アン・コリンズ 米国出身の元キリスト教徒

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説明: 長い旅の末、プロテスタントだったアン・コリンズは、イスラームと神の慈悲を見つけます。

  • より アン・コリンズ
  • 掲載日時 25 Mar 2013
  • 編集日時 31 Mar 2013
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私は宗教的なキリスト教徒の家庭で育ちました。当時の米国人は、今よりも宗教的でした。例えば、大半の家族は日曜日に教会に行っていました。私の両親は教会のコミュニティで活動しており、私たちはたびたび聖職者を家に招いていましたし、母は日曜学校で教え、私は彼女の手助けをしていました。

私は他の子どもたちよりも宗教的だったのだと言えるかも知れません。ある時の誕生日で、叔母が私に聖書をくれ、姉妹は人形をくれました。別の時には、私は両親に祈りの本を頼み、その後何年間にも渡ってそれを毎日読んでいました。

中学校に入った頃、私は2年間の聖書勉強プログラムに参加しました。それまで、私は聖書の一部を読んではいましたが、よく理解出来ていませんでした。そしてそれを学ぶ機会が訪れたのです。残念なことに、私たちは新旧約聖書の中の理解し難い、あるいは奇怪なくだりを多く学びました。例えば、聖書は人は生まれながらにして罪深いという、原罪という概念について説きます。私には乳児の弟がおり、乳児が罪深いはずがないと思っていました。また、聖書には預言者アブラハムと預言者ダビデにまつわる途方もない逸話があります。私は、聖書において述べられているような振る舞いを、預言者たちがするとはとても思えませんでした。聖書には非常に多くの混乱させる箇所がありましたが、私はそれらの質問をしませんでした。私は「良い子」として認識されたかったため、質問するのを怖れたのです。アルハムドゥリッラー(神に称賛あれ)、しかしそこには質問を繰り返す男の子がいたのです。

最も決定的だったのは、三位一体の概念でした。私はそれをどうしても理解出来ませんでした。なぜ神に三つの部分があり、そのうちの一つが人間になるのでしょうか? 私はギリシャ・ローマの神話学を学校で習っていたことから、三位一体、そして特別な力を持つ聖人たちの概念は、ギリシャ・ローマの神々が日常の異なる側面に力を及ぼすという概念に非常に似通っていると感じていました。質問した男の子は三位一体について多くの質問をし、多くの返答を得ましたが、決してそれらに満足していない様子でした。私も同様でした。結局、私たちの教師だったミシガン大学の神学教授は、信仰のために祈るよう彼に告げたのです。

私は祈りました。

私は高校生の時、密かに修道女になりたいと思っていました。毎日決められた時間に祈祷を捧げること、そして神に完全に献身する人生と、そうした宗教的暮らしを表明する身なりに私は興味を持っていました。この願望への障害は、私はカトリックではなかったことです。私は、カトリックが少数派の中西部の町に住んでいたのです。さらに、プロテスタントの環境で育ったことは、宗教的な偶像への嫌悪感と、死んだ聖人に私たちを助ける能力があることへの健全な不信仰を私に植えつけていたのです。

大学でも私は考え、祈り続けていました。学生たちはたびたび宗教について議論し、私も異なる考え方に触れるようになりました。ユースフ・イスラーム(キャット・スティーブンス)のように、私も仏教・儒教・ヒンズー教のような東洋の諸宗教について学びました。しかしそれらは何の役にもたちませんでした。

私はリビア出身のムスリムと出会い、イスラームや聖クルアーンについて少し教わりました。彼は、イスラームが最もモダンで、アップデートされた啓示宗教の最終形態であると言いました。私はアフリカや中東が後進国だと思い込んでいたため、イスラームがモダンだとは思えませんでした。私の家族は、このリビア人の兄弟を教会でのクリスマス集合礼拝に連れていきました。礼拝は息を飲むほど美しかったのですが、その最後で彼は尋ねました。「この手順を作り出したのは誰ですか? 立ち上がったり、頭を垂れたり、ひざまずいたりすることを教えたのは誰ですか? 祈りを教えたのは誰ですか?」私は初期キリスト教の歴史を彼に教えました。彼の質問は、当初私を憤慨させましたが、後日になって考えさせるものでした。

集合礼拝を設計した人物は、本当にそうする資格があったのでしょうか? 彼らは崇拝行為をどのような手順で行えば良いのか知っていたのでしょうか? 彼らには神の指示があったのでしょうか?

私はキリスト教の教えの多くを信じてはいませんでしたが、教会には通い続けていました。集会で、私が冒涜的であるとみなしたニケア信条のようなものが朗誦されたとき、私は沈黙を守り、それを復唱しませんでした。私は教会で、自分が異質な人間、または宇宙人であるかのように感じていました。それにも関わらず、教会には通い続けました。

あるとき、私と親しかった人物で、結婚生活に問題を抱えていた女性が、助言を求めて教会の牧師を訪ねたとき、牧師は彼女の苦悩を逆手に取り、彼女をモーテルに連れ込んで性的関係を迫りました。

そのときまで、私はキリスト教における聖職者の役割というものについて考えたことがありませんでした。しかし、それについてしっかりと考え直さなければならない必要性に迫られました。大半のキリスト教徒たちは、赦しは「聖餐式」を通してもたらされるものだと見なしており、その儀式は任命された司祭や牧師でなければ執り行うことが出来ません。聖職者なくしては、赦しというものがないのです。

私は教会へ行って席につき、前方にいる聖職者たちを一瞥しました。彼らは集会に参加している人々よりも優れている訳ではありません。彼らの一部は、それ以下でさえあります。人の仲介が、なぜ神との霊的交渉に必要なのでしょうか? なぜ、私たちは神に直接祈願し、赦しを得ることが出来ないのでしょうか?

その後しばらくすると、私は本屋でクルアーンの翻訳本を見つけ、購入して読み始めました。それを8年間に渡って少しずつ読み進めました。その期間、私は他宗教についても調べていました。私は自らの罪について認識し、怖れるようになっていました。どうすれば神が私を赦してくれるのかどうかを知ることが出来るのか、分かりませんでした。私は既に、キリスト教による赦しの方法が機能するものではないことを悟っていました。私の罪は私に重くのしかかり、それから逃げ出す方法も分かりませんでした。私は赦しを探し求めていました。

そしてクルアーンでこのような節々を見つけたのです。

“…またあなたは、信仰する者に一番親愛の情を抱いているのは、「わたしたちはキリスト教徒です。」と言う者であることを知るであろう。これはかれらの間に、司祭と修道士がいて、かれらが高慢でないためである。あなたはかれらが、使徒に下されたものを聞く時、自分の認めた真理のために、涙を目に溢れさせるのを見るであろう。かれらは言う。「主よ、わたしたちは信仰します。わたしたちを証人の中に書き留めて下さい。わたしたちは、アッラーとわたしたちに下された真理を、どうして信じないでいられましょうか。また主が、敬虔な民と一緒にわたしたちをも(楽園に)入れて下さるよう、懇願しないでいられましょうか。」”(クルアーン5:82−84)

私はテレビでムスリムたちが礼拝をしているのを見たことをきっかけに、それを学びたいと思いました。私はそのやり方を説明する(非ムスリム著作の)本を見つけ、独自の奇妙でやけっぱちなやり方で、密かに数年間それを続けました。また、ムスリムたちがクルアーンをアラビア語で暗記するということを知らず、その一部を英語で暗記していました。

そして遂に、クルアーンを読み始めて8年目にして、私は次の節を見つけたのです。

“今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。”(クルアーン5:3)

私は、神が地球の創造前から、私と他の人々のためにこのクルアーンを記したことを確信したため、歓喜のあまり涙しました。神は、米国のニューヨーク州チークトワーガに住むアン・コリンズが、1986年の5月にこの節を読み、救済されることを予め知っていたのです。

私は今や多くの事柄、例えばきちんとしたムスリムの礼拝の仕方などを学ぶべきであると感じましたが、問題はムスリムを一人も知らないことでした。

当時の米国では、ムスリムは今のように目立った存在ではありませんでした。どこで彼らを探せば良いのか、私には分かりませんでした。電話帳でイスラミック・ソサエティーを見つけ出し、そこに電話しましたが、男性が受話器に出たため、慌てて切ってしまいました。私は何を言うべきか、彼らはどう反応するのか、彼らは怪しい人々なのではないか、または、なぜすでにイスラームの同胞を持つ彼らが私を受け入れるだろうかなどといったような、様々な思いが頭を駆け巡りました。

その後数ヶ月に渡り、私はモスクに数回電話をかけましたが、その度に私はパニックになって一言も話さずに切ってしまいました。最終的に、私は臆病な手段に出ました。情報を求める手紙を書いたのです。親切で忍耐強い兄弟がモスクから電話をくれ、そしてイスラームに関するパンフレットを送ってくれました。私が彼にイスラームに入信したい旨を告げると、彼はこう言いました。「確信が持てるまで、それを待ってみてはどうでしょうか。」彼の言葉には失望しましたが、私は彼が正しいことを知っていました。なぜなら一度イスラームを受け入れれば、すべては変わり、もう二度と元には戻らないからです。

私はイスラームの魅力に取りつかれました。昼夜を通してそのことばかり考えていました。私は何度かモスクまで運転し、ムスリムに出会うことを期待して、そしてモスクの様子が気になって、ぐるぐると旋回したりしていました。最終的に、1986年の11月初旬、私が台所で作業をしているときに、私は自分がムスリムになりたいのだと確信しました。まだ臆病だったので、再びモスクに手紙を送りました。内容はこう書きました。「私は唯一なる真実の神であるアッラーを信じ、ムハンマドがかれの使徒であることを信じます。そして私はそれを証言する一人として数えられたいのです。」

翌日、兄弟が電話をくれ、私は電話を通してシャハーダをしました。そのとき、神が私のすべての罪をお赦しになり、私が新生児のような罪のない清らかな状態となったことを彼が教えてくれました。

私は、罪の重荷が両肩からすべり落ちた様に感じ、歓喜の涙を流しました。その夜は、泣きながら何度も何度も神の名を復唱していたため、少ししか眠れませんでした。

ようやく、赦しが認められたのです。アルハムドゥリッラー(神に讃えあれ)!



Footnotes:

 人がイスラームを受け入れてムスリムになるとき、そしてその後も日常的に行う信仰証言のこと(「私は唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドが神の使徒であることを証言します」)。

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