神への信仰(パート 2/3)

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説明: この記事の説明:神の信仰における四事項の内の二つ‐すなわち神の存在、そして神の至高なる主権性に関する信仰‐の説明。

  • より IslamReligion.com
  • 掲載日時 05 Dec 2009
  • 編集日時 05 Dec 2009
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イスラームにおける神への信仰は四事項から構成されています。

(一)神が存在するという信念

(二)神は至高なる主

(三)神のみが崇拝の対象

(四)神の最も美しい名前と性質

(一)神が存在するという信念

神の存在は、科学、数学、または哲学的証明を必要としません。神の存在は科学的手法や数学的な定理により証明される“発見”ではないのです。簡単に言ってしまえば、神の存在の証人となるには僅かな常識を備えているだけで十分なのです。船を目にすれば船の建造者の存在を知ることができるように、宇宙からもその創造者の存在を知ることが出来ます。また神の存在は、祈願の成就、諸預言者のもたらした奇跡、そして諸啓典の教えからも窺い知ることが出来ます。

イスラームにおいては、人類は天からのメッセージによって原罪を赦されるべき罪深い存在であるとは見なしません。そうではなく、私たちは神による先天的性質(アル=フィトラ)を依然として魂の奥底に有している存在であるとされています。人類は罪深い存在として生まれて来るのではなく、ただ忘却しやすい存在なのです。アッラーは仰せられています:

「われは、あなた方の主ではないか。」彼らは申し上げた。「はい、私たちは証言いたします。」(クルアーン 7:172)

この節で“彼ら”とされているのは、男女を含む全人類のことです。ここでの“はい”という返事は、現在の姿に創造される前の私たちによる、神の唯一性の肯定です。イスラームは、この“はい”という返事がいまだ人の魂の奥底に響き続けているという教義を掲げています。イスラームへの呼びかけは、この“はい”という返事をした、まだ地球に存在する前のこの原始的性質に対して向けられたのです。この宇宙の創造者が存在することの証明は、イスラームにおいて本能的なものであり、証明を必要とはしません。宗教における脳神経学者の先駆者であるペンシルバニア大学のアンドリュー・ニューバーグ、そしてユージーン・ダギリといった科学者たちは、その著書の中で“我々は神とつながっている”と主張しています[1]

聖クルアーンは修辞的手法を用いてこう問いかけます:

“あなた方は天と地を創造された方、アッラーに就いて疑いがあるのか?”(クルアーン14:10)

ある人は尋ねるでしょう。“もし神への信仰が天性のものであれば、なぜ人々には信仰が欠如しているのでしょうか?”答えは単純です。全ての人間には創造主への先天的な信仰が潜在していますが、この信念は学習、または演繹的思考の結果ではありません。外部の影響が時間の経過と共にこの先天的信念に働きかけ、その人物を混乱させるのです。こうして人の環境と教育が、この根源的性質から真実を覆い隠すのです。預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)は言いました。

“全ての子はフィトラ(先天的な神への信仰)に基づいた状態で誕生するが、彼の両親が彼をユダヤ教徒やキリスト教徒やゾロアスター教徒へと変えてしまうのだ。”(サヒーフ・ムスリム)

そしてこれらの覆いは人間が精神的危機に直面した時や、救いがたい状況や自分の弱さを感じるような状態に置かれた時にたびたび取り除かれるのです。

(二)神は至高なる主であるということ

神は天地の主です。神は物理的な全宇宙の主であり人類への立法者です。かれは自然界の長、人類の諸事の支配者であり、あらゆる老若男女の主です。歴史的に見ると、主の存在を否定したのはごく僅かな者だけでした。つまり大半の人々は人間の歴史を通じて、至高の存在、超自然的創造者である唯一の神を信じて来たということです。なお神が主であるということは以下の意味を含んでいます。

第一に、神は物理的世界の唯一の支配者だということです。「主」とは、かれが天地の王国の創造者、支配者、そして所有者であるということを示しています。天地にある全てのものは独占的にかれに属しているのです。またかれは無から存在をもたらし、全ての存在の維持と存続においてかれにのみ依存しているのです。かれは宇宙を創造し、不変の掟によりそれが自ら存続出来るように放置した訳ではありません。生ける神の力は全ての創造物の維持のため、あらゆる瞬間に必要とされているのです。創造物はかれ以外に主を有しません。

“(ムハンマドよ)言ってやるがいい。「天と地から、あなた方に用度を供給するのは誰か。聴覚や視覚を司るのは誰か。また死んだ物から生命を齎し、生から死を齎せられるのは誰か。また全ての事物を規制統御するのは誰であるのか。」彼らは必ずや「アッラー」と言おう。言ってやるがいい。「何故あなた方は、主を畏れないのか。”(クルアーン10:31)

かれはこの上ない叡智に溢れた永遠の王、救世主であり、慈愛深き神なのです。誰もかれの決定を覆すことは出来ません。天使も、預言者も、人類も、そして動植物の王国でさえもかれの支配下にあるのです。

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自然界の美。カナダ・ケベック州セント・ジョージ付近にあるショーディエールの滝。(AP Photo/Robert F. Bukaty)

第二に、神は人類の諸事における唯一の支配者です。神は至高なる立法者[2]、絶対なる審判者、そして制定者であり、かれこそが正誤の判断を下されるお方なのです。そして物質世界が主に服従するのと同じように、人類も善と悪を分け隔てる主の宗教的・倫理的な教えに従わなければなりません。言い換えれば神のみが法を制定し、崇拝の方法を定め、道徳を決定し、人類の相互関係と行動の基準を設定する権利を有するのです。かれによる命令こそが真の命令なのです:

“かれこそは創造し統御される御方ではないか。万有の主アッラーに祝福あれ。”(クルアーン7:54)



Footnotes:

[1] 「脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス」、PHP研究所、2003年

[2] 至高なる立法者の存在による神の存在証明は、西洋の神学者たちによって“倫理的”議論であると呼ばれています。

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