預言者と一夫多妻(前半)
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 11 Jun 2012
- 編集日時 11 Jun 2012
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序論
欧米人の大半は、一夫多妻を邪悪なものであり、その実践を不道徳なものであると見なします。彼らはあらゆる時代と社会にはそれぞれ独自の基準があることを認識すべきだと嘯きますが、彼ら自身も自らの社会と時代に準じた偏った見方で判断を下すという自己矛盾に陥っています。
ムスリムにとって、道徳性の基準は神の啓示であるクルアーンとスンナによって定められたものであり、現在普及している近代的観点に基づいたものではありません。また、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームによって等しく尊敬されているアブラハム、モーゼ、ヤコブ、ダビデ、ソロモンを始めとするヘブライの偉大なる父祖たちは誰もが認めるように、みな一夫多妻でした1。結婚をしなかったイエスの例を持ち出すことは関連性のないことです。それに彼は一夫多妻を容認していました。なぜヘブライの預言者たちが複数の妻を娶っていたのかについては、彼らの人生はその大半が知られていないため、明らかではありません。しかし、その詳細が保存されている預言者ムハンマドの伝記を詳しく調べてみると、一夫多妻の原因が分かってくるのです。
1.完全なる模範
ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は最後の預言者であり、人類全体への慈悲、そしてあらゆる時代に適する完全な模範です。彼は25歳まで貞節な人生、次に寡婦との一夫一婦の人生、そして50歳からは一夫多妻の人生を送り、世界への模範を示しました。彼は若い女性、高齢の女性、寡婦、離婚歴のある女性、陽気な女性、感情的な女性、部族長の娘たちや、元奴隷とも結婚しました。彼は人生の提供する多様性の完璧な模範でした。
2.宗教教育、預言者の私生活の保存
預言者の妻たちには、「信仰者の母」という敬称が与えられており、彼女らは預言者の生前と死後における宗教学者であり、また特に信仰する女性たちを導いた精神的指導者でもありました。イスラームでは、清浄、月経、沐浴、礼拝、斎戒、巡礼、授乳、証言などを始めとした、女性たちに特別な規定が数多くあります。女性に限定された法も伝達されなければなりませんでした。自然なことに、女性たちはこれらの事柄について、預言者の妻たちにより気軽に質問することが出来ました。それに加え、預言者の家族は結婚生活、家族の養育、女性の精神性についても女性たちを指導していました。預言者の死後、人々は預言者の妻たちに、預言者のもたらした家族生活の理想について問い合わせたのです。
預言者は異なる部族と婚姻関係を結ぶことによって、彼らにイスラーム的知識を広める扉を開きました。預言者の妻たちは、彼女らの部族にイスラーム知識を広めました。例を挙げると、(預言者の妻の一人)アーイシャの知識は彼女の姉妹ウンム・クルスーム、義理の兄弟アウフ・ブン・ハーリス、甥のカースィムとアブドッラー、姪のハフサとアスマーなどによって学ばれました。ハフサの知識は彼女の兄弟アブドッラー・ブン・ウマル、その息子ハムザ、そしてその妻サフィーヤによって伝達されました。(預言者の妻の一人)マイムーナの生徒には彼女の甥であり、クルアーン注釈の権威として有名なアブドッラー・ブン・アッバースがいました。(預言者の妻の一人)ウンム・ハビーバは彼女の兄弟であるムアーウィヤとウトバ、そして甥と姪に知識を伝えました。このように「信仰者の母」が、知識の伝達者となったことを見出すことが出来るのです。
Footnotes:
1 バイブルによると、
アブラハムには3人の妻(創世記16:1、16:3、25:1)、
モーゼには2人の妻(出エジプト記2:21、18:1−6、民数記12:1)、
ヤコブには4人の妻(創世記29:23、29:28、30:4、30:9)、
ダビデには最低でも18人の妻(第一サムエル記18:27、25:39−44、第二サムエル記3:3、3:4−5、5:13、12:7−8、12:24、16:21−23)、
ソロモンには700人の妻(第一列王紀11:3)がいたとされています。
預言者と一夫多妻(後半)
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 18 Jun 2012
- 編集日時 17 Jun 2012
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3.スンナの保存
「信仰者の母」は、クルアーンの次に来るイスラーム法の典拠である、預言者のスンナを伝達するための重要な役割を果たしました。預言者の人生について、彼女らからは何も隠されておらず、また彼の私的な生活について知っていることが何であれ、それを伝達する許可もあったのです。彼女たちは合計で、3000以上もの預言者のハディース1を伝承しています。アーイシャは2210のハディースを伝え、ウンム・サラマは380のハディースを伝えました。残りの妻たちは合わせて50から60のハディースを伝えています。ウンム・ハビーバとハフサは共に60、マイムーナは46、そしてザイナブは11のハディースを伝えています2。
4.多神教の伝統を打ち壊し、法の実践を取り入れたこと
預言者の結婚の一つは、子供を養子として迎え入れた上で両親の家系と名前を取り入れさせ、その子供に実の子供としてすべての権利を与えるといった多神教徒の実践を排除するためのものでした。クルアーンは述べています。
“神はあなたがたの養子を、あなたがたの実子ともなされない。これらは、あなたがたが口先だけで言ったことである。だが神は真実を語り、且つ(正しい道)に導かれる”(クルアーン33:4)
こうした伝統は非常に深く根付いたものだったため、預言者は彼の養子であるザイドの元妻との結婚を、神が次の節を啓示するまで躊躇した程でした。
“だがあなた(ムハンマド)は神が暴露しようとされた、自分の胸中に隠していたことを恐れていた。寧ろあなたは、神を畏れるのが本当であった。”(クルアーン33:37)
したがって、預言者ムハンマドはこうした多神教の伝統を否定するためザイナブと結婚したのです。これに関して神は述べます。
“それでザイドが、彼女について必要なことを済ませたので、われらはあなたを彼女と結婚させた。(これからは)信仰者が、必要な離婚手続きを完了したときは、自分の養子の妻であったとしても(結婚に)差し支えないことにした。神の命令は完遂しなければならない。”(クルアーン33:37)
5.暴力と流血を避けるための結婚による部族間の結合
彼によるジュワイリーヤとサフィーヤとの結婚は、衝突していた部族間を婚姻関係によって結合し、暴力と流血を未然に防ぐためのものでした。当時のアラビア半島は数十年続いていた戦争によって動乱していました。部族の間では些細なことで数年間も戦い、彼らの間に和平をもたらすのは極めて困難なことだったのです。イスラームの受け入れと普及により、戦争関係にあった部族間には和平がもたらされましたが、特にイスラームをまだ受け入れていなかった者たちの間には、依然として敵意が抱かれていました。婚姻関係により、諸部族は和平を遵守しなければならず、部族員の預言者との結婚という栄誉と誇りによって敵愾心は解消されたのです。主要な同盟部族や征服部族出身の家族と婚姻関係を結ぶことによって、彼は部族間の協調関係という基盤を築きました。
6.寡婦と孤児の保護
既述されたように、預言者の妻たちの殆どは、彼女たちを保護するため、戦時に結婚した寡婦でした。預言者の人生の後半は、自らの生命と宗教を守るため、敵の侵略から防衛しなければならなかった初期ムスリム国家の戦争の数々でした。それによって数百人もの教友たちが戦死し、後見人のない寡婦や孤児の数々が生まれたのです。預言者ムハンマドは生存した教友が寡婦と再婚し、彼女らを支援するという模範を示しました。それゆえ、彼の妻たちの大半は寡婦だったのです。
結論
倫理と道徳は、社会的慣習に基づいた判断をなされるべきではありません。それらは前例のある明確な基準に基づいた評価がなされるべきなのです。人類の歴史を通して、一夫多妻制は社会における標準でした。現在でも、イスラーム以外の多くの文化はそれを推奨しています。しかし、たとえ環境的・文化的影響などによって一夫多妻制の性質について理解出来ないのであっても、慎重かつ客観的な観点を持つことは必要なのです。預言者の人生を偏向なく吟味すれば、誠実な研究者ならば彼の結婚は知識の普及、寡婦の保護、またはアラビア半島の諸部族の結束といった、ムスリム共同体の強化が明らかな理由であるという結論に達するはずです。
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