ゲルダ リトアニア出身の元キリスト教徒

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説明: キリスト教徒として育ち、神への確固とした信仰心を持つゲルダは、常に神の存在を認識していましたが、イスラームを見つけるまでは人生に満足出来ていませんでした。

  • より ゲルダ
  • 掲載日時 06 May 2013
  • 編集日時 06 May 2013
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私は、キリスト教が多数派を占め、子供は生まれてすぐキリスト教徒となるリトアニアという東ヨーロッパの小さな国で生まれ育ちました。私は無神論者だったことはありませんが、自分を良いキリスト教徒だと思ったこともありません。私は毎週日曜日に教会に通っていましたが、それは日曜礼拝のためだけでなく、牧師の手助けをしたり、聖歌隊で歌ったりするためで、そういったときに最も心のなかに神の存在を感じることができました。とはいえ私は両親に、なぜ私がキリスト教徒になりたいかどうか許可を得ることもなく洗礼を行ったのか尋ねたりもしていました。

私が記憶する限り、私は良いキリスト教徒であったことも、キリスト教そのものの意味を理解したこともありません。ただ、私は何かを探し求めていました。私は牧師の助けを借りながら、キリスト教に関する本を沢山読みました。私は誰かが私のことを見守り続けていることを感じ、それを信じていたと言えるかも知れません。しかし自分をキリスト教徒と名乗ることは出来ませんでした。

全能なる神の導きのない人生は困難で、恐ろしく、孤独なものでした。私は神を探し求めていましたが、神を非常に近くに感じていました。私は神の助けを常に感じており、あたかも話しかけられているかのようでした。神は私の世話をし、私を選び、人生の道を見付けさせてくれたのです。私は神が毎日のように示してくれる印の理解を心がけており、神に話しかけられているかのように思えました。

私は家族で2番目の子で、母が言うには出産の痛みは私のほうが最初の子よりも強かったそうです。実際、私が出産を生き延びたのは幸運だったそうで、神は私の生命を助けてくれたのです。その後の人生で起きた、生き残るのは不可能だと言われた2度の重大な事故を生き延びた後、私は自分の生命を本当に感謝するようになりました。人間の生命はとてもはかないこと、神こそが寿命を司っていることを実感しました。

私は神に四六時中、信頼を寄せ、そのことは私が病気だったり調子が悪い時でも人生を楽しませてくれました。私は神がすべてをお恵みになってくれていることを知っています。私たちが恩寵に沐されていることを理解し、そのことを感謝することを神はお望みなのです。

私は卒業試験の直後に交通事故にあい、最低6週間は寝たきりになると言われました。私は頭と腕だけしか動かせませんでしたが、神の助けによって卒業後、寝たきりのまま大学に入学することが出来ました。私の主治医さえ、そのことを信じることが出来なかった程です。大半の人々は、苦痛に叫び、寝付くための睡眠薬を催促するような状態だったそうです。それが出来たのはただの幸運ではなく、神による奇跡でした。この後、私の信仰心は増幅しましたが、「誰か」が私を教会から遠ざけていました。私は今、そのことが理解出来ています。私にとって、教会は神への道ではなかったのです。

私が長きに渡って探し求めていた、魂の安寧を経た本当の幸福へ唯一の道である、神の真の理解は、私の夫を通して見つけ出しました。私たちが出会った経緯も、神の奇跡のひとつでした。始め、私たちは宗教について一度も話しませんでしたが、それについての食い違いもありませんでした。ある日、私は旧友と会ったことから非常に好機嫌でした。そのとき彼(当時はまだ結婚していませんでした)は、彼の人生のなかでも最良のもの ― 信仰 ― を私にくれると言ったのです。その日、神は正しい言葉を彼の口から発せさせ、彼が聖クルアーンについて、またその中に書かれてある奇跡について、そして祈りの際の一連の動作の意味について語ることに、私は興味をかき立てられたのです。この件についての会話は一度きりでしたが、私が手に取ることの出来るすべての本を読ませるのには十分でした。すべての本のすべてのページで、私は自分の人生に欠けていた何かについて、つまり私が過去に牧師から求めていた疑問の答えについて理解し始めました。それらの本は私に語りかけました。神はそれらを通して私に話しかけていたのです。私は多くの疑問の答えを見つけ出しました。私の魂には安らぎがもたらされました。

私は数カ月前にムスリムになりました。それは信仰心の復活という素晴らしい奇跡です。神は私を寵愛されており、私は21歳にもなって「生まれ変わり」ましたが、この年齢だからこそ、そのかけがえのない恩恵を授かったことに感謝することが出来るのだと思います。私の周りの人々は誰も、ムスリムになることの素晴らしさを信じることが出来ないようです。

神は、同じ太陽でも、私がキリスト教徒だったときに見ていた太陽とは異なる見方をさせてくれました。私にとって今や、太陽には違った意味があります。神は日光を送ることによって、我々への思いやりや、愛情がいかに大きなものなのかを分からせてくれているのです。神の慈悲によって、私たちは凍えませんし、世界を豊富な色彩によって目にすることが出来ます。神はその光がいかに素晴らしいものなのかを示すために夜を創りました。神は、長く寒い夜のあとに美しく清々しい朝をもたらすことによって、神への信頼感を私たちに授けてくれました。このように、神は私たちに印を示しています。私たちは神の奇跡を見るために、両目を授けられたのです。

私は世界の新たな観点という神の贈り物を喜び、感謝しています。ようやく私は自分の人生に感謝出来るようになったのです。神は私の人生に新たな光をくれ、私は周りのものごとを新たな視点で見ることが出来るようになりました。何をしようが、どこに行こうが、神は私に「ようこそ」と語りかけるかのようです。神が示してくれる奇跡によって、私は自分が正しき道にいること、そして神が(その知識において)私と共にいることが分かります。世界そのものが一日で変わったわけでも、21年で変わったわけでもありません。変わったこととは、神が私の心に神への本当の理解を授けてくれたことによる、私の人生の質なのです。

私は世界全体も変わってくれることを願います。人々は現世的な成功から安らぎを求めることに疲れ、怒っています。人々はお互いを憎み合うこと、嫉妬し合うことに疲れきっています。諸国家は争いによって生き延びようとしています。平和の中に生きようとしても、戦争から逃れることは出来ないかのです。日に日に、世界はどんどんと深みに沈んでいっています。イスラームを人類の道として受け入れることしか、それを止める手段はありません。人それぞれの心に宿る愛、そして神の知識によって、私たちが夢見るような幸せな人生がもたらされるのです。そうして私たちは子供たちへの明るい未来を築きあげること、そしてお互いを怖れることなく一つの人類として共存することが出来るようになるのです。

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