ムハンマドの奇跡(パート1/3)

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  • 掲載日時 24 Jan 2011
  • 編集日時 11 Dec 2023
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ムハンマドの奇跡

預言者ムハンマドは、クルアーンという彼に与えられた最大の奇跡の他にも、多くの物理的奇跡を行ないました。そしてそれらは、その当時の数千にものぼる人々に目撃されています。1またそれらの奇跡は、世界史においても例を見ない程の高い信頼性を持つ、強固な伝承形式をもって私たちに伝えられています。こうした経路により、それらの奇跡はあたかも私たちの目前で行なわれたかに等しいのです。詳細に渡って検証される伝承経路は、ムハンマドが神の助けにより実際にそれらの偉大なる奇跡を行なったということを私たちに確信させます。ゆえに私たちは、彼の「私は神の使徒である。」という主張を信じることが出来るのです。

ムハンマドによる偉大な奇跡は何千人もの信仰者や懐疑論者によって目撃されており、それに続き超自然現象について触れるクルアーンの節々も啓示されています。クルアーンは、それらを信仰者の意識に刷り込むことにより、ある種の奇跡を永遠のものとしたのです。当時の中傷者らはこれらの節々が朗誦されると、ただ単に沈黙することを決め込みました。もしもこれらの奇跡が実際に起こらなかったのであれば、彼らはそれをムハンマドに対する攻撃への口実とし、その機会を逃すようなことはしなかったでしょう。しかし、現実には逆のことが起きたのです。信仰者たちはムハンマド、そしてクルアーンの真実についてより確信を抱きました。信仰者たちの信仰心が増加したこと、そして不信仰者たちによる沈黙、そしてそれらの奇跡を否認しなかったという事実は、クルアーンによって述べられているような奇跡が実際に起こったことを証明するのです。

次に、ムハンマド(彼に神の慈悲と祝福あれ)によって行なわれた物理的な奇跡とはどういったものなのかを考察します。

神の力による奇跡

奇跡とは、神の預言者による主張の信憑性を増強する要素の一つです。しかし超自然現象とは、魔術や悪魔によるものも起こり得るため、信仰の核心であってはなりません。神は、人間の限られた能力の中に、特に神の唯一性において真実を認識することの出来る能力を授けられたため、預言者性の真実は実際にもたらされたメッセージによって明確なのです。しかし預言者性の信憑性をより堅固にするため、神はかれの諸預言者であるモーゼ、イエス、ムハンマドの手によって奇跡を行なったのです。こうした理由によって、全知なる神はマッカの民による要望によって奇跡を起こさず、かれ御自身の望んだ時にムハンマドへ奇跡を授けたのです。

“彼らは言う。「わたしたちのために、あなたが地から泉を涌き出させるまでは、あなたを信じないであろう。またはあなたがナツメヤシやブドウの園を所有し、その間を通って豊かに川を流れさすまでは。またはあなたが(あり得ると)言明したように、大空を粉ごなにしてわたしたちに落すまで。また神そして天使たちを、(わたしたちの)面前に連れて来るまで。またはあなたが、黄金(の装飾)の家を持ち、(梯子を踏んで)天に登るまでは。いや、わたしたちに読める啓典を持って下るまで、あなたの昇天をも信じないであろう。」言ってやるがいい。「主に讃えあれ、わたしは使徒として(遣わされた)一人の人間に過ぎないではないか。」”(クルアーン17:90〜93)

それに対する答えはこうでした:

“われらが印(奇跡)を下すことを控えるのは、昔の民がそれを偽りであるとしたからに外ならない。われらは以前サムードに、明らかな印の雌ラクダを授けたが、彼らはそれを迫害した。われらが印を下すのは、ただ畏れの念を抱かせるために外ならない。”(クルアーン17:59)

それが表向きの理由によって要望された場合、神はその英知によって、彼らが信じないことを御存知であるため、彼らに奇跡を見せることを拒否されました:

“彼らは、非常に厳かに神にかけて誓い、「もし印が彼らに下るならば、必ずそれを信仰するのに。」と言う。言ってやるがいい。「すべての印は、ただ神の御許にある」。だが、たとえ印が来ても、彼らが信じないことを、どのようにしてあなたがたに分からせようか。彼らが最初これを信じなかった時のように、われは彼らの心と目を混乱させて、彼らの反逆を放任し、当てもなくさ迷わせるであろう。”(クルアーン6:109〜110)

それでは、預言者ムハンマドによって行なわれた物理的な奇跡とはどういったものだったのかを見て行きましょう。



Footnotes:

1奇跡の数は1,000以上に累計されます。アン=ナワウィーによるMuqaddima SharhSaheeh Muslim’ とアル=バイハキーによる‘al-Madkhal’ 参照。

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ムハンマドの奇跡(パート2/3)

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説明: 月の断裂と、預言者ムハンマドによるエルサレムへの旅、そして昇天。

  • より IslamReligion.com
  • 掲載日時 31 Jan 2011
  • 編集日時 31 Jan 2011
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月の断裂

神により預言者の手を通して行なわれた奇跡の一つとして、マッカの民がムハンマドの主張が真実であるかどうかを試すため、奇跡を起こすよう要求した時のものがあります。神は月を真っ二つに割った後、それを再び元通りにしたのです。クルアーンはこの出来事について記録しています:

“時は近づき、月は真っ二つに裂けた。”(クルアーン54:1)

預言者ムハンマドは毎週金曜日の合同礼拝と、年に二回のイード礼拝でこれらの節々を朗誦しました。1もしもその出来事が起こらなかったのであれば、ムスリムたち自身も自分たちの宗教に対して疑問を抱いたでしょうし、多くは棄教したでしょう。またマッカの民はこう言ったことでしょう。「あなた方の預言者は嘘つきである。月は決して裂けなかったし、我々は実際にそれを目にしなかったのだ。」しかし、実際には信仰者たちの信仰心は増強され、マッカの民による唯一の主張は、「これは相変わらずの魔術だ。」というものだったのです。

“時は近づき、月は真っ二つに裂けた。彼らはたとえ印(奇跡)を見ても、背き去って、「これは相変らずの魔術だ。」と言うであろう。彼らは(訓戒を)虚偽であるとし、自分の欲望に従ってきた。”(クルアーン54:1〜3)

月の断裂はその目撃者による証言が、信頼される学者たちによる、途切れることのない多数の伝承経路(ハディース・ムタワーティル)によって伝えられており、それが虚偽であるということは不可能なのです。2

懐疑主義者は言うでしょう。「本当に月が断裂したという歴史的な証拠はあるのか。このような驚異的な出来事は、世界中の人々によって目撃され、記録されているはずだろう。」と。

この質問には二通りの答えがあります。

第一の答えとして、世界中の人々が同時にそれを目撃することは、各地によって日中であったり、深夜であったり、早朝であったりするため、可能ではありません。以下の表ではマッカ時間の夜9時が、世界各地では何時であるかを示しています:

地域

時刻

マッカ

9:00 pm

インド

11:30 pm

パース

2:00 am

レイキャビク

6:00 pm

ワシントン D.C.

2:00 pm

リオ

デジャネイロ

3:00 pm

東京

3:00 am

北京

2:00 am

また、近隣地の人々が大勢で全く同時刻に月を目撃することは容易いことではありません。そもそも、そうした理由もないのですから。たとえ誰かが目撃したとしても、それによって人々がその目撃者を信じ、そういった事実を記録するとは限りません。当時の多くの文明は、自分たちの歴史を書面によって記録するということをしなかったのです。

また第二の答えとしては、当時のインドの王による、独立した、かつ驚くべき歴史的補強証拠が存在します。

ケララはインドの州の一つです。ケララ州はインド亜大陸の南西部、マラバル海峡沿いに伸びる全長580キロの州です。3マラバルのチャクラワティ・ファルマス王はチェラ王朝を治めていました。彼は月の断裂を目撃したことが記録されています。この出来事は写本に記録されており、現在もロンドンの英国インド省図書館に保存されています(参照番号:Arabic, 2807, 152-173)4。ムスリム商人の集団による中国への旅路の途中でマラバルに留まった際、彼らはアラブ人預言者の出現と、月の断裂という奇跡について王に話しました。衝撃を受けた王は、自分自身もそれを目撃したことを明かし、息子に摂政を務めさせ、預言者に会いに行くべく、アラビア半島へと旅立ったのです。王は預言者に出会い、信仰宣言をし、信仰における基本を学びながらも帰路において亡くなり、イエメンの港町であるザファール5に埋葬されました。

派遣団はムスリムであるマーリク・ブン・ディナールによって先導され、チェラの首都コドゥンガロールにまで続き、西暦629年に、現存するインド最古のモスクを建てたのです。

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A pre-renovation picture of the Cheraman Juma Masjid, India’s oldest mosque dating back to 629 CE. Image courtesy of www.islamicvoice.com.

改修前のチェラマン・ジュマ・マスジド。西暦629年にまで遡る、インド最古のモスクです。写真提供: www.islamicvoice.com

彼によるイスラーム改宗の知らせはケララに届き、人々もイスラームへと改宗しました。ケララ州カリカットのラクシャディープ諸島とモプラスの人々は、当時改宗した人々の末裔なのです。

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改修後のチャラマン・ジュマ・マスジド。インド初の改宗ムスリムであるチェラマン・ペルマル・チャクラワティ・ファルマスにちなんで命名されています。写真提供:www.indianholiday.com

インドからの目撃、及びインドの王と預言者ムハンマドとの対面は、ムスリム側の史料からも伝えられています。著名なムスリム歴史家であるイブン・カスィールは、インド各地で月の断裂が目撃されたことに言及しています。6またハディースの諸本では、インドの王の到来と、彼と預言者との対面が記録されています。預言者ムハンマドの教友アブー・サイード・アル=フドリーは述べています:

“インドの王は預言者に生姜の瓶を贈呈しました。教友たちはその断片を食べ、私も一片を口にしました。”7

従って、王は預言者に一度でも会ったことのある者、そしてムスリムとして死んだ者に付けられる称号である「教友」と見なされます。そして彼の名は、預言者の教友の1人として、膨大な史料の中に記録されているのです。8

夜の旅と昇天

マッカからマディーナへの移住の数ヶ月前、神はムハンマドを一夜にしてマッカのハラーム・モスクからエルサレムのアル=アクサー・モスクへとお連れになりました。それは1,230キロ、つまり通常のキャラバンで一月かかる距離でした。彼はエルサレムから諸天へと昇天し、物理的宇宙の境界を超えて神に謁見し、偉大なるみしるし(アル=アーヤ・アル=クブラー)を見たのです。彼の主張は二つの方法により真実であると確証されました。まず、「預言者が戻って来る際に追い越したキャラバンについて、それがどこにあったか、そしてマッカのどこに到着するかを説明し、それらは彼が言った通りの場所に到着しました。」9次に、彼はそれ以前に一度もエルサレムに行ったことがありませんでしたが、懐疑者たちに対し、アル=アクサー・モスクがどのような場所であったかを正確に説明したのです。

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この神秘的な旅はクルアーンにおいても記述されています:

“かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。わが種々の印を彼(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。”(クルアーン17:1)

“彼の見たことについて、あなたがたは彼と論争するのか。本当に彼(ムハンマド)は、再度の降下においても、かれ(ジブリール)を見たのである。(誰も越せない)涯にある、スィドラ木の傍で。そのそばに終の住まいの楽園がある。覆うものがスィドラ木をこんもりと覆う時。(かれの)視線は吸い寄せられ、また(不躾に)度を過ごすこともない。かれは確かに、主の最大の印を見たのである。”(クルアーン53:12〜18)

またこの出来事における目撃証言は、信頼の置ける学者たちによる途切れることのない連続的な伝承経路を通しても同様に確証されています(ハディース・ムタワーティル)。10

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ムハンマドが昇天したとされる場所であるアル=アクサー・モスクの入り口。写真提供:Thekra A. Sabri



Footnotes:

1サヒーフ・ムスリム。

2Al-Kattani著 ‘Nadhm al-Mutanathira min al-Hadith al-Mutawatir215頁参照。

3“Kerala.” Encyclopædia Britannica from Encyclopædia Britannica Premium Service. (http://www.britannica.com/eb/article-9111226)

4ムハンマド・ハミードッラー著 “Muhammad Rasulullah” において印用されています:「インド南西部の沿岸マラバルの非常に古い伝統では、王の一人チャクラワティ・ファルマスが、マッカの聖預言者による月の断裂という名高い奇跡を観察し、調査の結果、アラビア半島における預言者の到来が予言されていたことについて学び、自らの息子を摂政として任命し、預言者に会う旅に出ました。彼は預言者の手によってイスラームに改宗し、預言者の指示によって帰国への帰路、イエメンの港町ザファールにおいて死にました。そこでは過去に『インドの王』の墓が何世紀にも渡り訪れられていました。」

5「ザファール:聖書におけるセファル、古典文学のサッファル、またはサファルは、南イエメンに位置し、ヤリムの南西にある古代アラビアの都市です。そこは紀元前およそ115年から紀元525年まで南アラビアを支配していた部族であるヒムヤル人の首都でした。ペルシャ人による征服(西暦575年)までは、ザファールは南アラビアにおいて最も重要かつ有名な町でした。この事実はアラブ人地理学者・歴史学者だけでなく、ギリシャ人やローマ人の著者らによっても証言されています。ヒムヤル王朝が滅亡し、その後イスラームが勃興がすると、ザファールは徐々に衰退してきました。」“ザファール”:ブリタニカ百科事典プレミアム版より (http://www.britannica.com/eb/article-9078191)

6イブン・カスィール「アル=ビダーヤ・ワン=ニハーヤ」三巻、130頁。

7ハーキム「ムスタドラク」四巻、150頁における報告。ハーキムはこう述べています:「私は預言者が生姜を食べたという報告は、どこにおいても全く記憶していない。」

8イブン・ハジャル「アル=イサーバ」三巻、279頁、及びイマーム・アッ=ザハビーによる「リサーン・アル=ミーザーン」三巻、10頁で、彼の名は「サルバナク」というアラブ人に知られた通り名で記されています。

9 マーティン・リングス著 ‘Muhammad: His Life Based on the Earliest Sources’ 103頁。

10 預言者の45人の教友たちが彼による夜の旅と昇天に関して伝承しています。ハディース大学者であるアッ=スユーティー著‘Azhar al-Mutanathira fi al-Ahadith al-Mutawatira263頁と、アル=カッタニー著Azhar al-Mutanathira fi al-Ahadith al-Mutawatira’ の207頁参照。

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ムハンマドの奇跡 (パート3/3)

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説明: 預言者(彼に神の慈悲と祝福あれ)によるその他の様々な奇跡について。

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  • 掲載日時 07 Feb 2011
  • 編集日時 07 Feb 2011
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預言者によって行なわれた多くの奇跡は、スンナ(預言者にまつわる言行、承認、または叙述)によって伝えられています。

木の幹

ムハンマドはマディーナにおいて、木の幹にもたれかかって教えを説くことを習慣としていました。信仰者の数が増えて来ると、ある者が説教壇の設立を提案しました。預言者は説教壇が設けられると木の幹で説教をしなくなりました。教友の1人であるアブドッラー・ブン・ウマルが次のような目撃証言をしています。木の幹が咽び泣いたので、慈悲深き預言者はそれを手でなぐさめたのです。1

この出来事は信頼の置ける学者たちによる、途切れることのない目撃証言(ハディース・ムタワーティル)によって確証されています。2

溢れ出す水

数回に渡って起きたこととして、人々が渇きに苦しんでいた時、預言者による祝福が彼らを救ったことが挙げられます。ムハンマドがマッカからマディーナへと移住した6年目に、彼はマッカへの巡礼を行ないました。砂漠での長い旅路で人々は完全に飲料水を切らしてしまい、ただ一つ残ったものは預言者の持っていた容器でしたが、それも彼は礼拝の清めのために使い果たしてしまいました。しかし彼がその容器に手を置くと、彼の指の間から水が溢れ出て来たのです。その奇跡を目撃したジャービル・ブン・アブドッラーは、その場にいた1,500人が「それを飲み、清めを行ないました。」3と述べています。この奇跡は信頼の置ける学者たちによる、途切れることのない連続的な伝承経路(ハディース・ムタワーティル)をもって伝えられています。

人間の指からほとばしる水というのは、石から水が創り出されたモーゼによる奇跡とも似しています。

食物の祝福

祈ったり、またはそれに触れたりすることにより、預言者が食物に祝福を与え、その場にいた全員が満足するまで食べられるようにしたことも複数伝えられています。これは飲食の貯蔵が尽き、ムスリムたちに苦難が訪れた時に起きています。5これらの奇跡は大勢の人々の目の前で起きており、否定することは不可能なのです。

病人の治癒

アブドッラー・ブン・アティークが脚を骨折した際、ムハンマドはその上から手をさすって治癒した。アブドッラーは、まったく何もなかったかのように元通りになった、と言った。この奇跡を目撃したのはバラーア・ブン・アズィブという別の教友だった。(サヒーフ・ブハーリー)

またハイバル遠征の際、ムハンマドは軍隊の前で、目を患っていたアリー・ブン・アビー・ターリブのを治癒しました。アリーはその後、四代目カリフになった人物です。6

魔除け

ムハンマドは、母親に連れて来られた男児の魔除けをしました。その際「出よ!私はムハンマド。神の使徒である!」と言って悪魔を追い払いました。その母親は言いました。「真実をもってあなたを遣わされた御方にかけて。私たちはその後、男の子から全く何の問題も見出しませんでした。」7

答えられた祈り

(1)ムハンマドに近い教友であるアブー・フライラの母は、イスラームとその預言者を中傷していました。ある日アブー・フライラは泣きながらムハンマドを訪れ、彼の母親が救われるように祈ってくれるよう彼に頼みました。そしてムハンマドが祈り、アブー・フライラが帰宅すると、彼女は改宗の準備が出来ていたのです。彼女は息子の前で信仰宣言をし、イスラームに改宗しました。8

(2)ジャリール・ブン・アブドッラーは、神以外を崇拝する偶像崇拝者たちの土地を駆逐するよう、預言者による命を受けましたが、彼はうまく乗馬が出来ないことを彼に訴えました。預言者は彼のために次のように祈りました。「神よ、彼を強靭な乗り手とし、導く者、かつ導かれた者にして下さい。」ジャリールはその後、決して落馬することがなくなったと証言しています。9

(3)ムハンマドの時代、人々は飢饉に襲われていました。ムハンマドが金曜日の説教をしていた時、ある男が立ち上がってこう言いました。「神の使徒よ、私たちの富は破壊され、子供たちは飢えています。私たちのために神へお祈り下さい。」ムハンマドは両手を掲げて祈りました。

その場に居合わせた人々は、彼が祈り終えて両手をおろした途端、雲がまるで山々のように形成されていったことを証言したのです。

彼が説教壇から降りる頃には、彼の髭から雨が滴るほどでした!

雨は次の金曜日までの一週間、降り続けたのです!

同じ男がまた立ち上がり、今度はこのように言いました。「神の使徒よ、私たちの建物は崩壊し、家畜も溺れ死にました。私たちのために神へお祈りください!」

ムハンマドは両手を掲げて祈りました。「神よ、我々の上でなく、我々の周りに(雨を降らせて下さい)。」

すると彼の指し示した方向に雲が退き、マディーナの上空を除く町の周りのみを雲が囲んだということが、その場にいた者たちによって証言されているのです!10

(4)また、ジャービルに関する美しい逸話があります。ある時、彼の乗っていた水を運ぶラクダが疲弊し動けなくなりました。ムハンマドは彼に尋ねました。「あなたのラクダはどうしたのですか?」ラクダが疲弊していることを知ったムハンマドがその哀れなラクダのために祈ると、ラクダはそれ以降、常に先頭を行くようになったとジャービルは報告しています。ムハンマドはジャービルに尋ねました。「あなたのラクダの調子はどうですか?」ジャービルは答えました。「快調です。あなたの祝福がラクダに届いたのです!」ムハンマドはその場でジャービルから金と引き換えにそのラクダを買い取りました。条件としてはジャービルがそれに乗って町に帰り付いた後というものでした。マディーナに戻ったジャービルは翌朝ムハンマドにラクダを届けにいきました。ムハンマドは彼に金を支払った後、彼がラクダを取っておくよう言ったのです!11

大勢の前で偉大なる奇跡を目撃したことによって、彼の周囲の人々が彼の誠実さを確信していたことはごく自然なことだったのです。



Footnotes:

1サヒーフ・ブハーリー

2木の幹が咽び泣いたという事件は10人以上に渡る預言者の教友たちがこの報告を伝えています。ハディース大学者たちによる次の著作を参考ください:アッ=スユーティー著‘Azhar al-Mutanathira fi al-Ahadith al-Mutawatira’ 267頁、アル=カッターニー著‘Nadhm al-Mutanathira min al-Hadith al-Mutawatir’ 209頁、イブン・カスィール著‘Shamail’ 239頁。

3サヒーフ・ブハーリー

5サヒーフ・ブハーリー。参考:アル=カッターニー著 Nadhm al-Mutanathira min al-Hadith al-Mutawatir213頁、カーディー・イヤード著al-Shifa419頁。

6サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

7イマーム・アハマドによるムスナド、およびシャルフ・アッ=スンナ。

8サヒーフ・ムスリム

9サヒーフ・ムスリム

10サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

11サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

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