経済と人生における利子の役割(1/7):序論

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説明: 現代社会においての利子の役割に対するイスラーム的観点と、その歴史的・現代的分析。第一部:なぜムスリムたちは、キリスト教やユダヤ教の世俗主義者らによる合法化の呼びかけにも関わらず、利子の禁止を続けるのか。

  • より ジャマールッ=ディーン・ザラボゾ (ゥ 2011 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 17 Oct 2011
  • 編集日時 17 Oct 2011
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序論

Interest_and_its_Role_in_Economy_and_Life_(part_1_of_7)_001.jpg大辞泉では、利子は次のように定義されています:「金銭の貸借が行われた場合、その使用の対価として借り手が貸し手に支払う金銭。」

実際、個人と世界全体は、おそらく上記の定義を必要としない程に、利子による負担を熟知しています。利子は資本主義国の住民であれば、誰でも知っているものです。近代経済において、利子は完全に容認・制度化されているため、利子の関わる取引を完全に否定・拒否する人物がいることは想像しがたい程ですが、依然として敬虔なムスリムは利子に関わることを拒否しています。

ムスリムが利子に関わらない直接の理由は、利子がイスラームによって禁じられているからですが、これに関しては後述します。しかし同時に、ムスリムは、神の導きとは神の知識、英知、正義に基づいていると信じています。言い換えると、神は何の理由もなしに、何かを人間に禁じることはないということです。それゆえ、神がこの制度を禁じたのには、確かに理由があるのです。それらの一部は、私たちでも明確に認識することの出来るものです。

現代世界において、ムスリムたちは利子を支持する議論によって、常に攻撃に晒されています。残念ながら、多くのムスリムたちはそういった圧力と「論理的議論」に屈服し、利子の概念を受け入れてしまっています。

それゆえこの短い論考では、信仰箇条に基づきながら、利子に対するイスラーム的立場について論じていき、利子を支持する議論が真に正当なものかどうかを確認する論理的議論を展開します。

人類に対する神の導き

イスラームでは、神がその慈悲により、人生の全ての側面に対する導きを全人類に授けたと教えています。この導きは崇拝行為に関するものだけではなく、経済、商業倫理、婚姻関係、国際関係、戦争倫理などを始め、あらゆるものを含有します。現在において、そのような神の導きを未だに信じていることはムスリムの突出した特徴ですが、世俗的問題となると多くの人間は彼らの宗教的教えをおろそかにするか、あるいは捨て去るのです。

多くのムスリムが、例えば世俗的ユダヤ教徒やキリスト教徒たちが従ったような道を踏襲しないことには、いくつかの理由があります。最も重要な理由のひとつとしては、ムスリムたちが、イスラームの基盤を構成する啓示が、その啓示された時代以来、全く手が加えられたたり、改変されたりしたことがなかったことに、自信を持っていることが挙げられます。言い換えると、啓示には人間による干渉や歪曲がなかったのです。それゆえ、世俗的ユダヤ教徒やキリスト教徒たちは異論を持つかもしれませんが、時を経ても過去の人々の過ちを修正する必要がないのです。実際、ムスリムにとっての唯一の影響とは、人間の干渉によって神から下された啓示を傷付けること以外にないのです。

次に、多くのムスリムたちは、彼らの宗教が現実離れしていること、あるいは現代において実践不可能であることの説得力ある証明を、未だに見出してはいません。例えばイスラームにおいては、宗教と科学の確執が存在せず、それによって、西洋で見られたような教会の信用失墜や、宗教権威に対する事実上の反乱につながるような出来事はなかったのです。1ムスリムを含む多くの人々は、イスラームに沢山の変化を求めてきましたが、彼らによる議論は不完全かつ貧弱なものでした。この論考のトピックである利子は、こういった性質の良い例でしょう。

近年、イスラームはメディアでの露出が増えましたが、興味深いことに多くの非ムスリムは、イスラームの利子に対する立場を知りません。それゆえこの論考では、中世時代の古臭いトピックなどではなく、現代世界において極めて重要なトピックであるこの利子問題にスポットライトを当てるのです。



Footnotes:

1 宗教と科学の確執に関するヨーロッパ人キリスト教徒の経験の歴史における名著は、ジョン・ウィリアム・ドレイパーによるHistory of the Conflict between Religion and Science (Order of Thelemic Knights, 2005)(宗教と科学間の確執の歴史)です。実際は、ヨーロッパにおける科学とキリスト教の確執の歴史であるため、この題名は訂正されるべきでしょう。彼の著作A History of the Intellectual Development of Europe (Honolulu, Hawaii: University Press of the Pacific, 2002)(ヨーロッパにおける知的発展の歴史)では、同じジョン・ウィリアム・ドレイパーが、ヨーロッパの歴史を「信仰の時代」「理性の時代」に分割し、キリスト教特有(同時にユダヤ教)の確執に焦点を当てていますが、「理性」と「科学」を「宗教」と比較させていることが分かります。イスラームはそのような確執を一度も経験しませんでした。事実、イスラームと近代科学との両立性は、多くの人々をイスラームへと招いています。例えばタイのチェンマイ大学のテジャタット・テジャセン教授は、イスラームと近代科学の関係性を研究し、最終的に以下のように述べました:

“過去三年間、私は自分の研究対象としてクルアーンに興味を持ち続けていました。1400年前からクルアーンに記録されているすべての事柄は科学によって証明されており、それらは真実であると私は信じています。預言者ムハンマドは読み書きができなかったため、ムハンマドは創造主に値する存在によって啓示されたこの真実を伝達した使徒であることに間違いないのです。したがって、今こそ私は(この時点で、テジャセン教授はイスラームの信仰宣言をしました)と言うべきときでしょう。” I.A.イブラーヒームのA Brief Illustrated Guide to Understanding Islam (Houston: Darussalam, 1997) 31頁からの引用。

この著作は、www.islam-guide.comで全文を読むことが出来ます。イブラーヒームは多くの近代科学者による結論を校定・要約しています。

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