イーマーン・ユースフ 米国出身の元カトリック信者(1/4)
説明: 神への道を探し求めていた彼女に対し、いかに道が示されたか。
- より イーマーン・ユースフ
- 掲載日時 06 Jul 2015
- 編集日時 13 Jul 2015
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それが誰によるものであれ、イスラームへの改宗は驚くべきことであり、アッラーによって愛されるだけ者に与えられる、最も大きな慈悲です。そして私の場合、それはさらに大きなものでした。正に、それは奇跡に他なりませんでした。アルハムドリッラー(神にこそあらゆる称賛あれ)。
私がイスラームという言葉、または何が「ムスリム」なのかを知るよりもはるか以前に、アッラーは私のフィトラ(神によって与えられた天賦の性質)を通して、私にいかに生きるべきかを示し、導いてくれました。それはとても信じられないようなエピソードです。私をお導きくださった神こそにすべての称賛あれ。
1981年の初夏、イスラームという贈り物は、一年の間に渡ってゆっくりと私に授けられました。それは私の人生において最も困難で、どん底の状態にあった時でした。
私は米国で生まれ育ちましたが、曽祖父母はドイツとオーストリアの出身でした。
私は熱心なカトリック信者でした。その信仰をひたむきに実践し、それを心から信じていました。当時の私の夫はカトリック信者でなかっただけでなく、無神論者であったため、結婚生活は破綻寸前となっていました。
そのことは私を悩ませていたものの、1979年に娘が生まれるまでは深刻な問題ではありませんでした。しかしそれ以降、継続的な不安と苦しみの原因となりました。
彼は娘の洗礼儀式を認めはしましたが、彼女が宗教的な環境で育つことに乗り気ではありませんでした。いかなる議論も彼を変えることはできず、結婚当時に彼が教会で署名した宣誓書の中の、生まれてくる子供をカトリックとして育てるということを誓った部分を思い出させても無駄でした。
彼は、娘がいかなる神を信じたり信仰を持ったりすることも拒否し、私の信仰だけでなく、神をもばかにするようになりました。
私はこの件についての解決を望み、長年の知り合いである牧師に相談に乗ってもらうことにしましたが、彼は殆ど手を差し伸べてはくれませんでした。私はこの問題について、彼が真剣に取り組もうとはしていないと感じました。
彼は私の娘の信仰問題よりも、私との結婚生活の問題を解決させたいかのようでした。彼は、私の夫が神を呪ったり嘲ったりした時に感じる私の苦痛を、まったく理解できていませんでした。
それだけでなく、彼は娘にとってそれが成長と共に非常に悪い影響となるであろうことも理解していませんでした。私はいずれ、娘と教会へ行くことを夫が妨げるようになるのではないかと恐れていたのです。
牧師との会話はなぜか別の方向へと転換し、カトリックの原理についての話し合いになりました。私ははっきりとは覚えていないものの、三位一体についての質問をしました。
私が受け取った答えは、3つの神格が一人の位格に存在するという、至極一般的なものでした。その問題についてさらに突っ込んだ質問をすると、牧師は苛立ちを見せ、もし私が「そうした質問をしなければならないのであれば、もともと信仰がないのだ」と言い放ちました。
今にしてみれば、彼は私以上にその教義の「神秘」について説明をすることができなかったため、そうした反応をしたことは理解できますが、当時の私はショックを受け、傷ついていました。
私はあたかも教会から追放されたかのように感じていました。神に近づこうとの思いからしたたった一つの無邪気な質問から、私は全く信仰のない人物であると見なされてしまったのです。
私は足早に教会を立ち去り、牧師の発言についてずっと思い悩んでいました。私は彼の見解を受け入れることはできませんでした。私は自身が信仰深く、神を信頼する人物であることを確信しており、いかなる人物であれ、私にそうではないと思い込ませることはできないのです。
しかしそれ以来、私は自身をカトリック信者であると見なすことができなくなりました。当時の教会は混乱を極めており、人々はこぞって宗教から去って行きました。私は自分がその中の一人になるとは思ってもいませんでしたが、突然その輪に加わることになったのです。
後ろを振り返ることなく、私は真理を探求することにしました。しばらくの間は、バイブルを読んで勉強をしていましたが、自分が実はそれについての知識がほとんどなかったことを知りました。カトリック信者は、バイブル読書よりも教会の公式教義により重きを置いていました。
私にとってバイブルは困難かつ支離滅裂で、日常生活についての指針が殆どないように思えました。それは単なる物語の本にしか思えませんでした。
私は内心では自分が間違っていることを期待しつつ、地元のキリスト教会に連絡を取り、宗教講座に参加させてもらいましたが、それは最初で最後の経験となりました。彼らは福音主義者たちで、(個々の神秘的宗教体験について)訳の分からないことを話したり、聖霊から「贈り物」を受け取ることなどに焦点を合わせていました。
そこはあまりにも飛躍し過ぎていました。私は常に心の中に留めておくことのできる宗教を探し求めており、聖霊やもう使用されなくなった言語について学習することではありませんでした。
その後、私は常々「真の宗教」であり「人類最初の宗教」であると聞かされていたユダヤ教について学び始めました。やがて、私はユダヤ人の母を持たないため、その「クラブ」から排除されました。
改宗そのものは可能だったものの、それは特に正統派を含む大多数のユダヤ教徒からは認可されないものでした。さらに、彼らが神の選民であるという思想は、私をとても困惑させました。
特定の家系に生まれた者だけに真の宗教を授け、行いの善し悪しに関わらず彼らだけに天国を与えるという神というものは想像できませんでした。それは公正ではないですし、公正でない神など存在し得るでしょうか?
こうして、私は可能な限り色々な宗教を調べ回るようになりました。ヒンズー教、仏教、道教、儒教・・・調べれば調べるほど、虚偽を見抜くスピードも速くなりました。私はイスラーム以外の大抵の宗教を調べました。なぜなら、イスラームに関してはその存在すら知らなかったからです。
後になり、なぜアッラーがまず他の諸宗教を私に調べさせたのかが分かりました。ようやくイスラームに辿り着いたとき、それが唯一の真の宗教であることを直ちに100%悟らせるためです。
当時、私はとても陰鬱な気持ちにありました。離婚協議の真っ只中にあった私は、実家に戻り病気の祖父の介護をしていました。世界で一番の親友であり、私にとっての本当の「母親」であった祖母は、先の冬に突然亡くなり、母は私の自己啓発の願望については無関心でした。私はとても孤独でした。
私は活発な娘、病床にある祖父、家事、そして神からの距離感というものすべて背負いながらも、大学への復学を試みていました。私にはいかなる信仰もなく、神が存在するという知識だけが残っていました。私は虚無感で一杯でした。
私が過去に抱いていた神の概念は、神が存在するという確信だけを除いて完全に消失し、その確信のみによって私は神に祈り、常に導きを求めていました。
数ヶ月間に渡り苦しみ抜いた末、私は論理的思考によって神を探しだそうと試みました。もし神が存在するのであれば、神は私たちが何らかの特別な方法を用いて神を見出すことを望んでいるはずだと考えました。
それは常に日常生活の一部であるような、真に神を崇拝し、繋がる方法であり、週に一回だけ思い出し、それ以外は忘れ去ってしまうようなものでないのです。
しかし何よりも、私は唯一の神、唯一の道という存在に確信を持っていました。様々な宗教は神について主張しますが、道の定まらないものです。私はたった一つの道以外には受け入れることはできませんでした。私には、それを見つけ出すことが必要だったのです。
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