲主義、瞑想、神が私たちを創造した現実の開悟などに限定されてはおらず、また儀式主義や明確な意味をもたない行為の遂行に基づくのでもありません。イスラームは内面と外面の両方を組み合わせ、正しさとは何かを明確に規定し、その報奨を約束するのです。この包括的な崇拝行為に関する概念によって、人間は創造の目的を達成することが出来ます。神はこう仰っています:

“ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。”(クルアーン51:56)

人間は自分の主観的欲望や、何も考えない受身主義、あるいは精神状態や社会、政治、学問的権威などによる命令に従って生きるのではなく、私たちの中に本来存在している宇宙の目的、すなわち神への崇拝という目的をもって生きるべきなのではないでしょうか。

“それであなたはあなたの顔を純正な教えに、確り向けなさい。アッラーが人間に定められた天性に基づいて。アッラーの創造に、変更がある筈はない。それは正しい教えである。だが人々の多くは分らない。”(クルアーン30:30)

人がその人生の中で神の禁じられたものを避け、神の意思に従うことによってその命令を履行するのであれば、彼の人生は昼夜を問わず、あたかも誕生から死の間際まで崇拝行為をしているような状態となり、報奨に満ち溢れたものになるでしょう。これはまさに預言者たちの状態と同じなのです。神は仰っています:

“実に私の礼拝と奉仕、私の生と死は、万有の主アッラーのためである。”(クルアーン6:162)

この状態を達成することは、無意識に神を崇拝行為している他の全創造物と調和することであり、創造の本来の姿に戻ることなのです。神は仰っています:

“あなたは見ないのか、天にある全てのものがアッラーにサジダ(称揚して服従・奉仕)するのを。また地にある全てのものも、太陽も月も、群星も山々も、木々も獣類も、また人間の多くの者がサジダするのを見ないのか。”(聖クルアーン 第22章18節)

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